家出をしたかった私が、家が大好きな子どもを育てている|「赤ちゃんの発達とアタッチメント」を読んで
何かの本の参考図書として載っていたので、気になって図書館で借りてきた。行間がゆったりとしており、文字数も少なめ。文章量こそ多くはないが、保育者向けで発達心理学をもとに書かれており、初学者向けではあるが「アタッチメント」についてわかりやすく書かれている。
個人的には少し物足りなさを感じたが、赤ちゃんの発達について大まかな流れがわかりやすかった。家庭向けには書かれていないが、赤ちゃんの発達という点については保護者が読んでも得られるものはあると思う。
私の両親は、「毒親」と言われるような部類には入るタイプではないけれど、父も母も癖のある人物で、一般的な家族・親子関係を築くことができなかった。その結果だろうか、私は基本的信頼感を持てないまま大人になり、他者に対して回避的で人と関わることが苦手な人間に育った。
どうして、こんなにも自分のことも、他人のことも信用できないのだろうかと不思議に思うくらい、他人の言葉がすべて私を咎めるような言葉に聞こえてくる。いつも誰かに否定されているように感じ、誉め言葉ですら「裏がある」「本当は思っていないくせに」と素直に受け止められなかった。
旦那と結婚してから、もうすぐ7年が経つ。幾分かマシにはなってきたが、以前はあまりにも湾曲した受け止め方をするもので、毎回驚かれた。なぜ、自分でも他人の言葉をまっすぐ受け止められないのかが不思議でたまらなかったが、その原因は「基本的信頼感」を持てていないことだったのだ。
おそらく、私は「他人は私を傷つけるものだ」と思っているようだ。”おそらく”と表現したのは、いまだに自分でもよくわかっていないからなのだが、一つだけ確信を持っているのは「私は他人から好かれるような人間ではない」ということ。
こうやって文字にしてみると、なんとも寂しい人間のように思われるかもしれないが、小学校低学年の頃にはこの感情をすでに持っていたように記憶している。私にとっては、特別な感情ではなくごく当たり前の感覚である。それについて、寂しいとも悲しいとも辛いとも思ったことはない。
「誰にとっても当たり前の感覚ではない」ということは、ごく最近になって知った。
私のこの歪んだ感覚は、母によるものなのだろうか。
なんせ記憶がないからわからない。ただ、母のことも父のことも一度も好きだと感じたことはないし、常に”怖い”と感じさせる対象だった。母も父も家の中も、決して安全基地ではなかった。
今でも実家に帰ると居心地が悪く、居たたまれない感情が込み上げてくる。あの頃の私に、心休まる瞬間はあったのだろうか。
小さいころ、不安や恐怖を感じたときに助けを求められる人はいなかった。辛いことや悲しいことがあっても、誰にも相談できず、よく一人で泣いていたように思う。繰り返すが、私にとってはそれが「当たり前」だった。
そうやって人は、苦しみや不安を乗り越えていくものだと思っていたから、私は自分にも他人にも厳しい人間になった。「やるしかない」と自分を奮い立たせて生きることしか知らないから、「やらない」人を見るとなぜそんなことができるのかと理解できなかった。
誰かといると落ち着かず、息が詰まるような感覚になる。他人との距離が物理的にも精神的にも、自分がコントロールできない距離に近づいてくると、居ても立っても居られなくなった。
一人でいるほうが楽だった。でも、いつもどこか孤独を感じていたから、その場限りの当たり障りない薄い人間関係で、孤独を埋めようとしていた。
幼いころの記憶は、片手で数えられるくらいしかないのだが、自分の幼少期を振り返ると必ず思い出す記憶がある。
一番古い記憶で、おそらく5歳頃だったと思う。何があったのかまでは覚えていないのだが、家出をしようとしてリュックに服を詰めていたら、母が帰ってきた。「なにしてんの?」と聞かれ、「なにもしてない」と答え、泣きながらリュックに詰めた服をもとに戻した。あのときの私は、一体何を感じていたのだろうか。
そんな私が子どもを二人も授かった。親子関係とは、一体どんなものなのか。理想はあれど経験はない、あくまでも全て想像の世界。
どうやって子どもと関われば、この子たちがどんな感情を抱くのかわからない。いつも手探りでやってきた。
今、子どもたちは6歳2か月と4歳8か月。家出をしようとしたときの私とは違って、家が大好きで、幼稚園よりも療育よりも家にいたいというような子たちに育った。
子どもたちと一緒に過ごす時間の中で、自分を自分で育て直しているのかもしれない。一種のセラピーのように。
親子の関わりは、子どもにとって一番最初の人間関係である。それが土台となって、その子の人生に長く、深くつながっていく。子どもを幸せに導くこともあれば、子どもに苦しみを与えてしまう可能性もある。
どうかこの先も、この子たちがたくさん笑っていてくれますように。
おまめ
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