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思いだす事

 新聞で、昔の写真を載せるコーナーがあった。地方の夕刊紙なので、私も知っている場所の昔の風景だった。写真が撮られたのは、60数年前とある。父が10歳頃の時だ。父が生きていたら、この写真を見て懐かしい、と言うのだろうか。この写真が撮られた時、父はどんな少年だったのだろう。
 スケジュール帳ではなく、スマホのカレンダーに予定を入力するようになって5年は経つだろうか。ふと、今頃の時期、何をしていただろうかと思い、見返す時がある。見ると、まだつい最近まで入れていた内容だなと思う。
 いつも今を生きているが、少し先の未来は考えても、10年、20年先のことは、まだ考えたことがない。気づくと、過去のことを思い出していることの方が多い。
 仕事のある日は、ほぼ体を動かさない。休日に散歩をするようになったのは、コロナ騒ぎがあった頃からだ。コロナ中は、かつてない事態にこの先生活はどうなるのか、1年前は平和だったのにと考えながら歩いていた。1年、1年と過ぎ、今年はコロナ前のように行動し始めることが多くなってきた。だが、やはり全くコロナがなかった頃と同じにはならない。私の生活では身近な人のお葬式が続き、今は長い人生の中でも重要な地点にいると感じる日が多い。
 「まとも」だった父と最後に話したのは、いつだったのだろう。突然電話してきたことがあるが、そのときは普通ではない父だった。事件が起こっている。母が失踪した。家にいるのは、別人だ。そう言って切り、すこしたってから再び電話がある。ごめん、さっきのは思い違いだった。忘れて一一。その後に会った時は、もう私が誰か分からなくなっていたのではなかったか。
 父が亡くなるのは早かったが、祖母は大変長生きした。若い時は苦労の連続だったけれど、今は何も困ることがなく幸せだ、と笑っていた。父がこれほど早くなくなるのを、知らなくて本当に幸せだったと思う。
 私の、もう一人の祖母。入院して、親類が毎日のように面会に来ていた。県外に住む子供の家族が会いに来て、その日が最後になった。自己主張はしない、いつも控えめな人だったけれど、自分の子供たちには最後には会いたいと念じていたのかもしれない。
 今日は、もうすぐ冬が来るというのに暑い日だった。私の周りは変わったけれど、散歩中の周りの景色は変わらず同じだ。空を見上げると、いつものように静かに雲が流れている。


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