家族で行く品川の水族館
「じゃあ品川でメキシカンを食べて、水族館でも行こう」。
そんなデートみたいな誘いを、家族にするとは思ってもみなかった。
2020年春、父が定年退職を迎えた。転職の回数が多い父だったが、最後は名の知れた企業で管理職をこなし、満足いくだけ働いた様子だった。父の誕生日と定年退職祝いをささやかだがすることになり、父の大好きなメキシカンを食べることとなった。当時私は大阪に住んでいたので、アクセスの良い品川の店にしてもらった。
私は家族と仲が良い。ただ、“どちらかというと”仲が良いだけで、気を抜くと仲の良さは“普通”になってしまうほどだった。というのも、父と母、それから兄は連絡がまめなタイプではなく、会って話すことを重視しているようなところがある。私は社会人になって東京を離れていたからどうしても話す機会が減り、それによってなんとなく疎遠にもなっていた。
その状況を改めるきっかけになったのが、父が精神的に落ち込んでいると母から聞いたことだった。兄も私もそれぞれ社会人となり、親にとって手がかからなくなった。父は不器用ながらも子煩悩なタイプだったから、子ども達と接点が少なくなったのがなんとなく寂しいのだと、母はいう。私もあまり実家には帰れなかったし、兄は実家に住んでいたけど早朝から深夜まで働いていて土日は外に行ってしまうような人だ。父が寂しさを感じるのも無理はない。
また、父は仕事も管理職となり、現場で汗をかくことも少なくなっていたから、なかなかやりがいを見いだすのも難しくなっていたのだろう。昔はいろいろと出張に行っていた父だったから、東京のオフィスで管理職としているのがつまらなかったのだとも容易に想像がつく。
とうとう父は仕事を休むようになった。「働く意味がないから」と母には言っているそうだ。でも、父の性格を考えるとなんとなくわかるなと思う。
もともと転職を繰り返していたのも、仕事内容に飽きたからとか、この仕事じゃ満足できないというようなことだったと思う。仕事の電話がかかってくると冷静に対応をし、自分で請け負っては深夜まで作業をする姿を見てきた。責任感が強いというより、単純に自分で手を動かして人のためになるような仕事が好きだったのだと思う。それが管理職となって、やりがいをどこに見いだせば良いか、きっとわからなくなっていたのだろう。
父が精神的に落ち込み仕事を休むようになったと聞き、両親がいつまでも元気ではないということを、そこで初めて実感した。そして、当時は介護に関する取材もしていて、家族のうち一人が病気や高齢になって、どんどんと家族全体の仲が崩れていってしまうという話しも聞いていた。今何かやらないと後悔しそうだなと思った。
そこでちょうど父の定年退職というタイミングがあったので、食事だけではなく、水族館というレジャーにも行こうと誘ったのだ。
幼い頃、家族で品川の水族館に行った記憶がある。兄がイルカのショーをとても気に入り、「そんなにイルカのショーが楽しかったのか」となんとなく引いた目線で状況を把握していたことを覚えている。兄を軽蔑するとかじゃなくて、兄をそんなに引きつけるイルカのショーって何?って思っていた。
久しぶりにいった水族館は、なんだか小さく見えた。だけど私は動物が大好きなので、普通にはしゃいでいた。さらに当時は仕事を辞める決断もしていたので、なんとなく家族に甘え、末っ子であることをいいことに、あっち見よう、こっち見ようと家族を連れ回した。母が父と兄と私を並べて写真を撮ったりすることも拒否せず、家族の時間というのを久しぶりに過ごした。
もちろんイルカのショーも見た。だけど兄はそんなに興味を引かれている様子もなく、「なんだよ」と思った。大人になった私の方がずっと楽しんでいたように思う。
そしてあっと言う間に水族館での時間は終わり、品川駅で家族と別れた。品川駅前の交差点を家族で渡っているとき、「ああ、現実だ」とやけに強く思ったことを覚えている。きっと、家族で水族館にいたときは、安心しきって、甘えきって、こういう時間が私にもあったんだと感動さえしていたんだと思う。だから交差点を駅に向かって歩くということが、やけにそのときだけ現実感を帯びた行為に感じられたのだ。
家族で水族館に行ってからというものの、なんだか家族と過ごすことを照れくさいと思っていた心が少しだけ解けたように思う。私はベタベタと家族と一緒にいたいとはあまり思わないが、親や兄弟に顔を見せようとは思ったのだ。
今では毎年、家族の誕生日にLINEを送ることが私の役割となっている。その役割はずっと続けば良いなって思っている。
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