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杉並で静かな正月を過ごせたこと

2023年12月31日。私は東京駅行きの上り新幹線に乗っていた。パートナーの実家から一人、自宅に戻っていたのだ。パートナーの実家、そして自分の実家でも年越しをすることはできたのだが、私は一人になることを選んだ。

理由は特にない。なんとなく一人になる時間が必要だなと感じたからだ。本来、私は人と過ごすことが好きで、毎年パートナーや親友、普段会えない友達にも片っ端から会い忙しい年末年始を過ごしていた。ただ、今年は例年過ごしていた友達が都合がつかなくなったこともあって、一人で良いかなという気持ちが湧き、実行してみることにした。

12月31日、夕方5時くらいに家に着き家事をした。洗濯をして、お風呂に入って、小説を読んだ。そしてご飯を作って少しだけテレビを見て、いつもと変わらない時間にベッドに向かった。そして何事もなく元旦を迎えた。

例年なら何か特別なことが起こるのではないかとそわそわした気持ちになるのに、今年はそんなことにはならなかった。そしてその落ち着いた一人だけの時間が流れることにこの上ない安寧を感じた。

元旦もいつもどおりの朝食を作り、一人で静かな中食べた。そして本を読み、両親の家に1時間だけ顔を出し散歩をした。空が高く綺麗だったことを覚えている。それだけで十分だなと思い、音楽を聴くのも一旦やめた。

毎日が忙しいことが充実している証だと思うようになったのはいつからだろうか。社会人になり仕事をするようになってから?いや、大学のときから?でも高校のときも常に部活のことを考えていたし、中学は友達をたくさん作ることに憧れ、時間があればいろいろな人と遊んでいた気もする。小学生のときも、将来のためにと運動やら勉強やらをなぜか必死にしていた。

そういうことを考えると、私は小さい頃から常に何者かになろうとしていて、将来の何かに役立つことをやろうと必死だったのだと思う。それは資本主義だからなのだろうか、自我が固まっていなかったからなのだろうか、はたまたそういう性格なのだろうか。

ただ一つ思うのは、その焦りが自分にもたらしてくれた良いことと、その焦りによってもたらされた悪いことがどちらもあるということだ。

どちらについても無自覚なまま生活をしているとやがて疲れ、壊れてしまい、将来のために頑張っていたはずなのに昔の方が良かったと言ってしまうのではないかと思う。今の幸せをしっかり噛み締める術として、現状の良いこと悪いことをしっかりと自覚する必要があることに気がついた。

一人の正月を迎えるとすぐに大きな地震が起きた。思っていたよりも大きな被害に焦りを抱えつつも、今自分ができることをやろうと自分に冷静な声をかけ続けた。

この行動だって、きっと今の幸せを噛み締め、過去から学んだことを最善の形で将来に活かすために必要なことなんだと思う。焦って予定を詰め込んで常に動くことだけが正義ではない。

1月が終わりを迎えるが、正月の静かな時間に自分に触れ、現状を整理できた効果はいまだ継続している。忙しさにかまけて年始の目標を忘れることが続いた数年だったが、この気持ちを持ち続け、今と向き合える年にしたい。


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