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あの頃は、あの頃なりに精一杯生きていたよな

「アオアシ」というサッカー漫画を、Amazon Primeで最近観ている。
あまりにも面白くて、現在配信されている全17話を一気に観てしまった。
僕が小学生の頃に夢中になって読んでいたスポ根系・浮世離れしている系の漫画とは、全く一線を画している。「相手が強くても必死で食らいつけばボールを奪える、だから死ぬ気でやれ」「そうだ!高く浮いたボールをヘディングするために、ゴールポストによじ登れば良いんだ!」的な台詞はほぼ出てこない。

「ボールを奪うにはどこに立てば良い?」「パスを繋ぐためにはどんな陣形を意識しないといけない?」といった具合に、とてもロジカルな台詞が飛び交い、サッカー戦術に関する理解が深まる内容の漫画となっている。
適度にギャグ要素があって面白いし、きっとサッカーボールを夢中で追いかけている子どもたちも夢中になって観ているのだろう。

今のサッカーは、僕が小学生だった頃、いや高校生の頃と比較したとしても、格段に戦術のレベルが上がっているし、「なんかよく知らんけど強いしすげー」みたいな曖昧な事象も言語化されるようになっている。
たまに近所でやっている小中学生のサッカーを見ても、チームで決まり事を工夫しながらサッカーをやっているチームが多い。
僕が小さい頃に主流だった、運動神経やガタイの良さに任せてばかりのサッカーをするチームは減っているんじゃないかと思う。

正直、めちゃくちゃ羨ましい。
「アオアシ」を観て真っ先に思ったのは、「あー、このまま小学5年生くらいの自分に戻って、サッカーやり直してえなあ」だった。
一番サッカーに真剣に取り組んでいた頃に、もっと頭を使ってサッカーができれば良かったのになあ、という後悔である。
サッカーIQさえ高くなれば、もう少しうまくなって、楽しくサッカーができていたかもしれない。
あの頃の僕は、色々と考えが浅かった気がする。


記憶を、小学校5年生にまで遡ってみる。
ちょうどその頃、僕は通っていた小学校のサッカーチームに加えて、区内でトップクラスだったクラブチームに掛け持ちで通い始めていた。
クラブチームは、色んな小学校から選手が集まって構成されるチームだ。本当に強いチームには、入るのにセレクションがある。
僕も一応練習の時に入団試験まがいのことをやった。

小学校のサッカーチームと違って、クラブチームの練習は、すごく大変だった。
最初は、チームメイトがうまくて練習についていくので精一杯だったし、何より練習が厳しかった。

本当にたくさん走らされた。
合宿なんかがあると、大袈裟ではなく全員が吐くまでダッシュやシャトルランをやったし、試合で負けたら1時間以上かけて宿舎まで走った。

試合で不甲斐ないプレーが続いた時には、試合中なのにベンチの前に呼ばれてビンタされたこともあったし、反省会の時に回し蹴りされたり胸ぐら掴まれて吊し上げられたりした。
体幹を鍛えるという名目で、何度も押し倒されたのこともあった。

クラブチームの監督が鬼のように怖かったのだ。
それでも、ある種の洗脳状態に陥っていて、僕は監督のことをとても尊敬していた。
だから、めげずに練習に行き、試合にも欠かさず参加していた。

ここまで書き出しながら色々と思い出して、一つのことに気づいた。
あの頃、戦術とか動き方とか、そういうことに頭を使ってサッカーをする余裕なんて、僕にはなかった。

監督が怖過ぎて、体罰が怖過ぎて、僕は試合中はベンチの顔色を伺いながらサッカーするようになっていた。
練習でもミスをすると走らされる原因になるので、できるだけ自分がミスをしたみたいな形にならないように、安全地帯にいられるように振る舞うことを心がけていた。
怒られるのが本当に嫌だった。

そうこうしているうちに、気付けば脚を怪我してしまい、それに引きずられるように腰を怪我した。
長い期間、練習に参加できなくなって、僕はクラブチームを辞めることになった。
怪我が思うように良くならなかったのと、気持ち的にもうそれ以上は難しかった。

サッカーIQが高くなってあの頃に戻ろうと、きっと変わらなかっただろう。


なんだかどうしようもなくなってクラブチームを辞めただけのように字面だけ見ると思えるけど、それでも良かったこともたくさんあった。

体力がついた。
運動神経が悪くて短距離走が壊滅的だった僕にとって、長距離走が人並み以上になったのは、素晴らしいことだった。
体育でも、中高で続けた部活サッカーでも、体力で勝負できる、という自信が僕を奮い立たせてくれたことは何度もあった。

仲間ができた。
練習の合間に、試合の遠征中に、たくさん話をした。
きつい練習はお互いを励まし合って、時には大喧嘩をしても、試合になれば足を引っ張らずにお互いを助け合った。
今では連絡をとっているチームメイトは一人もいないけれど、なんだかうっすらと強い部分で繋がっている気がしている。
何より彼らは、文字通り苦楽を共にした初めての友だちであり、仲間の大切さを教えてくれた。

そして何より、サッカーが大好きになった。
体罰を肯定するつもりはない。辛かったことに変わりはない。
だけれど、やっぱりサッカーが自分の人生にとってかけがえのないものになったのは、クラブチームに入って、本気でサッカーをやった結果だ。
プレーしている時の辛さも報われなさも、それを超えた先にある喜びも、僕はクラブチームに入ってはじめて教わる事ができた。

今の僕が、週末になると足繁くサッカースタジアムに通って結果に一喜一憂しているのも、仕事終わりに溜まった海外サッカーのハイライトを楽しく見れるのも、真剣にサッカーにぶつかってくれた小学生の僕のおかげだ。
きっと、アオアシを観て面白く感じるのも、あの頃の経験があってこそだと思う。

戻りたい、やり直したいなんて思って、過去の自分を否定するのはやめよう。あの頃の僕がかわいそうだし、失礼だ。

上手にはできなかったかもしれない、へっぴり腰だったかもしれないけれど、必死で食らいついて、なんとかしようともがいたあの頃を大切にしたいと思う。
精一杯生きた過去の自分を、肯定してあげられるのは自分だけだ。

生きるをする / マカロニえんぴつ


<太・プロフィール> Twitterアカウント:@futoshi_oli
▽東京生まれ東京育ち。
▽小学校から高校まで公立育ち、サッカーをしながら平凡に過ごす。
▽文学好きの両親の影響で小説を読み漁り、大学時代はライブハウスや映画館で多くの時間を過ごす。
▽新卒時代の地方勤務、ベンチャー企業への転職失敗、制作会社での激務などを経験。
▽週末に横浜F・マリノスの試合を観に行くことが生きがい。

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