見出し画像

仙川で生活したからこそ気付いたこと

数年前、奥さんと同棲をはじめた街が仙川だった。
もともとそれぞれ一人暮らしをしていた下北沢エリアで2人で住める家を探してみたけれど、そこそこの家賃を出しても古過ぎたり、狭過ぎたりする物件にしか出会えなかった。
仕方なく井の頭線沿線を諦めて京王線沿線に広げて物件を探し始めると、23区を抜けて調布市に突入したあたりからいきなり家賃帯が下がることがわかった。都心に出るのに交通が特段不便でもないので、一度そのエリアの不動産屋を覗きに行ってみたら、その日のうちに仙川に住むことが決まった。
紹介されたのは築50年以上の古い物件ではあったけれど、中は完全フルリフォームでピカピカだったし、部屋からは富士山が見えた。
そして何より、商店街があまりにも賑やかで、すごく広くて、楽しそうなお店だらけに見えたので、「ここしかない!」という感じだった。

住みはじめてわかったのは、商店街は賑やかではあったけれど思っていたより落ち着いていて、結構こじんまりとしていて、お店もなんだかんだチェーン店が多かった。物件を見に行ったのが日曜夕方の買い物ピークタイムで、かつはじめて訪れた土地だったので、色んなバイアスが掛かって等身大以上に魅力的に見えてしまったのかもしれない。若干拍子抜けしつつ、ただそれでも仙川は住んでみるととても良い街だった。

仙川に住んでいた時期は、今まで生きてきた中で、一番忙しく働いていた。
夜は終電を逃して職場のあった渋谷からタクシー帰りすることが多く、深夜2時前後になってようやく仙川に帰ってくるような生活を送っていた。
夜ご飯を食べる暇なく働いた時には、すっかりお腹が空いている。閉店間際のせい家というチェーンのラーメン屋に駆け込んだり、コンビニで不健康そうな弁当とお酒を買って、その辺のベンチに座って食べたりした。日中は老若男女が歩いている商店街も、その時間には人気がなくて、熟女キャバクラのキャッチのおじさんが暇そうに缶コーヒーを飲んでいるくらいだった。家に入ると奥さんは寝ていて、起こさないように静かに家に入ってシャワーを浴びて、残っていた仕事を少し片付けて布団の中に入った。
根っこは仕事人間だったのでそんな生活はありふれたものだと思っていたけれど、「仕事のことだけを考えて生活をしていると虚しくなるんだなあ」と布団の中で考えるようになったのは、その頃からだったと思う。

前日の帰りが遅くなったとしても、朝は規則正しく起きて、定時より早めに会社に着くように家を出た。
朝の商店街は、通勤するサラリーマンや仙川の学校に通学する制服姿の高校生たちがいて賑やかだった。夜中に一人で商店街を歩くより、朝の方が僕は好きだった。

商店街を抜けて仙川駅前に着くと、大きな桜の木がある。
どんなに忙しくてもやる気が落ちていても、僕は朝にこの木を見ると、なんとなく気持ちを立て直すことができた。

特に、春の桜が舞い散る駅前の光景は、本当に絶景だった。
駅前が一番絵になるのは、仙川駅なんじゃないかとさえ思う。

この桜の木は、仙川に住む人たちにとっての待ち合わせ場所になっていて、街全体ですごく大事にしていた。
老朽化で切り倒すような話もあったらしいが、住民のたくさんの声を受けて保存することが決まったらしい。
そんなエピソードからも、仙川が良い街だということがわかる。

他にも、仙川の良さがわかるようなものはたくさんあった。
街一体が会場と化す地元のお祭り、会話することが禁止されている喫茶店、夜中まで空いていて漫画が充実している温泉施設、異常に接客が丁寧で行くだけで気分が良くなるココイチ、商店街にはお店を紹介するのどかなアナウンスが流れている。

人生は、決して仕事だけではない。
住んでいる街の日々の営みの中に、喜びや安らぎ、切なさが溢れている。
だからもっともっと、暮らしている街の風景や余白のようなものを、大切にして生きていきたい。
仙川に住んだ2年間で、僕は自分の生活をそんな風に考えるようになった。


Songbirds / Homecomings


<太・プロフィール> Twitterアカウント:@futoshi_oli
▽東京生まれ東京育ち。
▽小学校から高校まで公立育ち、サッカーをしながら平凡に過ごす。
▽文学好きの両親の影響で小説を読み漁り、大学時代はライブハウスや映画館で多くの時間を過ごす。
▽新卒で地方勤務、ベンチャー企業への転職失敗などを経て、会社員を続ける。
▽週末に横浜F・マリノスの試合を観に行くことが生きがい。

この記事が参加している募集

この経験に学べ

この街がすき

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?