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人との距離のはかりかた

2017年の春。
僕は新卒で入った会社を辞めて、ベンチャー企業に転職した。
そして、失敗した。

会社を変えてわずか3ヶ月、夏に差し掛かった6月の終わり。
一つもうまく進まない新しい会社の環境で、心が限界を迎えて満足に寝ることができなくなってしまった僕は、真夜中に街を練り歩いて、辿り着いた公園で半泣きになることが習慣になっていた。

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転職する前、新卒入社した会社では、やると思っていなかった部門に配属されてもがき苦しんだ末、やっとのことで本来やりたかった企画系の仕事に異動ができた。
苦労した末に手に入れたその仕事は、僕に充実感を与えていた。
成長できている実感もあった。

だけど、
「地方転勤を辞めて東京に戻りたい」
「今以上に、さらに、もっと成長したい」
「もっと早く裁量が持てるようになりたい」
自信もついてきたタイミングで、もっと前に進もうと、結構思い切って、年収もがくんと下げて、僕は転職することを決断した。
「●年働いた●●を退職します」とnoteを書き出してしまいそうな勢いだった。

公園で佇みながら、「note、書かなくて良かったな」と自虐的な気持ちになりながら、なぜこうなってしまったのかをひたすら考えていた。
そして、毎日のように、僕は一人の恩師の顔を思い出していた。
学生の時から、社会人になっても、ずっとお世話になり続けていた、塾の渡井先生だ。

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高校受験を控えた中学校の最終学年から、僕は地元の塾に通い始めた。
ほとんどが小学校から同じ時間を過ごしてきた顔ぶれが集まり、授業にならないことも頻繁にあるくらい荒れていた中学に通っていた僕にとって、塾は最初から新鮮で、平和で、安心できる場所だった。
生徒はみんな優しくて、通っていた中学校みたいに少し目立つと陰口を叩かれることもなかったから、すぐに仲良くなった。

そして何より先生陣が今まで会ったことのない”大人”たちで、刺激的だった。

クイズ大会に参加するために大きな会社を辞めて、中東の人のように長く髭を生やした、数学の先生。
何を考えているかよくわからなくて無口だけど、マラソンの話だけは突如として楽しそうにし始める、社会の先生。
受験直前なのに教材にいっさい手を付けずに道徳の授業をする、国際協力団体帰りの英語の先生。

全員が個性豊かだった。
今まで学校で習ってきた、順調に進学して、どこかの会社に入社して、一生勤め上げるような、お手本のような人生を歩んでいる人は、誰一人としていなかった。
少しずつ、はみ出していた。
通うことができて本当によかったのは、僕の学力がグングン伸びたこと以上に、マイペースな先生たちの生きる姿を見て、「嫌われたくない」「はみ出したくない」「うまくやりたい」と気負っていた肩の荷が下りたことだった。

そんな先生たちと一緒に過ごす時間はいわゆる”学習塾っぽさ”が薄くて、僕に限らず、他の生徒も、受験前でさえすごく伸び伸びと塾での時間を過ごしていた。
そして、そんな空間を作り上げていたのは、室長の渡井先生だった。

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渡井先生は、人を安心させるのが上手い先生だった。
肝が座っていて慌てることがないので顔を見るだけで落ち着くし、かなり博識で引き出しも多かったので、ほとんどの発言に納得感があって、信用できた。

僕は、そんな先生との、たまにある個別面談が好きだった。
ちょっとした悩みをポツリと話してみると、色んな例え話を交えながら、僕のことを笑わせながら、最後には欲しかった言葉をくれる。
くどくどしくなりすぎて、何の話をしていたかを忘れてしまうことはあっても、その話自体が面白かったから結果オーライな時もあった。
話すだけで安心する、自分が肯定される時間を、渡井先生はたくさんくれた。

塾を卒業してからも、大学受験の前、大学が決まった時、就職活動を始める前、内定が出た時、社会人になる直前、転勤先が決まって東京を離れる前、ことあるたびに僕は塾に行って、渡井先生と個人面談をした。
少し自信を失ってしまっている時なんかは、
「おー、きたか」
と迎える渡井先生の顔を見て、短い時間でも話をして何度も救われた。

だから、新卒で入った会社に辞表届を出した直後も、渡井先生と会った。
「思い切ったね、辞めんのか。良い企業なのにもったいないなあ」
と笑う先生に、ネガティブな転職と思われたくなかった僕は少し必死になった。
前向きな気持ちで転職する、そしてこれからもっと成長していける、少し鼻息荒く、強気な口調で先生に伝えた。
それをうんうんと聴きながら、
「最後に決めるのは太だからね、君がそう思うならうまくいくよ」
と声をかけてくれた。

そんな経緯もあったから、なんとなく会いづらくなってしまった。
頭の片隅には渡井先生がいて、こんなに苦しんでいるからこそ、本当は相談したかったし、話を聞いてもらいたかった。
でも、先生のがっかりした顔を見たくなくて、ちょっとだけ「だから言ったじゃん」と言われるような気がして、何より強気な発言をした自分が恥ずかしくて、塾には行けなかった。

その後、時間が経つと解決することもあるようで、僕自身の状況は徐々に明るくなっていった。
真夜中の散歩は徐々に収まり、そのベンチャー企業をなんとか辞めて、別の会社(今の会社)に転職することもできた。
結婚もした。
それでもその時に疎遠になった渡井先生のことはたまに思い出しつつも、自分からは会おうと言い出せない状況が続いた。

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2019年の冬。
ラグビーW杯が大盛り上がりで終わった直後、先生から久しぶりに連絡が来た。
僕の塾の同級生だった元生徒が、ラグビーの社会人チームに所属していて、試合を見に行くらしい。
僕は少し迷って、少し寝かせて、でもこれを逃すともうずっと会えない気がして、少し勇気を持って「いきます」と返事をした。

若干緊張しながら、大きく変わってしまった自分の状況をどう説明しようか整理がつかないまま、ラグビーの試合会場に到着した僕を見つけた渡井先生は、昨日まで授業であっていたかのように、
「おー、来たか」
と迎え入れてくれた。

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ラグビーの試合を先生の解説付きで見た後、ゆっくり話そうとなった僕たちは、しゃぶしゃぶの食べ放題に行ってたくさん話をした。
先生は僕が大失敗した転職の話はほとんど触れずに、今の仕事や家族の話を聞いてくれたり、塾での思い出話をしたり、そして相変わらず博識でいろんな話を僕にしてくれた。とても、とても楽しかった。
そして明日も授業で会うかのようにあっさりと別れた。

自宅に帰るバスの中でボーッとしていると、先生からショートメッセージが入った。

「元気そうで、それが本当に何よりです。
 私たちは、ずっと、いつまでもファミリーだと思ってます。」

人がたくさん乗っていたので、涙が込み上げそうになるのを、必死に我慢した。

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僕がうまくいっているか、いっていないか。
そんなことは、先生との間では、全く関係のないことだった。
先生のショートメッセージを見て、塾に通っていた時のように、自分の肩の荷が下りるのを感じた。
たくさんのことを教えてくれた先生たちがそうだったように。
教室を通して渡井先生が僕に語り掛けてくれていたように。
僕は、そのままの姿を見せていればよかったのだ。

こうでないといけない、そんな思い込みで、人との距離をはかろうとするから、結果大切な人を遠ざけてしまう。
大切だと思い、大切だと思うからこそ、自分を良く見せようと必死になって、プライドを持って、勘違いしてしまう。
だからこそ、僕は渡井先生と2年間会えなかった。

でも大切な人は、自分や相手の状況がどうかなんて、大した問題ではない。
そのままでいい。
勉強なんてできなくていいし、仕事なんてできなくていい。
元気に、健康に過ごしていてくれさえすれば。
ずっと先生が教えてくれていたことだったのに、いつの間にか忘れていた。

でももう忘れない。
いつまでもファミリー、ずっと忘れられない、忘れたくない、大切な言葉をもらったから。
僕がずっと安心し続けられるような言葉をくれた先生のやさしさにふれて、また一歩踏み出せた気がした。


「君とはずっと はからなくていい
 距離を見つけたいんだよな
 そう思うんだよ」

人との距離のはかりかた / plenty


疎遠になっている、しばらく会っていない、大切なアイツやアイツとも、会えるような気がしてくる。

いや、今度は僕から会いに行こう。

会いたい人には、会いたいときに会おう。

ちょっとだけ勇気を出して、ショートメッセージを書き始めた。

信じたいんだよ
 寄り添いたいんだよ
    僕の声が届くといいな」

人との距離のはかりかた / plenty


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<太・プロフィール> Twitterアカウント:@YFTheater
▽東京生まれ東京育ち。
▽小学校から高校まで公立育ち、サッカーをしながら平凡に過ごす。
▽文学好きの両親の影響で小説を読み漁り、大学時代はライブハウスや映画館で多くの時間を過ごす。
▽新卒で地方勤務、ベンチャー企業への転職失敗を経て、今は広告制作会社勤務。
▽週末に横浜F・マリノスの試合を観に行くことが生きがい。

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