オレイカ

フェミニストです。日常の中で感じたこと、考えたことを書いています。

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最近の記事

中古書店の棚と思想

先日B◯◯K◯FFに立ち寄る機会があった。前は近所にあって時々行っていたが、なんだかんだ久々だった。 私が好きなタイプの独立系書店と、大手チェーンではもちろん品揃えが違って、今はこういう本が流行っているのか〜となることはよくある。けどそれとはまた違うものを感じた。 実店舗なので、場所による違いも当然あるだろうが、歴史修正主義と呼ばれる人たちの本が、ちらほらと目に留まった。状態の違いなどによって値段が変わるのか、同じ本が分散して置かれていて、それもあって何度も目にしたから、

    • 自分で自分の代名詞を決められない

      私のジェンダー・アイデンティティは「男ではない」だ。ここに至るまでにも揺らぎがあったし、まだ揺らぎの途上にいる。 以前も書いた(?)が、20歳で振り袖の写真を撮るときに、とても違和感があった。そのときは、私は女ではない、けど男でもない、男と女が両極端にある数直線で言えば、真ん中より女寄りではあるけれど、女ではないと自認していた。 というか、女にはなりきれないという感じだった。周りの女たちと私の間には、見えにくいけどたしかにある壁なのか溝なのか、そういうものがあると感じていた

      • 第三者として介入できなかった

        ベロベロに酔った女性と、一緒に飲んでいたと思われる男性が2人で電車に乗っていた。女性の方は、「本当に好きな人は別にいる」とか「(男性に対して)どこに住んでるの?」とか言っていたので、パートナーではなさそうな雰囲気だった。すべて、見た目でしかないけど。 2人は中年(40代くらい?)の歳の頃で、男性は介抱しているようにも見えたが、女性の意思が分かりかねた。ふらふらで倒れるくらいだったので、身体を支えてはいるようだけど、女性が「いや、帰る」と言っているように聞こえた時もあった。

        • 先生の働き方

          高校時代、文化祭の準備で遅くまで学校に残ったことがあった。その時付き添ってくれた先生には、今となっては少し申し訳なかったなと思う。 通常の下校時間より残って作業する場合、監督の先生に付き添ってもらう必要があった。その日の当番の先生だったのか、「生徒の好きにやらせてみましょう」派の先生と、「決められたなかでいかにやるか工夫すべきだ」派の先生が、口論っぽくなっているのを見かけたこともある。 学生だった当時、みんなで遅くまで残って作業するのは、ちょっと特別な楽しさがあった。実際

        中古書店の棚と思想

          キャリア開発ワークショップ

          キャリア開発系のワークショップに参加した。普段はジェンダーやフェミニズム界隈の人と話すことが多いため、どんな雰囲気だろうとちょっと不安も入り混じって、正直直前までキャンセルするかとても迷った。 グループワークが中心で、自分が今やっている仕事やその中で感じている課題を共有し、今後のキャリアの目標、それにどうアプローチするかを他の参加者と一緒に考えるというようなものだった。 私の現職はこの職種と近いんじゃない?だったらこういうアプローチができるかもね?という示唆を得たり、もっ

          キャリア開発ワークショップ

          町の中にあるセーファースペース

          出張先に少し早めに入って、ランチを食べに行った。SNSで見かけて気になっていたところで、大通りに面した建物の2階だった。 階段を上がりガラス扉を開ける前に、店の入り口にプログレスプライドフラッグがあるのが見えた。 ランチメニューはメインが唐揚げで、大豆ミートが選べたのでそれで注文すると、ビーガン対応にするか確認してくれた。 その日つけていたスイカ🍉のイヤリングを、お店の人が「素敵ですね」と褒めてくれた。 店内にはたくさんステッカーが貼ってあって、チラシも置いてあって、トイレ

          町の中にあるセーファースペース

          今の自分を楽しむ

          「団地のふたり」を観ている。キャストも好きだし、描かれる世界も好き。また1週間が始まるなと憂鬱になりがちな日曜の夜に、穏やかな気持ちになれる。 歳を取ることはネガティブに語られがちだけど、このドラマの中では、みんな今の自分たちを楽しんでいる感じがする。「今の自分たち」が、かつて描いていた「◯歳の私」の像、典型的な幸せとしてイメージされるものとは異なっていたとしても。 シスターフッド!!な物語で元気になることもあるけれど、ゆるさを伴いながら、自分たちのペースで生活を営んでい

          今の自分を楽しむ

          じっくりみんなで読む

          ある読書会に初めて参加してみた。別の場で出会った人に、声を掛けてもらったのがきっかけだった。 ひとりの人をテーマにした会であることは聞いていて、その人が書いた課題図書を事前に読んでくることが望ましいとのことだった。図書館で借りて読んでいったものの、どんな人がいるのかとか、どんな雰囲気かとかは未知数で少し緊張していた。 同じ本ですでに数回読書会をやったわりには、あまり進んでいないな...?と思っていたが、参加したらその謎が解けた。 課題図書は、著者が自分が暮らす地域の歴史に

          じっくりみんなで読む

          フィクションの力

          最近知り合ったフェミニストの一人が、映画『ラストマイル』を観て、自分は面白かったが、「社会派」のテーマに抵抗を覚える人もいるのではと思ったと話していた。 私も劇場で観て、新自由主義の資本主義社会で生きていて、「便利」がどうつくられ、どんな論理の元で動き続けているのかを問題提起する作品だなと感じた。逃れられないというか、その中でどう抵抗したり、利用されないようにしないとなーとも思った。(『アンナチュラル』と『MIU404』も観ていたので、その繋がりも楽しんだ) 『虎に翼』と

          フィクションの力

          (異)性愛規範の社会で生きている

          先日歌番組で、彼氏/彼女に歌ってほしい曲の街頭インタビューを放映していた。たまたま一緒に観ていた親に、「彼氏に歌ってほしい曲はって聞かれても答えられないね」と言われたので、「私を異性愛者だって決めつけないでって答える」と言ったら笑っていた。 これまでにパートナーがいたことがあるというのは知ってるし、きっと私がアセクシュアルという可能性は考えていないんだろうなと思った。そういえば以前母に「(結婚するつもりはないって言ってるけど)でも彼氏はいるんだもんね?」と聞かれたこともあっ

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          Aro/Aceの本を読むのがこわい

          先日図書館で、『いちばんやさしいアロマンティックやアセクシュアルのこと』を見かけて、手に取った。4名の著者のうち、三宅さんや中村さんの講演は聞いたことがあり、きっと読んでも傷つくことはないだろうなという安心感(信頼感)はある。前から気になっていた本だった。 あ、見つけたと思って開いてみたものの、最初の方の数ページをパラパラと見て、なぜか中身を読むことができなかった。じっくり読んでみることにこわさを感じた。これまでに他の(主にアセクシャルの)本は読んだことがあるので、なんでそ

          Aro/Aceの本を読むのがこわい

          「ボーイッシュ」以上にはなれない

          先週の続きで、美容室に行った時、私は今までで一番髪を短くした。今年の春、今までで最短にした時よりもさらに短く。 すると美容師さんから、「どんどんボーイッシュになっていきますね」と言われた。私はどこまでいっても女なんだなと思った。

          「ボーイッシュ」以上にはなれない

          美容室で置かれる雑誌

          先日美容室に行った時、私の目の前に置かれた雑誌は ・Hanako(旅や街めぐりがテーマ) 2冊 ・町のパン屋さん特集 1冊 だった。今まで置かれたなかで、一番平均点が高く、標準偏差が小さかった気がする。 アシスタントの方が持ってきてくれたのだが、主に私の見た目(カルテを見ることもあるだろうけど)で選んだと思われる。 これまでは、女性向けファッション雑誌と呼ばれるようなものが多かった。それぞれの雑誌にも特色があるが、特にこれはなかなか私が普段手にとらない(きっと今後もない)

          美容室で置かれる雑誌

          セックスのないパートナーシップは不完全?

          先日友人と話していて、気がついたことがあった。大学時代に付き合っていたXには他の人とセックスしていいよと言っていたが、その後付き合ったYには多分、そのように言ったことはなかったか少なかったということだ。 Xに対しては、セックスの相手というか、性欲を満たす相手?を、私だけに求められることにしんどさを感じていた。 Xは「好きな相手だからセックスしたいと思うのであって、他の人としたいとは思わない」と言っていた。(旅行中に友人たちは性風俗店に行ったけど、自分は行かなかったみたいな話

          セックスのないパートナーシップは不完全?

          ひとりと孤独

          ひとりという状態と孤独は、直結はしないと思う。多くの場合、生活を共にする人や、今は離れていてもかつてはそうだった人(親子関係など)がいることをひとりじゃないと呼ぶ気がする。 私の場合は、今は親が生きているが、いずれそういう意味でのひとりになるだろう。それに対する怖さがないと言ったら嘘になる。 友人や地域の人との繋がりがあれば、きっとひとりではない。今や地理的な距離が離れていたって(なんなら人間でなくたって)ひとりにならないことはできる。けど、怖さはある。 今の私の怖さが何

          ひとりと孤独

          「正しくない」人としての私

          少子化は問題だ、その対策として結婚する人を増やそう という力が働いている。 個人のパートナーシップのあり方や、子どもを育てるか/産むか、それは何人かといったことに、国などの権力が介入してはならない。 もし仮に、少子化は問題だと考えているならば(誰にとっての問題?)、その人口比率でも耐えうる制度をつくるとか、「正しい家族」の規範をかたちづくる法制度を変えるとか、個人の選択や身体に介入する前にやることがあるはずだ。 個人が自分で選択できように、選択肢を示すこと、考える機会を提

          「正しくない」人としての私