「正しくない」人としての私
少子化は問題だ、その対策として結婚する人を増やそう
という力が働いている。
個人のパートナーシップのあり方や、子どもを育てるか/産むか、それは何人かといったことに、国などの権力が介入してはならない。
もし仮に、少子化は問題だと考えているならば(誰にとっての問題?)、その人口比率でも耐えうる制度をつくるとか、「正しい家族」の規範をかたちづくる法制度を変えるとか、個人の選択や身体に介入する前にやることがあるはずだ。
個人が自分で選択できように、選択肢を示すこと、考える機会を提供することは大切だ。けれど、今進められている政策は国にとっての「正しい選択」を選ぶようにすり込み、導くようなものに思えてしまう。(もちろん、政策だけではなく、メディアやエンタメなどもそういった力に手を貸している大きなプレーヤーだが)
私は日本に暮らしている人で、この国で私は「正しくない」人で、今後も「正しくない」状態であろうとしている。その意思は変わらないけれど、削られ続けている感じがする。
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