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いつの時代も変わらないもの 映画「アナログ」感想

こんにちは。おかゆです。
その人だけの"トリセツ"を言語化するコーチングをお届けしています。

人はそれぞれ生まれ持っての気質や育った環境も異なるのに、画一的な評価を受けたり、世間に求められることに翻弄されたりと、自分のことを見失いがちだと思います。私もかつて合わない職場環境でメンタル不調を起こし、楽しかったはずの仕事が全く手につかない時期がありました。

そうした経験や数百名との対話からの知見、心理学などを活かし、転職や独立、人生の転機などの機会にご相談をいただき、勇気のお守りをお渡ししております。

近頃の世界は、資産であれば個人の責任、世界情勢としては戦禍の地もあり、個性の観点であれば多様性が叫ばれるものの過剰に行き過ぎた読み合いや尊重が飛び交い、なんだかやりにくさを感じられる方が多いのではないでしょうか。

私は今までの経験から「その人、それぞれに合う生き方や幸せの形がある」と考えています。
最近、そんな私の心に深く刺さった言葉があります。

"人には自分だけの幸せのかたちがある。それを信じて貫きな"

これは、先日鑑賞した映画「アナログ」で、主人公の悟に対し母の玲子がかけた言葉でした。この言葉はこの作品においてとても象徴的な表現であったと、捉えています。

今回は映画「アナログ」の感想と"いつの時代も変わらないもの"について綴っていきたいと思います。

ネタバレを含みますので、その点ご留意ください。


アナログという作品

私が映画「アナログ」を見ることになったのは、本作の音楽を担当されている内澤崇仁さんの存在がきっかけでした。内澤さんはandropというバンドでヴォーカル・ギターを担当されており、ご自身でも楽曲提供や他のアーティストとのコラボなど、多岐にわたりご活動されています。andropの作詞・作曲も内澤さんが手がけられています。

今回は新たな活動として、映画の音楽担当。アナログに携われていました。

アナログの原作はビートたけし氏の小説。監督はタカハタ秀太氏、脚本は港岳彦氏。私は彼らの他の作品を拝見したことはありませんが、今回の映画「アナログ」という作品はとても繊細で、映像だからこその人の感情の機微が伝わるものだと思いました。

"繊細"な日常が伝わる表現

創作というものは、「一瞬を切り取ったもの」だと私は考えています。

例えば、写真。シャッターを押したその瞬間を切り取る。
例えば、漫画。主人公が仕事をするシーン、自宅にいるシーンが分かれて出てくるものの…その帰り道や出勤の姿、寝ている姿などの細部まではなかなか描かれない。
例えば、ライブ。(良いとか悪いとかではなく)アーティストはきっと、リスナーと楽しむためにMCでこういう言葉をかけよう、とか、今日はこういう流れをつくろう、と様々な工夫をしてくれている。偶発性もあるかもしれないけれど。"リスナーに見せる顔"があり、"メンバーだけに見せる顔"もある。

創作という"日常の一瞬を切り取ったもの"でありながら、その細部を表現されているのが、この「アナログ」という作品だと思いました。

例えば、作品冒頭の朝目覚めて寝室の2階から1階に降りていき、朝ごはんをつくるシーン。私は前情報をほとんど入れていかなかったので、主人公の生活スタイルや仕事を知りませんでした。

「工具がいっぱいある。職人なのかな」
「大人の一人暮らしなのに、二階から一階に降りてる。キッチンは結構古いつくりだ。あ、糠漬けを出してる…料理が好きな人なんだな」

二階建てであることから一軒家であろうことが伝わり、その後に母が入院している病院へお見舞いに行く姿、お葬式…と「あぁ、家族で一緒に住んでいた家だったんだ」と伝わってきました。

言葉で語らずとも"きっとそこにあるであろう日常"を細やかに描かれていました。人がそこに、生きていることが、伝わりました。

言葉にされない想いを汲み取る

本作の中で、私が、一番涙したシーン。

それは、最後の海で「寒いからもう帰ろうか」と去ろうとする悟の手にみゆきが手を重ね、悟がみゆきの意図を汲もうとする場面でした。

このシーンが、母・玲子が入院中にふっと目覚め、悟の方に手を伸ばし、悟が「水飲みたい?」と尋ね、頷くやりとりを連想させました。

言葉できずとも、その人の様子を見ていると
「きっとこうなのかな?」と想像され、そして尋ねる。

この思いやりと、決めつけではなく確認と、受容。
この一連が、非常に人の深い「愛」であると感じました。

以前のようには意思表示をできないみゆきに対し、悟は
「みゆきさん、なにか言いたいの?」
とただ問いかけ、ゆったりと待つ。

みゆきの日記を振り返るシーンで

"今夜は彼の側にいてあげたい。
 いや、私が彼の側にいてあげたいのだ"

と、主語を自分に置き換え、自分の意志であると認識したシーンのように。

悟は自分のために、自分がみゆきの言葉をききたいから、ただ待っていた。それは「辛抱強さ」といった表現ではなく、期待であり、待ち望まれるものだったのだと思います。

いつの時代も変わらないもの

これは私の主観的な意見ですが、この作品の主題のひとつは"いつの時代も変わらないもの"だと思いました。

悟とみゆきの恋愛、普遍的な愛。
悟と母・玲子の親子愛。
友人の高木・山下との友愛。
後輩・島田との仕事仲間としての思いやりの愛。

すべてが、それぞれの関係性において、異なる形の愛として繋がっている。

私個人のタイムリーな話なのですが、近頃数人で集まった時に「ひいたカードに書かれている質問に答える」といったゲームをしていました。

私が引き当てたカードに書かれていたのが
「いつの時代も変わらないものは?」

私は少しの逡巡を挟み
「愛ですね」
と断言しました。

私は漫画やアニメが好きです。
SF、日常、ミステリー、恋愛、シリアス、バトル、歴史物…
様々なジャンルを見てきましたが、多くの作品で共通しているのが
「愛」を描いていること。

あくまで、作者が表現しているものを私が「愛」という言葉で括っているところではあるのですが、これは人が社会的な生き物であり、自分一人ではできないことがあり、だからこそ大きなことを成し遂げられる、という力の源なのではないでしょうか。

元々は理系出身であることもあり、何事にも
「これは生命のどういった性質が影響してこの感情が湧くのか」
と考えがちな部分があるのですが、愛は生き残るために存在する尊い感情であると、私は考えています。見方によっては冷たく映るかもしれませんが、哀しくも深く、愛おしい感情であると思います。

愛の根幹的な部分は、相手がどんな状態になってもただ支えたい。
その人はそのままである。
というものなのではないかと、今作を経て改めて実感しました。

自分の想いは実は世界にも溢れている

鑑賞後にアナログ公式Twitter(X)を観たら、まさに

"いつも時代も変わらない愛の原点"

この言葉があり、
「あぁ、繋がった」と腑に落ちました。

私は「愛」が満たされないと思って育ってきた人間です。だから、漫画やアニメ、映画で「愛」を描かれていると感じると、深く感動します。

自分の世界は理想通りにはいかない。けれども、この関係性を「愛」だと認識する人がこの世界にいるんだ、というのが救いであると思いました。

なにか創作に感動しやすい人はきっと感受性が高いか、なにかに傷ついてきた人なのかもしれません。そんな方はきっとこれからの現実世界であなたを癒す関りがきっと見つかるはずです。
私自身も、世界を広げて自分を癒している最中です。

涙する時はきっと、この涙の度に自分は幸せを感じているのだと。今日そんなことを感じていました。

最後に、この作品に関わってくださったすべての人に感謝を。
そして、この記事を読んでくださったあなたにも、心よりお礼を。

日々は流れるものでもあり、心に留まるものでもあります。
あなただけの幸せの形を貫けますように。

それでは、またどこかでお会いしましょう。

内澤さん、アナログに出会うきっかけをいただき、ありがとうございました。



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