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あとは素直になればいい。


「どうして辞めちゃったんですか?」
「いや、辞めてはいないよ。ただ、」
「ただ?」
「やり方が変わっただけさ」

かつて、作詞家だった彼は、僕の曲にもいくつも作品を提供してくれた。ライブハウスや、路上で歌ったり、僕の活動は特に盛り上がったものではなかったけれど、彼の書いてくれた詞を、僕は何度も歌いながら、励まされていることに気づいた。

「また、書いてほしくて」
と、僕が言うと、
「いや、自分で書きなさいよ」
と、彼は笑った。

彼は、信州の山奥に平屋の簡素な一軒家に住んでいた。
特に不便はないという。
「山奥で暮らしてるからって、世を憂いてるわけじゃない。ただ、したいようにしてるだけさ」
「はあ」
「詞なんてどこでも書ける。それに、詞ではないやり方だってある。俺たちの頃はまだ、創作で『違い』を示せると信じていた。けれどさ、そもそも、みんな違うってことが、当たり前になっちまったらさ、わざわざそんなこと叫んでたら滑稽なだけでさ」
「だから辞めたんですか?」
「いや、辞めてないよ。だって、生きてるじゃない」
「はあ」

僕は、少しの間、その言葉の意味を考えていた。

「あとは素直になればいい」
と、彼は小さく呟いた。

ここに永住するつもりはなく、また気が向いたら別の場所に引っ越すという。だけど、それはいつかは分からないとも言った。
「まあ、どこかしらに作品が転がってるから、見つけることも出来るかもしれないね」

「最近はずっと、山に籠ってるんですか?」
「いや、浅香唯のバースデーライブがあるからね、年に一回は街へ出るよ」
「渋谷まで」
「ああ、渋谷まで。でも、昨年はコロナで、無観客のライブ配信だったんだ。映像で見られるのは嬉しいけど、寂しいね」
「今年は開催されると良いですね」
「そうだね。それだけが楽しみだからね」




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