見出し画像

終戦の日に

2024.8.15

終戦日。
暑さに負けて5日程家から出ていなかったので、リハビリがてらカフェへ。明日は嵐だって言うし。

家から少しだけ遠い、ちょっとおしゃれなカフェにて、桃のレアチーズケーキを頼んだ。おしゃれなもん食べるなって思う。
おしゃれなチーズケーキの上におしゃれに乗せられた丸い生クリームを見て、おしゃれだなぁって思うのに、祖父の戦争の話を思い出した。

いや、本当は今日は朝からずっと思い出している。

祖父の母親、曽祖母が最後に食べたのは茹で卵だったらしい。


※以下戦争の話が出てくるので、ご注意ください※


家の中、広島の爆心地の目と鼻の先で被爆した曽祖母は、幸か不幸か、しばらく生きていた。

広島を離れていた祖父(入市被爆者)は79年前の今日、終戦日に入市、つまり広島に戻ったそうだ。
広島駅から祖父の家(原爆ドームの側)の方を見ると、見えるはずもない方まで見えて、何も遮る物が無く見渡せて、驚いた。と祖父は言っていた。

土だったはずの家までの道が砂利敷になっててのう。歩くたびにじゃり.じゃり.いうんよ。おかしいなぁ思うての、よおく見たら、みんな人の骨じゃった。
人の骨の上を、歩いとったんじゃなぁ。

ああ、もうみんなのうなってる(死んでる)思うてのう。のうなってる思うたんじゃけど、お母さんが生きとって、まだ生きとったんよ。

原爆後しばらく、広島では食べる物が何も無くて、比喩じゃ無く雑草1本無くて、みんなみんな腹ペコで、そんな時近所の漬物屋が沢庵を配ってくれたそうだ。

沢庵一切れづつ。ひとりに一切れ、沢庵なんてって思うじゃろう。あんなありがたい物、無かったよ。

人はのう、内臓からやられるんよ。

曽祖母はもうお腹がぱんぱんに膨らんでいて、今日いくか明日いくかって状態で、そんな時に茹で卵をひとつだけ、手に入れたそうだ。

つるんと剥いたゆで卵を口の前に持っていったら、そのまま、丸のまま飲み込んでしもうてのう。そのうちお腹があたたかーくなってなぁ、そのまま死んでしもうた。

茹で卵が最後の一手になってしもうたんじゃろなぁ。


目にいっぱい涙を溜めていた祖父を思い出す。

あの時私は子供で、戦争が怖いってことばかり考えていた。

おばぁちゃん、最後に食べれて嬉しかったんじゃ無いかなぁって、お腹いっぱいって思いながら死ねたんじゃないかなぁ。って、祖父に言えてたらよかったのに。と思う。

2024年終戦日。おしゃれな生クリームを崩しながら、桃のレアチーズケーキを食べた。

戦争は怖い。


もう祖父が亡くなってだいぶん時間が経っているので、思い出の中の祖父の広島弁は、少し違うかもしれません。

原爆の日についてはこちら

最後までありがとうございます☺︎ 「スキ」を押したらランダムで昔描いた落書き(想像込み)が出ます。