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[8月6日 AM 8:15]ありきたりな願い

8月6日AM8:15
𓆸子供の頃

毎年「黙祷をしなさい」と母に起こされた。

かろうじてこじ開けた目をすぐに「つぶれ」って言うなんて、大人って本当に不可解。と思いながら目をつぶり、うとうしてしまうのが常で、半覚醒の状態で微睡んでいた。

クーラーの効いた部屋、布団と夏がけのやわらかな肌触り、そばにいる母の体温。ふわふわと幸せな記憶。


灯籠流しに参加した事がある。
元安川に浮かぶ灯籠は怖いぐらいに美しく、白とピンクの灯篭が暗い川のより黒い方に吸い込まれていった。

祖父母は被爆者だ。

祖父は戦争を話し、祖母は一切の口を閉ざす。そういう風にふたりは、生きていた。

夏休み。預けられた祖父母の家で夜、祖父が孫達に戦争を語った。
深く刻まれた目尻の皺に、染み込ませる様に少しずつ涙をにじませながら。

私にとってそれは不謹慎にもワクワクする寝物語だった。夏の怪談みたいに。私は幼く、アホだった。
祖父の話は死が充満し、骨や血がふんだんに出てきて、決して綺麗なものではなかった。祖父は子供相手でも戦争を原爆を、綺麗にしなかった。


それから、日々の忙しさから滅多に祖父母に会えなくなった。その上反抗期を迎えた私達は祖父の話を聞かなくなった。「話長いよ」とか言って、アホの進化だ。後悔。

だからあの綺麗な灯籠に、祖父母の親兄弟の名前が書かれていたという当たり前の事に、本当の意味で気がついたのは、もっとずっと後の事だ。

8月6日AM8:15
𓆸現在

平和記念式典の中継をみながら黙祷。

祖父の「被爆者の証言」を開く(広島平和記念資料館YouTube)。
時々、祖父に会うみたいに見ている。
祖父は突然死に、それと同時に祖母の魂が居なくなった(痴呆症)。

8月。
何かやれる事がある様な気がするし何もない気がする。年々焦燥は増し、けれど解決せぬまま騙し騙し8月をやっていく。

8月6日AM8:15
𓆸1945年

産業奨励館(原爆ドーム)に勤めていた祖父は、何度目かの召集で広島を離れた直後。
祖母は玄関建具の下敷きになった。「その建具が分厚かったから死ななかったのよ」が唯一祖母に聞いた戦争の事。

生まれるも生きるも奇跡だ。

私は生きなくてはいけない。すごい事をしなくても、アホのままでも、何者になれなくとも。退屈に。

そして祖父母の話をしよう。

祖父母は懸命に生きました。
戦後も、日々には戦争が潜んでいました。

平和で戦争の無い国を
これが彼らの願いでした。

平和で戦争の無い世界を


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