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新説坂本龍馬暗殺 5話 あとがき

この作品を読まれた坂本龍馬ファンの方は、さぞかしがっかりされたことでしょう。誤って同士を撃ってしまい、逃げ出すところを後ろから槍で刺されるのですから。あまりにも坂本龍馬のイメージとかけ離れているので、違和感を持たれたのではないでしょうか。

この作品は、『龍馬が月夜に跳んだ』の中から、龍馬が暗殺されるところだけを抜き出したものです。最初に、「龍馬が結った後ろ髪を馬のたてがみの様にたなびかせて、月に向かって飛んで行く」というイメージがありました。そのイメージだけで『龍馬が月夜に跳んだ』を書き始めました。

ですから、あのような死に方になったのです。この場面は、解説が必要なので説明します。龍馬が物干し台から飛び降りようとしますが、後ろから大石鍬次郎(新選組隊士)に後ろから槍で刺されます。槍を引き抜いた瞬間に、仰向けに倒れます。その倒れる刹那に龍馬は月を見上げる格好になります。後を追って、その前を拳銃を持ったままの自分の右手が目の前を横切る。龍馬の目には、月に向かって飛びあがる自分の姿が映し出される。と言う訳です。

考えに考え抜いて、このイメージ画像を作り出しました。このイメージ画像から逆算して物語を書き始めました。なので、どうしても拳銃を持ったままでいる必要があったのです。仰向けに倒れて、月が目に入るようにしなければならなかったのです。すべてこの画像の為に、逆算して一から作り上げていきました。

しかし、この物語をあまりにも荒唐無稽の話で終わらせたくはなかったのです。巷にあふれている時代小説で満足している人や、氾濫している情報の中で惑わされている人達に向けてのアンチテーゼを送りたいと思ったのです。

坂本龍馬の暗殺に関しては、数多くの説があり、全ては謎に包まれています。元々暗殺自体なかったという人もいます。真実は、誰も知らないのです。歴史は、その時代によって良い様に味付けをされます。現代の人は、それを真に受けて信じ込んでいます。テーマが広がりそうなので、また別の機会に書きます。

さて、「新説坂本龍馬暗殺」の中で真実なのは、当日の夜はほぼ満月であったことだけです。今は月齢データーがあるので正確に分かります。1867年12月10日は月齢13.9です。翌日の11日が満月でなので、ほぼ真ん丸に近い月の形です。これだけは、まぎれもない事実です。

後はすべて創作です。私が自分で考えて作ったものです。ただ、やみくもに書いても面白くないので、いろいろな説や事実を混ぜ込んでいます。元々新選組については興味があったので色々と調べていたので、そのことを結び付けて書きました。

「油小路の変」と言うものがありました。新選組の事件の中で、どうも納得のいかない事件です。局長近藤勇と仲違いした伊東甲子太郎が、御陵衛士を結成します。その伊藤が何を思ったのか、単身で近藤の妾宅を訪問し、帰り道で大石鍬次郎に槍で刺殺されます。遺体は道の真ん中に置かれて、それを引き取りに来た残りの御陵衛士のメンバー7名が、待ち伏せされた新選組に襲撃されたのです。その時切り殺されたのは、服部武雄、藤堂平助、毛内有之助の三人です。残りの4人は、逃れて薩摩藩邸に駆け込みます。

ここがおかしいのです。逃げた4人は、剣術の達者な者は誰もいないのです。剣術の達者でない人が逃げることが出来て、達者な人が切り殺される。特に服部と藤堂は、新選組が何人かかって来ても、倒せる相手ではありません。なのに殺されているのです。しかも、龍馬が暗殺された3日後です。何か匂いませんか?

この事件を土台にして、物語を構成しました。他にもいろいろな題材を混ぜ込んでいます。龍馬のことを全く知らない人から、幕末の歴史の専門家まで納得できるはずです。多分専門家の方が、深みに入ってしまうのではないでしょうか。 

刀の下げ緒の扱い方や、家の中に入る時は必ず刀架けに太刀をかけて座敷に持ち込まないなどの、現代に伝わっていない風習も入れています。

色々と書きたいのですが、この辺で終わりにします。

坂本龍馬暗殺の真実は、意外と私が一番近いところにいるかもしれません。

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