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短編小説『ひとりぼっちの観客』

香田さんは、食べ終わった食器を手早く片付けると、立てかけてあったギターを手に取ってベッドのふちに腰かけた。

私も移動してリビングのソファに座って彼女と向かい合う形になった。

テーブルの上に置かれたままのキャンドルの明かりが、彼女の横顔を能面のように浮かび上がらせた。

チューニングを済ませると、徐に歌い始めた。

♬夕暮れ
 色あせる街並み
 光りを失ってゆく街に
 窓に灯りだす明かりは
 私には眩しすぎる
 涙でかすむ
 頬をつたう涙の
 そのぬくもりが欲しい
 あなたは何処へいってしまったの
 あなたの思い出だけを
 追いかけるのは
 辛すぎる
 あなたが好きだった
 言葉にならないほどに
 あなたが好きだった
 身体が震える程に
 あなたが好きだった
 あなたが好きだった
 言葉にならないほどに
 あなたが好きだった
 身体が震える程に
 もし、また会えたのなら
 「ごめんなさい」と言う
 そして「ありがとう」
 そして「ありがとう」
 そして「ありがとう」

♬朝焼け
 光りを取り戻した街に
 窓を銀色に反射する輝きは
 私には眩しすぎる
 涙でかすむ
 頬をつたう涙の
 その輝きが欲しい
 あなたは何処へいってしまったの
 あなたの思い出だけを
 追いかけるのは
 辛すぎる
 あなたが好きだった
 言葉にならないほどに
 あなたが好きだった
 身体が震える程に
 あなたが好きだった
 あなたが好きだった
 言葉にならないほどに
 あなたが好きだった
 身体が震える程に
 もし、また会えたのなら
 「ごめんなさい」と言う
 そして「ありがとう」
 そして「ありがとう」
 そして「ありがとう」


香田さんは真っ直ぐに、私の顔を見つめながら歌う。

笑顔が消え、感情を押し殺した表情は、返って歌に感情が込められて伝わる。

香田さんの歌う歌詞の一句一句が私の体に飛び込んでくる。

香田さんの弾くギターの一音一音が私の体に染み込んでくる。

それらがみんな、私の体の奥に入り込む。そして心の奥に刻まれてゆく。
こんな感覚は初めてだ。

心の奥が、香田さんの歌で、一杯になった。そして溢れたものが涙となって零れだした。

香田さんの歌が私の体を駆け巡って、私の体の許容範囲を超えてしまったのだ。

妻の美由紀も、そばに居て欲しい。

娘と同じ年頃の香田さんの作ってくれた料理をキャンドルの灯の中で食事をして、食後にその香田さんの弾き語りを一緒に聞く。

そして娘のカンナに、その出来事を美由紀が話す。

私は黙ってそのやり取りを聞いている。

そんな光景を思い描いた。

この状況は、私一人では荷が重すぎる。

「家族と分かち合いたい」

私は、そう思った。

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