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暴力、一番初めの記憶


いきなり顔面をぶたれ、怒鳴られて足蹴にされた記憶が初かなと。
記憶の中の家の雰囲気を思うに、恐らく3歳頃に起きた出来事です。

いきなり、顔全体をばっちーーん!とぶたれました。
前から激しくぶたれたので顔は天井を向き、体は勢いよく後ろへ。
一瞬目の前が暗くなり、痛さとバランスが崩れたびっくりとで泣きました。

すると、「泣くな!」とものすごい大声で怒鳴られて何度もぶたれ、
転がって泣いている私を足で蹴りながら「あっちへいけ!」と廊下へ押し出されました。

とにかく暗い

泣くのを必死で我慢しながら、小さい私は廊下で立っていました。
必死で我慢したので、当時住んでいた部屋の雰囲気や廊下の薄暗い感じが記憶に残っています。

私はその時、母親の近くで何かをしていたのだと思います。
一体何をしたかは覚えていませんが、思うにおもちゃを片付けなかったとか、親の言うことを聞かなかったとかではないでしょうか。
イヤイヤ期だったのかも知れません。

でも、いきなり殴られて、ゴミのように足蹴にされて、廊下で我慢していた自分を思うと、可哀想でなりません。
突発的な怒りに任せて、ぶん殴るとはどういう神経か!
人生で初めて長く残っている記憶がこんなものかと思うと、さらに哀しいです。

怒りにまかせるということ

子供にとって最も良い形で導いてあげることって、きっと本当に大変なことなのだとは思いますが、力任せに子供をコントロールしようとする行為は、何があってもやらないでほしい。

母親も、初めての子育てで行き詰まっていたのかもしれないけれど、どうしてそういう行動をとってしまうのかについて、真剣に向き合ってほしかった、の一言につきます。

少しでいいから


彼女自身の劣等感から、子供への教育には力を入れていました。
教育をさせることが良いことであるという考えが持てるのだったら、行き過ぎた暴力は良くないということも学んでほしかったと思います。

最近は「毒親」という強いことばによって親子関係の歪みの認知がされるようになってきたし、これらについて客観的に振り返るきっかけになりそうな本が沢山出てきていますね。

子どもとの関係が変わる 自分の親に読んでほしかった本

これまで、テレビや道端、お友達のお子さんなど、沢山のちびっこに会いました。
可愛いなと思う一方で、「この親はこの子に暴力をふるっていませんように」と祈るような思いは今でも浮かんでしまいます。

いまこの瞬間も、誰もがその人らしくいられる世界でありますように。

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