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花をいけることを通して気づいた、香りを聞き味わうこと

編集部より:花人のOYUさんに、いけばなから茶畑、パフューム、神経科学、そしてお香まで、香りをめぐる冒険の日々を綴っていただきました。OYUさんの経験を通じて、お香とほかの香り文化の共通点と違いがみえてきます。香りの多様性を聞き、味わうことができる文章です。

OKOPEOPLE編集室のnoteをご覧の皆さま、はじめまして、花人のOYUと申します。花人という肩書きは聞きなれないと思いますが、平たく言うと華道家のことです。

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▲花火をテーマにいけた花、まだお香について詳しくない時期に、香りを合わせるために石に檜葉の香りをのせている

私は幼少期より華道とある流派でいけばなを学んできました。幼い頃は「やりたい」というよりも「やらされていた」感覚に近かったものですが、今となってはただ花を生けるだけにとどまらない「いけばなの世界の分からなさ」や「知れば知るほど派生していく面白さ」にのめりこみ、知りたい、という気持ちが抑えられず、やりたいことを実現させるため、うっかり道を外れてしまうまでになってしまいました。

生きている香り、死んでいる香り

道を外れてかれこれ二年経ちました。仕事として花を生ける日々が続くと、「花の香りの合わせ方」に意識が向く様になりました。

いわゆる輸入物の洋花は香りの主張が強く、物によっては頭がクラっとなるような香りがすること、対して日本で生産された花は水分が多く、瞬間的に柔らで儚い香りが漂います。例えるならば、クラスに声が大きく主張の強い子と、声は小さいけれど気がしっかりしている子がいて、彼らの合わせ方やコミュニケーションに、気を配る必要がある、そんな感じです。もちろん、日本で生産されたものでも百合など香りの強いものもあり、例外はあります。

花を生けるという行為の前後で、植物が「生きているものとしての香り」を発していると感じることがあります。過去に山より枝をいただく機会があり、その際に、枝を切り離した直後から「悲鳴のような強烈な香り」を放つことに気づきました。いけばなの水あげという延命処理を行う際に、ふわりと枝から爽やかな香りが漂い、清々しい気持ちになることがあります。水あげとは、枝を割ったり、花ばさみの蕨の部分で潰して、植物の花先、葉先まで水を行き渡らせ、長生きさせる手法です。萎れてしまった花を片付ける時に細かく鋏を入れていきますが、虫の標本を作る時に嗅ぐような腐臭がして、確かに生きていたことを感じさせられます。

香りに対する感覚が敏感になるにつれて、ドライフラワーに対して「死んでいる香り」も感じる様になりました。ドライフラワーショップに一歩入った時に、酸化したミイラの様な香りが花を付き、全身を駆け巡るような吐き気に見舞われたこともあります。一方で、自分が感じるほど、植物自身が発する香りに対して、一般の人々は無頓着であることにも気づきました。

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▲いけばな発祥の地の京都六角堂

戦争を経て西洋化された現代の生活様式に、私の習っていた流派は無理やり合わせていった様に思います。私がいけばなだと思って習って来た何かは、過去の資料を参照すると、いつからか枝を削ぎ落とすことを忘れ、季節感を忘れ、教養を忘れ、派手に煌びやかに昇華することに着目してしまったが為に、本来華道が残して来た周りの文化との繋がりや関連性を大きく削ぎ落としていったのではないかと危惧しています。

お香に関する書籍を見ると、抽象的で言語を越境する香りは、形に見えないからこそ言葉や記号で残そうと人々が務め、継承されてきたことが伺えます。そうした痕跡を辿ることで、かつての日本人に備わっていた感覚を探し出すことができるのではないかと期待しています。日本の藝能や藝術は学べば奥深く踏み込めるが、視覚だけで伝えるには受け手側の知識が必要であり、言語で伝えるには押し付けがましくなってしまいます。そんな伝統の世界の中でも、興味関心から入り込みやすい香りは、私の考えている世界観と強く繋がりを持っている様に感じました。

香りを学ぶ、匂いを学ぶ

私を香りの探究へと引き入れたきっかけは、静岡のお茶農家の知り合いの畑に伺ったことです。そこでは、チャノキの下に小魚や、貝を砕いたものを肥料として用いていました。美味しいお茶の味や香りを出すためには、肥料が大きく関わっていることを知ったのです。

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▲香りで幸せに包まれる牡丹園

こういうこともありました。先輩にご案内いただいて、とある牡丹園に出向いたときのことです。5万株の牡丹と芍薬が放つ香りの層が会場全体を覆っていました。アルコールが混じったような爽やかであり妖艶でもある香りを含んだ層の中に数時間いると、お酒を飲んだ時の様な身体の緩和と高揚感を味わい、正に「香り酔い」という経験を積むことができました。その地に流れている水は甘い香りがして、土はフカフカと肥えていました。

この二つの出来事を体験して、自宅で育てている花とは生産の仕方が異なること、土と香り(味)に深い関係があること、香り(味)と色の結びつきといったことがらに興味を持つようになりました。

野菜を通じて気軽に植物の香りを食べることができる。そのことに気がついてからは、料理をするときに色と味を分解してパートナーと議論しあったり、いけばなで使った花や蕾を食してみたり、農家さんに許可をもらって土を少し食べてみたりするようになりました。

我流で香りの分解を続けていると、花と果物の赤みがかった紫に対して、ポリフェノールを食べたときに感じる鉄っぽいようなザラリと残る感覚が口の中にありました。これはなんだ? どうしてこうなるのだ? という疑問が湧き始めました。知識が無いなりに調べていくと、香りは化学物質から成り立つことがわかり、体系的に学ぶ必要があったのです。だいぶ遠回りをしましたが、今では香りのアコードができる様調香クラスで学習をはじめています。

香りの面白さは、それが感情や記憶に影響を与えるところです。たとえば「新緑の香り」を嗅ぐと、気持ちが晴れやかになったり、爽やかに思ったりしますよね。一方で「糞の香り」や、人によっては「煙草の香り」をうっかり嗅いでしまった際には、身体が拒絶するような不快感を示します。

他方で、そうした誰にでもある感覚は、神経科学の研究でもまだまだわからないことが多いようです。香りを嗅いだとき、ヒトの頭の中ではどのように活動をしているのか、感情にどう影響を与えているのか。それらを紐解くのは、とても難しいそうです。たとえば、大まかに「花の匂いを嗅いだ時」に活動する脳部位と、「糞の匂いを嗅いだ時の脳部位」を調べることはできます。しかし、ピクセルで表現でき、解像度を落とすことである程度パターンを見いだすことができる視覚刺激や、音の周波数の高低をパラメーターに落とし込むことができる聴覚刺激と比べて、嗅覚刺激である香りは、分子の組み合わせが無数にあり、定量化までには至っておらず、まだまだ開拓途上の分野だそうです。

進化的に見ると古い知覚器官である嗅覚が、ヒトにおいてはまだまだ解明されていないというところに魅力を感じます。

味としての香り

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香りに対してモヤモヤしたり、新たに勉強を始めている最中、麻布香雅堂さんで行われる香道体験のお話をいただき、参加してきました。会の銘は「梅烟香」でした。

お茶のお稽古では床の間に花を飾りますが、組香の場合、花の香りがお香とぶつかりしあってしまう為、絹で作った花が設えてあります。花だけでも、香りの合わせについて意識していた私は、目に見えぬ先人と話が通じ合えた様な気がして、喜びを感じました。

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▲床の間に飾られていた絹で作られた花

お香の世界では六国で産地を、五味で香味を示すそうです。私が面白いと感じたのは「五味」、すなわち、香りを味として捉えるということです。五味は甘・苦・辛・酸・鹹(かん)に分けられます。時間経過により、甘みが酸味に変化したり、味が複数混じっていたりします。伽羅一つ取っても、産地が違うだけで味もガラッと変わります。香木を鑑定する際も、基本の六国と外観は参考にしますが、最後は口伝や経験で判断なさっているそうです。

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▲麻布香雅堂さんで拝見させていただいた香木

また、「植物単体の保有する香りの持続時間」という意味で、香道で使われる香木はかなり特殊なものだと思います。

生の植物は、時間が経つにつれて香りが消失したり、残留する油により酸化したりしてしまいます。そのため、香りを抽出するには、煮したり、なにか移したりする必要があります。対して、香木はそれ自体が香り続け、何十年、何百年と保存されている香りのタイムカプセルです。

香りを空間に拡散させようとすると、生花を莫大な量の植物を蒸留したり潰したりして、香りを移す処理が必要になります。アロマオイルを数摘希釈したルームスプレーや、パフュームを1ml抽出するために、数kgほども植物が必要になるくらいです。一方、香木はほんの数mmの切れ端を焚くだけで、空間を支配することができる程の凝縮された香りが漂います。

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▲薬剤に入れて香りを移しているところ

素材の種類という点では、パフュームもお香も同じ素材を使っていることがあります。植物から分泌された、スチラックスという樹脂を使った香料。これは日本では蘇合香といわれるもので、線香や匂い袋にも使われています。現在では使用されていないそうですが、16世紀までのパフュームはエゴノキ科の植物を使用していたようで、これは安息香とも近縁なのだそうです。そして、薬種と言われる芳香性の強い原料は、薬膳や漢方や薬膳などに使われる食用、医薬品原料としての用途もあります。

先人達は、植物を香りとして聞くことも、食材として口にすることも、花として生けることも楽しんでいたことが伺えます。私がいけばなを学んだときには、こうした植物の力をかりて生きてきた流れを分断されたまま与えられてきました。香道や生産現場に向かう香りに触れる体験は、分断された流れをひとつに繋げることができる重要な鍵になっています。

日常では視覚的にも分かりやすく、反射的に動くことを求められることが多いですが、気になってしまう「なんだかよくわからないもの」と触れ合い、知ろうとしてみることの重要性を感じます。わからないまま一緒に時を過ごすことで、一見関係のないようなものへの好奇心が繋がりを齎すこともあります。日々の遊びを、視覚にも言語にもよらない、香りに委ねてみるのはいかがでしょうか。

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