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やっぱり“メタ構造”が好き② 雪組「ALL BY MYSELF」

はじめに

 昨年12月の花組全国ツアーぶりに相模女子大学グリーンホールを訪れた4月。楽しみにしていた雪組「ALL BY MYSELF」を観劇した。幕が上がって、何より強く感じたことは、劇場の中に劇場が、そして彩風咲奈の中に彩風咲奈がいる!ということだった。メタフィクションが好きという話は、すでに一つ前の記事で述べた。
※前の記事を読まなくても、この記事は支障なく読めます

 そこで述べたことを踏まえた上で、「ALL BY MYSELF」もメタ構造を持つ作品であると言わせてほしい。他のトップスターの退団前コンサートをいくつも観た経験があるわけではないが、本作の特徴として、ストーリー仕立てになっていることが挙げられるだろう。彩風咲奈が演じるブルームは、そのまま彩風咲奈ではないが、彩風咲奈というタカラジェンヌをなぞったキャラクターになっている。なんと、公演HPには作品紹介として以下のような文言が記されている。 

彩風咲奈の舞台生活の軌跡と、ブルームの一代記を二重写しにしたような、メタシアター的なリサイタルにご期待下さい。   

「宝塚歌劇Official Website」https://kageki.hankyu.co.jp/revue/2024/allbymyself/cast.html

そう、メタシアターなのである。

我々が見たのはブルームだったのか、彩風咲奈だったのか

 ブルームは彩風咲奈がモデルになっているとはいえ(そして彩風咲奈がそれを演じているとはいえ)、フィクションのキャラクターである。しかし、全く彩風咲奈ではないというわけでもない。私はタカラジェンヌという存在が、そもそもフィクションの存在に近いと思っている。時折彼女たちの口から「芸名の自分と本名の自分は違う」という言葉を聞くことがあるが、我々が特に舞台上で見ているのは「芸名の」、「役名の」彼女たちである。

 「ALL BY MYSELF」は、彩風咲奈(芸名)をブルーム(役名)を通して見せていたようだった。宝塚歌劇の作品は当て書きの作品が多いため、今回の場合に限らずファンは贔屓のタカラジェンヌを彼女が演じる役に投影して見ていることが多いとは思うが、今回はそのことを思い切り作品の主題としたのである。
 つまり、「ALL BY MYSELF」はファンの視点が入って初めて完成する作品ということだ。観客と一緒に軌跡を振り返る。それは、彩風咲奈によるファンへの感謝の想いと愛情から生まれたように感じられた。そして、彼女の想いを演出家野口幸作が丁寧に汲み取り、実現した。

退団前リサイタルの一つの形として

 華世京演じる編集者カイルをファンの視点の入り口として置き、これまでに彩風咲奈や雪組の面々が演じてきた様々なキャラクターを異なる役者がまた演じ直す。先ほども述べたように、宝塚は当て書きとファンの視線によって芸名と役名が強く結びついている世界だ。演者19名という少数編成、トップ娘役の不在、昔の作品にはすでに退団や組み替えをした人が多く出演しているという中で、そこにいる人もそこにいない人も大事に扱っており、既存の役もまた新たな役として受け入れることができた。

 そのことを可能にしたのは、劇場にもう一つの架空の劇場を作り、芸名と役名をもう一つの役名でコーティングする(例えば華世京という芸名のジェンヌが彩風咲奈がこれまでに演じた役を直接演じるのではなく、スノーガーデンシアターの中でカイルという役が演じていることとする)というメタシアターの手法によるのかもしれない。

委ねるという意識

 また、退団前リサイタルや退団公演では、しばしば退団するジェンヌから下級生に「引き継ぐ」シーンが登場する。今回も2幕のカナリヤなどでそのようなシーンが見られたが、引き継ぎを見せられているというより、これからの雪組を下級生たちだけでなく、ファンにも見守ってもらえるように委ねているようだった。

 それも、ファンの存在を前提とした今回の作品らしい演出だった。観客を置き去りにしないという意識が作品全体を貫いていた。実際、私は昔の雪組をよく知らなかったが、メタ構造のおかげでついていけたような気がする。

感謝

 突然で申し訳ないが、私は華世京さんのファンで、彼女のコメディエンヌとしての才能を改めて実感したとともに、彼女のこれからを委ねられてしまったようだ。「海の見える街」で踊る姿を見て(泣きながら)これからも応援したいと思った。

雪組の皆さん、そして何より彩風咲奈さん、素敵な舞台を見せてくださりありがとうございました。

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