見出し画像

【短編小説】 拍手占い(前編)


「ねぇ、拍手占いって知ってる?」

 昼過ぎでゆったりとした空気の流れるオフィスで、今日も隣から耳障りな小話が聞こえてきた。
「あ、知ってます!最近流行ってますよね」
「あれ、本当に当たるらしいよ」
「友達も今度行くって言ってました。先輩も行ってみれば良いじゃないですか」
「でも、占ってもらうのにお金じゃなくて寿命を取られるんだって」
「まさか信じてるんですか? 絶対嘘ですよ」
「どうかなぁ……。ねぇ、一緒に行かない?」
「嫌ですよ、寿命大事ですもん」
「なによ、やっぱり寿命信じてるんじゃない」
昼休憩が終わるといつもこの調子だ。占いで寿命が取られるなど、 馬鹿馬鹿しいにも程がある。くだらないお喋りはやめてさっさと手を動かして欲しいものだ。
「拍手だけで、寿命取られるんですよね? 割に合わない気が……」
「でも、その拍手で見える未来の映像は、必ず当たるって噂よ」
「当たるとしても……じゃないですか?」
「いいじゃない、今までの人生で要らない時間なんて山ほどあったでしょ。どうせこの先も、何百時間と無駄な時間を過ごすんだから」
おれは馬鹿げた話の内容と、いつまでも止まったまま動かない二人の手に痺れを切らして口を開いた。
「二人とも、今がその無駄な時間なのでは?」
「あっ、すみません……」
二人は謝った後も、小声でぶつくさと会話を続けていた。どうせおれの愚痴でも溢しているのだろう。
 入社八年、おれは仕事一筋で真面目に働いてきたが、これといって良い思いをしたこともない。三十歳にして早くも、この先の将来に希望を見いだせなくなっていた。
いっそのこと、その占いで残りの寿命全てを根こそぎ持っていってくれればいいのに。そうすれば未来の映像も早送りで見れて、未練を残す間もなく呆気なく死ねるじゃないか。
さっきの小話で気分を害したおれは、昼の休憩明けから十分も経っていなかったが、タバコを吸いに外に出た。

◆ ◆ ◆ ◆

 壁掛け時計の秒針がちょうど天辺と重なって十八時を指したと同時に、おれはカバンを持って席から立ち上がった。
「お疲れ様。みんなも遅くならないように」
一言だけ声をかけて、余韻も残さずにオフィスを後にした。
 この時間帯の京王線新宿駅は帰宅ラッシュで、改札のある地下階に降りるのも一苦労だった。人混みが嫌いなおれはいつもの如く、駅と反対方向の西側に向かって歩き始めた。
立ち並ぶビルの森の足元で、新宿駅の方向に歩くスーツ姿の大群をかき分けながら進んでいく。数メートル先の信号が点滅し始めたのを確認して足を早めた瞬間、背後から誰かに呼び止められた。
「川瀬ェ? 川瀬やないか!久しぶりやなァ!」
「沼田か!? 何してんだこんなところで?」
「お前こそ何してんや、見ないうちに随分と肥えたなァ」
「うるせぇな、お前関西じゃなかったか?」
「先月こっちに戻ってきたんや」
声をかけてきたのは、三年前まで同じ部署にいた元同僚の沼田だった。
「もしかして今帰りか? 久々に一杯どうや?」
「いいぞ、行くか。その前に、その気色悪いエセ関西弁をやめてくれ」
「三年も向こうおったんや、もう関西人や」
久しぶりに同僚と再会して興奮したおれは、足取り軽やかに新宿駅の方へと翻った。

 おれ達は新宿西口の雑居ビルにある狭い居酒屋に入り、再会を祝してよく冷えたビールで乾杯した。
「いや、死ぬまでにまたお前に会うとはなァ」
沼田は満面の笑みでグラスをグイと傾けた。
「表現が大袈裟過ぎやしないか」
「そんなことないやろ、人生死ぬまで一瞬や」
「一瞬は言い過ぎだ。おれは今の会社だと、この先の人生が一瞬だなんて到底思えないよ」
「今の時代はホワイトちゃうんか?まだそんなジゴクみたいな職場なんか?」
「おれにとってはホワイトこそが地獄だね。上司が残業するだけで、今やパワハラ扱いだ」
おれは職場での居心地の悪さをしみじみと思い返しながらビールを流し込んだ。
「それは難儀やなァ……おれは定年後、パリに住むんや」
「パリ? なんでまたそんな、もしや日本が嫌になったか?」
おれは沼田の唐突な発言を小馬鹿にして笑った。
「何が悪い。占いで見たんや」
「占いだぁ?お前、そんなもん信じてるのか」
昼間に気分を害したばかりの単語が、まさか沼田の口からも出てくるなんて想定になく、おれはだいぶゲンナリとした。
沼田は急に声のトーンを低くして真剣な顔になって言った。
「それがな、マジなんよ。拍手占いって知ってるか?」
おれは吹き出しそうになったのを堪えようと、片手で沼田を制するように待ての合図を出した。沼田、お前もかよ。
なんとか落ち着いたおれは、なんとなく聞こえていた昼間の会話を思い出しながら言った。
「寿命やる代わりに占ってもらうってやつだろ?」
「知ってたんか。あれをやってもらったんや」
「今日ちょうど小耳に挟んだとこだ。寿命ってなんだ、そんなことできるわけねぇだろうが」
「それがほんまなんやって。取られるとな、わかるんよ」
まだ三十にしてボケが始まってしまうとは、なんて不憫なやつだ。おれは沼田の言葉がにわかにも信じられなかった。
「それで?パリに住みますと言われたのか?」
「言われたんやない、占い師が手を叩いた瞬間に脳内に情景が浮かぶんや」
「すごいな、超能力者じゃないか」
「あれは本物や。その情景がパリで嫁と暮らしてる情景やったんや」
沼田はひょうきんなやつだが、嘘をつくタイプではなかったはずだ。
おれは半信半疑だったが、少しだけ興味が湧いた。
「おれも占ってもらおうかな……」
「おぅ、やってもらうとええ。ただ、都内のどこにいるかは謎なんや。神出鬼没で出会うだけで幸運や」
「寿命は?どうやって払う?なんで取られたってわかるんだ?」
「理屈は知らん、やってもらえばわかる」
そういって沼田はビールを飲み干した。
その後は三軒目までハシゴして、お互いにだいぶ酔いが回った頃合いでお開きとなった。

◆ ◆ ◆ ◆

おれは甲州街道から南に一本入った細道をフラフラと歩いていた。
酒が回って火照った体に当たる夜風が心地良い。
ふと前を見ると、暗い夜道の先の方にポツンと明かりが灯っているのが見えた。
「お? もしかしてラーメンかな?」
おれは濃厚な豚骨スープの味を思い浮かべて、先走る唾液をゴクリと飲み込んだ。
明かりが段々と近づいてくると、そこがラーメン屋ではないことに気がついた。
「なんだよ、期待させやがって」
おれは落胆しつつも、明かりの正体を確かめるために側まで行くと、立っていたのは黒くて四角い小さなテントだった。
平日でほとんど人も通らない夜の一本道に設けられたそいつは、何だか怪しげな雰囲気を醸していた。
おれは少し不気味に思い、すぐにその場を立ち去ろうとした。
その時、ふと数時間前の沼田との会話が頭に浮かんだ。
「神出鬼没、拍手占い……まさかね」
おれは浮かんだ言葉を否定しながら、念のためテントの隙間からチラリと中を覗き込んだ。
そこには狐のお面を被った女性らしき人が、真っ直ぐ正面を向いて座っていた。赤と白の和装を身に纏ったその姿は、いかにもというような光景だった。
おれは怪しさこそ捨てきれなかったが、期待を込めてテントをくぐった。
「あの、これってもしかして、拍手占い?」
「正式な名は違いますが、そう呼んでいる方もいるようです」
透き通るような落ち着いた女の声は、想像よりもだいぶ若かった。
「おれも、いいかな?」
「どうぞ。こちらにお掛けください」
女は声のトーンは一定でありながら、どこか優しさを感じさせるような口調で言った。おれは丸イスに腰を下ろして、少し興奮気味に女に聞いた。
「拍手占いって? 噂でしか知らないんだ」
「正式には ”嚮後先覗術きょうこうせんしじゅつ” といいます。先の未来を予知して、一部の情景を脳内で再生させるというものです。従って、占いではなく未来予知の一種となります」
「なるほど……。みてもらうのに、寿命を差し出すって聞いたんだけど?」
「仰る通り、予知にはその方の寿命が必要となりますが、私が頂くわけではありません。先を見る代償として寿命が削られるのです」
「ふーん……そういうことね。なんでそんなことできるの?」
「嚮後先覗術は、先祖代々受け継がれてきた救済術です。現代では私が継承者となりました。方法はお伝えできません」
淡々と答える女に、おれはさらに質問を重ねた。
「寿命ってどのくらい減るの?」
「先見する未来の事象によって異なります。その事象が大きければ大きいほど、削られる寿命も大きくなります」
「へぇ、じゃあテーマは選べる?例えば結婚相手とかさ」
「希望をお聞きすることでそれと関係した情景は先見できますが、映し出されるのはあくまで未来の情景を切り取った一部分です。そのため、本人の得たい情報がそのまま映し出されるかどうかは、私にも知り得ません」
「なるほどなぁ。削られる寿命の大きさと、知りたい情報が得られるかは、全くもって別問題ってことね」
おれはとても気分が高揚していた。
寿命と引き換えとかいう占いは、一体どんなカラクリで客を騙しているのだろうと気になっていたが、意外と細かく設定が成されている。
これだけ人智を超えた能力だと説明されれば、理屈がまかり通らないのも納得だ。
しかし、何事も経験してみなければ嘘か誠かの判断もつかない。
おれはまず、一度体験してみることにした。
「ものは試しだ、お願いするよ」
「わかりました、では……」
「あっ、最後に一つだけ。見えた情景は絶対なの? 未来が変わることとかは……」
「見える情景は絶対です。たとえ変えようとしても、変わるものではありません」
ここまで言い切って一切保険もかけないところを見ると、この術が本物である可能性は高そうだ。
「では改めて、嚮後先覗術をご理解いただくためにこちらの書面をご確認いただき、サインをお願いします」
目の前に出された書面に記されていたのは、術の詳細と注意事項、そして全ての先見結果が自己責任であることを承諾するものだった。
ここまで徹底していると、安全なのか怪しいのかもわからなくなってくる。
おれは粗略に目を通してサインした。
「では、始めていきます。川瀬さんが見たい未来を教えてください」
「そうだなぁ、一年後はどうなっているのか、で頼むよ」
「わかりました。先見と引き換えに失った寿命は取り戻せません、よろしいですか?」
「あぁ、かまわない」
「私が手を叩くと川瀬さんの脳内に未来の情景が映し出されます。それでは、目を閉じてください」
おれは息を弾ませながら、言われた通りに目を閉じた。


後編へ続く


後輩はこちら↓



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?