見出し画像

哲学・日記・メモ 「ものがたり・小説・戯曲(または絵本・紙芝居)」

「ものがたり」は口承による共時・通時に及ぶ行為であるのに対し、「小説」は自立した所謂近代個人の内面を拠り所とした「書き記す」行為である、とすれば、「戯曲」はそのどちらとも事なるエクリチュールであろう。なぜならば「戯曲」は「ものがたり」のように他者に寄り添った伝承ではなく、また「小説」のように他者の介入を拒む鉄壁の内面によって記される世界でもないから。それは記される過程では戯曲家の自立性に因っているものの、舞台上演に臨む稽古において、他者(役者相互の関係やさらにそれを取り巻く環境も含む)による逸脱的更新を許容するものである事を「戯曲」の条件としているから。そこには「他者に依存した口承伝」と、「作者と言う自立した個人の内面性」とも異なるものがある。
「戯曲」はかくして、「ものがたり」でも「小説」でもない、第三のエクリチュールとしての魅力を放つ。読み聞かせる事を前提とした「絵本」「紙芝居」もまた近似のエクリチュールのスタイルである、と思う。
2021年10月23日 岡村正敏

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?