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おきです、はじめまして。くだらないことを考えています。 https://instagram.com/oki_kai_oki

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「ちょうどいい」論

インスタのプロフィール欄に、Choudo Yorker(ちょうどよーかー)という謎のダサワードを用いているんですが、これは僕の勝手な造語で、「常にちょうどいいを追い求めて生きる奴」をNew Yorkerをもじってかっこつけたものです。今回はそのChoudo Yorkerについて皆さんにご紹介したいと思います。 「ちょうどいい」とは「ちょうどいい」という言葉はとても曖昧なものなので、「テキトーな」とか「程々の」というような、「良くもなく悪くもなく、ある種の妥協」というような意

    • GODMIBAKO2

      GODMIBAKOの感情  おそらく、GODMIBAKOに感情はない。しかし僕はついGODMIBAKOに感情を当ててしまう。それは僕の主観でありエゴであるが、日本人的なアニミズムのようなものかもしれない。  容量にお構いなしにゴミを捨て続ければ溢れかえる。どさくさに紛れて専門外のゴミも捨てられていたりもする。一方で管理者が管理のために張り紙や固定などの手を加えることもある。雨風や何らかの衝突で倒したり、倒れているのを誰かが直したりもするだろう。捨てる人、管理する人、通りすが

      • 自販機横のGODMIBAKO

        GODMIBAKOとの出会い 嵐のような大雨の夜、興奮気味の僕は玄関のドアから顔を出して大荒れの外を見ていた。外には誰もいない。大粒の雨が町を打ち付ける轟音が響く。見慣れたはずの道は見慣れない川になり、向かいの自動販売機の光を反射させていた。僕はやっぱり興奮して叫びたい衝動に駆られた。しかし何と叫んだらいいのかも、どうすれば叫べるのかもわからなかったので、少し緊張しながらもひとまず大きめの声で「あんこー!」と言ってみた。僕の声は雨の轟音にあっさりかき消された。それにどこか安

        • 少年時代の話② 死にかける

          ここまでの人生でただ一度だけ死にかけたことがある。小学生の頃、家の台所で飴玉を喉に詰まらせたのだ。 当時専業主婦だった母が非正規で仕事を始めた。よってそれ以後、僕は学校が終わると誰もいない家に帰宅することとなった。勝手口の鍵を持たされ、放課後はそれを使って家に入り、ひとまずお菓子を漁って食べることが習慣になっていた。 その日もいつも通り学校から帰宅し、家には僕1人だった。そしていつも通り食べ物を漁ったが特に目ぼしいものは見つからなかった。かろうじて冷蔵庫に飴玉を見つけたの

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        「ちょうどいい」論

          少年時代の話① コンソメ味軽蔑期

          少年時代の僕はポテトチップスのコンソメ味を軽蔑していた。軽蔑の対象にはコンソメ味を好んで食べる同級生達も含まれていた。 僕は昔から人と同じことが漠然と嫌いだった。あえて人と違うことをして自分の個性を見つけ出そうとしていたのだ。当時はそれが行き過ぎて、自分の意見を余計に曲げてまで人と違う方を選ぶこともいくらかあったように思う。 コンソメ味の軽蔑もその一つだ。確かにポテトチップスのコンソメ味はうまい。濃く甘じょっぱいコンソメのジャンキーな味がなんともうまい。だから小学生なんか

          少年時代の話① コンソメ味軽蔑期

          2月のある日

          起きてから少し頭が痛い。 今日は先月の異常な買い物、スニーカー3足一気買いのコンビニ支払い期限である。 財布の中には千円札の一枚も入っていない。少しの小銭だけだ。お金の減りは時間の流れと一緒だ。思ったよりずっと早い。 お金はないがキムチも買いたい。キムチ鍋を作ろうと思って行った前回の買い物で、肝心のキムチを買い忘れてしまっていた。他の食材を待たせているので、ぜひとも今日はキムチを買いたい。 まずはお金をおろさなければ。 出かける。外はビショ雪。ムカつくほど寒い。

          2月のある日

          料理•食事は最強の言い訳

          最近、生活の中で料理をしている時や食事をしている時間を楽しく感じるようになりました。料理は単純にものづくり的な楽しさがありますし、食事にも美味しいものを食べるという何にも変え難い幸福が存在します。でも僕がそれらを楽しいと感じるのにはもっと大きな理由があります。 本題に入る前にまずはこの話の大前提となる部分を押さえておきましょう。人間含め生き物というのは何かを食べてエネルギーを得なければ生きていけません。ご飯を食べないことはそのまま死につながるわけです。つまり食事だったり、食

          料理•食事は最強の言い訳

          煮物

          新型コロナウイルスの流行で大変な世の中が続いている。それでなくても生きるのは大変だ。目の前にはいつもやるべきことがいっぱいある。バイトがあるし、課題の提出期限は迫っているし、洗濯物は溜まっていくし、台所は汚したまんまで気になるし、いい加減解約の電話をしなきゃいないし、お金はないし、お腹は空くし、トイレットペーパーを買わなきゃいけない。その上やりたいこともいっぱいある。こうなりたいと思うものがあって、頑張りたいと思うものがある。同じだけ不安や悩みや焦りでいっぱいである。リアルな

          生活とコバエ

          だらしないひとり暮らしでは、大抵の場合生ゴミの処理の甘さが祟ってコバエが発生する。特に気温の高い夏なんかはいっぱい発生してしまう。だらしなくても生活しているのだからしょうがない。 ある時帰省した実家では、コバエを見かけることはなかった。しっかり者の母が生ゴミの処理を適切に行なっているからだ。丁寧に暮らしている証だなと思った。 コバエがいてもいなくても、それは生活をしている証である。 漫画や映像作品などでは、そこに人がいなくなったことを暗に伝える表現として、置き去りにされ

          生活とコバエ

          ぱりんこの美味しい食べ方

          数年前、ある親戚の死を経験しました。 その時ふと、「人は今にも死にそうな時こそ最も生きているのではないか」という考えが僕の頭に浮かび上がりました。死に直面した時程生きたいという想いが強くなり、故に最も生きている状態であるのではないかと思ったのです。この"最も生きている"という言い方はおかしいかもしれませんが、急な思いつきのようなものだったこともありその時の僕には他に言い方が見つからなかったのです。ただなんとなく死に直面するその人は今最も生きていると感じたのです。 その後しば

          ぱりんこの美味しい食べ方