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煮物

新型コロナウイルスの流行で大変な世の中が続いている。それでなくても生きるのは大変だ。目の前にはいつもやるべきことがいっぱいある。バイトがあるし、課題の提出期限は迫っているし、洗濯物は溜まっていくし、台所は汚したまんまで気になるし、いい加減解約の電話をしなきゃいないし、お金はないし、お腹は空くし、トイレットペーパーを買わなきゃいけない。その上やりたいこともいっぱいある。こうなりたいと思うものがあって、頑張りたいと思うものがある。同じだけ不安や悩みや焦りでいっぱいである。リアルな現実を目の前にして、常に未知な未来を控えながら、とどまることなく生活は続く。

そんな生活の中で煮物を作って食べた。根菜とこんにゃくと鶏肉の入った筑前煮。作ったその夜に食べたものはなんか微妙だったが、一晩寝かせた翌日食べたものは具材に味が染みて格段に美味かった。

なにもかもこの筑前煮のように寝たらうまくならないものかと思った。ただぐっすり一晩寝るだけで日頃抱えているもの全てがいい感じにうまいことなったらどんなにいいことかと思った。筑前煮がコロナをも倒してくれるスーパーヒーローに見えた。

しかし、しばらくしてその考えは改めた。筑前煮を一晩置く前の調理の過程の存在を忘れていた。ちゃんと具材を炒めて醤油や酒や砂糖などの調味料を入れて時間をかけて煮込んだ。その上で一晩置いたからやっと美味くなったのだ。もっといえば具材が台所に至るまでにも多くの過程があった。きっと僕が知らない過程もたくさん経てきたのだろう。筑前煮が美味くなるまでには、それ相応の苦労と手間と時間がかかっていた。筑前煮はただ寝ていただけではない。

それに気づいてしまった僕は、結局はやることやらなきゃいけないのかと絶望しかけた。筑前煮はスーパーヒーローではなかったと。でもまたすぐ思い直した。やることやって美味い筑前煮が食べられるなら少しは頑張れるかもしれない。スーパーヒーローでなかったとしても筑前煮が美味いことに変わりはない。日々の生活の全てはいつか筑前煮が美味くなるための過程である。面倒なことでもなんとか乗り越えて、終わったらゆっくり眠る。そうすればいつかは味の染みた美味い筑前煮が食べられる。目指すはちょうどよく味の染みた温かくて美味い筑前煮。もし不味くても食べられればまあ良しとして、次は肉じゃがでも作ってみよう。

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