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生活とコバエ

だらしないひとり暮らしでは、大抵の場合生ゴミの処理の甘さが祟ってコバエが発生する。特に気温の高い夏なんかはいっぱい発生してしまう。だらしなくても生活しているのだからしょうがない。

ある時帰省した実家では、コバエを見かけることはなかった。しっかり者の母が生ゴミの処理を適切に行なっているからだ。丁寧に暮らしている証だなと思った。

コバエがいてもいなくても、それは生活をしている証である。

漫画や映像作品などでは、そこに人がいなくなったことを暗に伝える表現として、置き去りにされたゴミに集るコバエがよく用いられる。コバエがいることはそこで人が生活していないことの証になるということだ。

コバエが生きる為の貴重な餌となる生ゴミは、人が生活していなければ発生しない。そんな場所にはもちろんコバエはいないだろう。コバエがいないことは人が生活していない証とも言える。

コバエがいてもいなくても、それは生活していない証である。

結局コバエと人の生活の間に大した関係はない。生活していれば、そこにコバエがいることもあるし、いないこともある。だからコバエなんか気にしないで好きに生きればいい。

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