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「ちょうどいい」論

インスタのプロフィール欄に、Choudo Yorker(ちょうどよーかー)という謎のダサワードを用いているんですが、これは僕の勝手な造語で、「常にちょうどいいを追い求めて生きる奴」をNew Yorkerをもじってかっこつけたものです。今回はそのChoudo Yorkerについて皆さんにご紹介したいと思います。

「ちょうどいい」とは

「ちょうどいい」という言葉はとても曖昧なものなので、「テキトーな」とか「程々の」というような、「良くもなく悪くもなく、ある種の妥協」というような意味で捉えてしまうこともできますが、ここで僕のいう「ちょうどいい」はそういうことではありません。そもそもこの「ちょうどいい」って本来は過不足がなく最も理想に近い状態を表します。サイズの問題で考えるとわかりやすいかもしれません。台所のスペースと冷蔵庫のサイズがちょうどいいとか、買った靴のサイズがちょうどいいとか、まさにこれだ!っていう状態。それ以上大きくても小さくてもダメですよね。ここではそういうジャストフィットとかジャストミートに近い意味で「ちょうどいい」を捉えています。

この意味として考えると、「ちょうどいい」を実現するのは意外とレベルの高いことだとわかります。まだサイズだけなら定規で測れば自ずと適切な選択が可能になりますが、生活における「ちょうどいい」の対象はサイズに限らず時間、場所、温度などの外的条件や、体調、感情、お腹の空き具合などの内的条件、他にも挙げようと思えばたくさんありますし、中にはきっと僕たちが知覚・認識できないものも数多くあるでしょう。僕たちがなんとなく感じる"ちょうどいい瞬間"というものは、こうした多種多様な要素がお互いにも関係し合いながら作り上げる、"人間には測り得ない次元"で生まれるわけです。「ちょうどいい」とは決して妥協などではないし、そもそも妥協する余地など人間にはないのです。

Choudo Yorkerのすゝめ

で、Choudo Yorkerとはその最高に"ちょうどいい瞬間"を大事にする生き方です。

"ちょうどいい瞬間"とは例えば、朝起きて着替えて外出たら肌に当たる風の感じがなんかちょうどいいなぁとか、朝ごはんが遅かった日のお昼に食べた蕎麦の量がお腹の空き具合に対してちょうどいいなぁとか、流れてる音楽が今の状況に合っててちょうどいいなぁとか、あるじゃないですか。全てがピッタリとハマったような瞬間。そういう時ってちょっと嬉しいじゃないですか。でも実はその瞬間ていうのはさっき説明したように、自分がとった行動含めあらゆる要素が混ざり合って作り出す絶妙なバランスの上で成り立っているんです。まさに奇跡に近い状態なのに、大概は何気なく過ごしているうちに見過ごしてしまっているんじゃないでしょうか。そこで、そんな奇跡のような最高に素敵な瞬間をできるだけ逃さず大事に感じとっていこうっていうのがChoudo Yorkerの目指す生き方なわけです。

まずは、「お、今なんかちょうどいいな」っていう瞬間を逃さずに楽しむのが大事です。電車の時間調べずに駅来たけどちょうどいい時間のがあるなとか、紅葉が色づく今のような時期には、ここから見るとちょうどいい感じにグラデーションになってきれいだなとか。そしてただ受け身になって感じ取るだけじゃなく、時にはある状況に対して何をするのがちょうどいいのか考えて行動してみるのもいいです。これは普段皆さんがご飯何にしようかと考えるのと同じことです。選択が絶妙にハマった時は快感ですよね。自己流で作った炒め物の塩加減抜群とか、朝からのバイトが終わって夕方近く、疲れたなぁとゆっくり歩いて帰る時、そういえばって思い出してバックから取り出して食べたクッキーの甘みが、疲れた頭と体にちょうどよく染みるとか。もちろんその逆で今の違ったなぁっていうことも多々あります。お昼ご飯にカレーうどん食べたけど、どっちかというと米の口だったなぁとか。でも、そういう「違ったなぁ」もそれはそれでゲーム感覚で楽しかったりします。あえてテキトーにランダムな選択をするのも、結果が予測できない分テンションが劇的に上がったりします。シャッフルで曲を流していたら、まさに求めていたタイミングで好きな曲が流れ出すとか。あれ最高ですよね。さらに自分だけにとっての「ちょうどいい」じゃなく、友達や仲間との「ちょうどいい」を目指そうとすれば、1人のときより条件は多くなるのでやはり難易度は上がります。でもその分みんなでみんなの"ちょうどいい瞬間"を迎えることができたら、それはこの上なく素敵な時間になるでしょう。奇跡のバランスをより高難易度で実現し共有しているのですから。

「ちょうどいい」=「幸せ」説

僕にとって「ちょうどいい」とはすなわち「幸せ」なのかもしれません。ちょうどいい空間でちょうどいい人達とちょうどいい瞬間を過ごす時、なんとも快い幸せな気持ちになります。そもそも自分の望みという尺度において「ちょうどいい」と感じるわけですから、それは当たり前に幸せな状況ですよね。自分がある環境にいるその瞬間はもしかしたら最高に「ちょうどいい」かもしれない、または、この状況で何をするのが「ちょうどいい」かを考える、それはすなわち自分の小さな幸せを逃さず噛み締める、または作り出すということなのかもしれません。

今回はそんな「ちょうどいい」を楽しみ愉しむ高尚な遊び、Choudo Yorkerのすゝめでした。Choudo Yorkerチャンスはどこにでも転がっています!

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