深い場所にとざされたその沈黙を
ぼくはたまに想像する。
同時に
世界が一変してしまう何かについて
ぼくは考えている。
今月のひとこと
引力/重力/月の裏側/芸術は倫理観の外側に
4月胃袋
TIMEについて
私たちのエコロジー展について
デカローグについて
CALL MY NAMEについて
横浜トリエンナーレ『野草:今ここで生きている』について
幸せという詩が好きだった。「蛇口の下で手首にできた泡のブレスレット、」がパンチラインすぎて、一瞬で幸せな時にだけ纏うオーラみたいなのが胸に飛び込んできた。家に帰って朗読もした。
あと坂本龍一がナムジュンパイクの追悼イベントでやったヴァイオリンを引きずる映像も見れてよかった。ボロボロになったバイオリンも見て来た。ボロボロになったことで最後の瞬間の音が持続された時間を持つようになったように見えた。
あ、ここでも壊してた。
マークレッキーについて
5月胃袋
地中海美術館-モネについて
悪は存在しないについて
無理に感情をこめることをやめたセリフには印象が捨象されて、純度が高い原型だけが残っている。その余白に自分は対話をはじめる。自分の生き方や、環境について考える。大切な人のことを考える。自分の好きなことについて考える。嫌いなことについて考える。敵について考える。そうしているうちに、やがて自分の中の大事な、だいじな、心の空洞みたいな部分が揺らぎ始める。そこは普段はとても静かで、誰にも犯されない、自分すらふれてはいない空洞。
劇場から映し出された物語や映像や言葉がその空洞に触れようとしてくる。そして、それは今までの思考や対話をいとも簡単に、「無」に返す。ことごとく「無」にする。自分なりに血を流し、傷んだ心、生まれた感情、すべての思考がその無常によって更地にされる。
そして、そこには自分がいる。何もない自分がいる。
「自分が誰なのか言ってごらん?」そう聞かれている気がする。
僕は誰だろう。気づいたら泣いている。自分が今ちゃんと自分の足で立ってるのかがわからない。大切な人が何も言わず強く手を握ってくれる。やっと自分の息が聴こえてくる。やっと生きてる感じがする。目一杯、ぼくはなく。
(灰色の)青春について
文藝界/身体が一番わからないについて
オッペンハイマーについて
4-5月の自由なメモ
身体が切り出された純度の問題だ
本能の部分まで響く声
アメリカンな純喫茶で血を流す
神に誓いてえ/心の運動量
4-5月の自由な歌詞
レモンチェロ
惑星性質引力
みんなの胃袋
みんな今月もありがとう。