2.イリーガル
ロシアからの直行便で成田に降り立ったその集団は、一見すると浅草にでも向かいそうな日本好きの旅行者風にみえた。そのほとんどが、アメフト選手のように肩幅が広く、日本人よりはるかに体が大きいため、スポーツ選手団のようにも見える。
しかし、サングラスの奥に見え隠れするその眼光は異様に冷たく、周りにいる観光客はその集団が近づくと無意識に距離をとっているようだった。
遠巻きに見つめる他の観光客を気にすることもなく、大きめの荷物を受け取ると、空港の出口をへと向かう。
その集団では唯一の女性、先頭を歩くすらりとした容姿に今風のタイトスーツを着こなした女に、空港の公衆電話で話をしていた細身の男が近づき耳打ちする。
「同志カーラ。対象の潜伏先がわかったそうだ。日本のハイスクールだ」
「あの女が口を割ったのか?」
「目の前で娘の鼻でもそぎ落としてみせたんだろうよ」
ズミェイと呼ばれるこの男が、内戦時に敵のレジスタンスの娘をレイプした後、ナイフで鼻を削いでなぶり殺しにした話を楽しげに自慢していたことを思い出す。
その女、カーラと呼ばれたその女の秀麗な顔が醜くゆがみ、吐瀉物でも見つめるような視線を向けた。
男は、そういった反応を楽しむように、こけた頬に大きめの口を大きく歪めて笑うと男は傍らを離れた。
他の連中も似たり寄ったりの連中だ。決して気を抜くことはできない。
こんな奴らと一緒に仕事をすることもこれで最後だと気を取り直すと、
「作戦に変更はない。一旦、日本側が用意したセーフハウスに移動する」
と後ろから続く集団に声をかける。
一行は、空港ロビーの外で待っていた数台のバンに乗り込むと、東京方面に向けて走り出した。
霞ヶ関のビルの一角。オフィスから総理官邸を眺めることができるその別室で、内閣調査部外事五課の内藤武は、外務省から届いた極秘と赤い印の押された資料にもう一度目を向けた。
内容は現在、崩壊間近のソビエト連邦とその紛争周辺国からの難民、亡命者の対応が主なところだ。極東の遠い島国が、目的地とされることは少なく、これまで通りの個別での対応が一般的だった。
基本、日本は難民や亡命者の受け入れに関して消極的であったし、関連する法整備、体制も国家として稚拙なものが多かった。
内戦下の難民の状況を鑑みれば、日本も受け入れを促進するべきとは思うが、戦後の高度経済成長末期、バブルに沸く日本では特に気にもされない問題であったろう。
内藤のいるような部署が設立されたのは、表向きは合法的な対東側に対するカウンタースパイ、諜報活動対策が目的だ。それも、同盟国アメリカの指示によるところが大きい。しかし、裏では非合法な部隊を運用して、秘密裏に国威を排除するクリーニング部隊だ。
日本で活動する多種多様な諜報部員達に、”穏便に”国外に出ていただく”、もしくは、”消えていただく”ことを生業としている。
下部組織に所属するメンバーは、元傭兵、テロリスト、反ナショナリズム活動化、兵隊崩れ、等々、戦闘などでの殺人の経験がある者ばかりだ。
しかし、渡された別のファイルには、既に日本国内に移民してきた、数名の東欧諸国出身者の名前が記載されていた。
その内、1名について、これまでにない指示が記載されていた。
身柄の確保と、本人とその周辺の安全の確保。その後の指示は書かれていない。
「周辺の安全の確保?革命家の子息か何かか?」
内閣官房長官主席秘書官だった頃、同じような問題を扱ったことがあるが、その時の保護対象は、時の首相とも親交のあった、国内外で有名なロシアの民主革命運動家だった。
「あの頃は俺も、出世街道だったんだがな…」
まだ上を目指していた、遠い過去に思いをはせそうになるが、無理矢理意識を目の前の課題に戻す。
周辺の安全の確保、すなわち、暗殺やテロの対象となり得る人物ということだ。
しかし、特記事項として書かれていたのは、対象本人への警戒事項だった。
「爆発物でも持ち込んだか?やだねぇ、まだこっちでは高校生だろ」
バストアップで写された眉目秀麗な顔立ちと、その青い目になんとなく薄気味悪さすら感じてしまうが、それが書類に書かれたテキスト情報から与えられた偏見ではないかという思いが重なる。改めてみれば、日本人より大人びて見えるが、可憐な十代の少女だった。
電話を取ると内偵をはじめるべく、調査員、もっともその性質はかぎりなく工作員だったが、数名のチームに指示を出し始める。
「確保後の処遇は未定だ」
通常なら入国管理局扱いになるはずなんだが…
肝心なところで目的が濁されるのはいつものことだ。
確保後は省内のしかるべき施設に送ると言うことで指示を出すと、自分もジャケットはおり部隊に合流すべくドアへと向かった。
To be continued.