転換性障害の症状を良くするために

中等度うつ・解離性障害と診断されてから早2年ほどが経とうとしている。
転院後、転換性障害と再診断された。
世の中は変わらず動いているし、自分はここに立っている。そんななかでどうやって治療と、自分と、これからを過ごしていけばいいのだろう。

転院後、3度目の通院。

変わらずの猛暑が続いている。転院前はいわゆる町医者だったが、今は大学病院に通っている。ちょっと遠くて通いにくい。
でも2年弱治療をしていて良好には向かわない。先生も困ってしまったので私の方から転院の申告をした(もともと大学病院の眼科にかかっていたし、大きいところのほうが何かわかるかもしれないと思ったり町医者の先生おじいちゃんだし…と色々)。

今の主治医の先生は比較的若く、しっかりと受け答えをしてくれる。
最近こういうことが不安だった、薬の副作用でこういうのがある、じゃあこういう対処をしてみよう、といった感じで”取り除いてくれる”。
良い先生に出会ったのではないかと思う。

そんななか、2度の救急搬送のことを踏まえて、最近こんなことがあった、こういう症状が出ている、先日は…と、つたない筆談で伝えながら先生はひとつずつ答えていく。

忘れっぽいこと

私は今、3種類の処方薬を貰っている。
安定剤と、睡眠薬。以前より減ったし、これで今はなんとか安定している。

しかし、非常に忘れっぽくなっていた。
これは2種類の睡眠薬の内のひとつの影響だという。
寝れる代わりに、副作用がある。

良かった、転換性障害の一種なのかと思ってたから…薬の副作用か…

何かと忘れるのが苦痛に感じていたが、この薬を抜くと寝れなくなる。
どうしたものか…と思ったが休めないといけないときに寝れないのも辛いのでそのまま処方してもらうことにした。

胸が痛むこと

救急搬送されたときの過呼吸の状況から、いままでは「仕事を原因としたもの」なので快調に向かうはずだったがむしろ悪化の一途。
今回の件で「幼少期からの家庭が原因」ということが新たに認知された。

胸が痛むこと、更に追い打ちをかけるようにして「家庭トリガー」があると過呼吸になる。これが現状、一番の辛さだった。

昔から自覚はあった。
親が離婚してから、ずっと「家を離れたい」一心で、中学高校の時は極力家にいないようにしていた。父母、どちらの家庭にいるときも常に「家に居たくなかった」からだ。
専門学生になってしばらくして一人暮らしを始めたときはそれはもう心は休まった。今までできなかった、友達を呼べるのが一番の嬉しいことだった。
金銭のやりくりは大変だったし色々あったけど。
でも、人生で一番楽しかった。

主治医の先生曰く、「物理的に距離を離す」のがてっとり早い方法だという。
確かに、そうだった。物理的に離れれば気は楽だった。
でもしばらくすると寄って来る。寄らなくていいのに。

今住んでいるところも、同じ市内ではあるが、物理的にはかなり遠い。
その為にこの地を選んだのもある。しかし来たことで一番嬉しいことである「友達を呼ぶ」ことが出来なくなった。
それは旦那も同じ気持ちで、イライラしていた。

環境を変える、というのは一番の難点だ。
手軽にできるものでは無い、と思う。今は結婚し自宅を持っている。
10代後半、20代前半の頃は身軽に、そのまま今のことがあったら多分県外にパッとどっか行ってたかもしれない。

今できる、環境を変える、というのは…
子どもの頃やっていた、「極力家に居ない」ことだろうか…?
あの頃は友達の家に行ったり、公園だったり、バイトしていた高校時代はバイト入れまくってた。
今、じゃあ…「極力居ない」ようにするにはどうしたらいいのだろう。
とりあえずの居場所か…

「どこでもできる」を利用すること

1年ほど前から私はいろんな顔を持つクリエイターとして活動している。
イラストだったり、デザインだったり、Vログだったり…まだまだ見習いレベルだが、身体のことを考えて「家で出来る仕事」がしたくてクリエイターを目指している。

この仕事の利点は…「PCがあれば、どこでもできる」ということに気づいた。

そうだ、どこでもPC持って出かけては時間があれば開いてる。
これを利用しよう。

カフェや、ワーキングスペース…スーパー銭湯でも最近は出来るようになってるではないか。
というかあわよくばワ―ケーションしたい感…

これなら、自分のペースを守れるし、落ち着くことも出来る…

切り落としたい呪縛

親と家庭というのは本当に自分を左右される。
言いつけをよく聞くこと、親中心でぐるぐると回る子供時代って大人になっても付いてくる。不思議なことに、自我がしっかりしてても、それは付いてくるのだ。

親は一銭も出さない。居候をしてても出さない。当たり前に居る。家賃くらい出してくれと思う。好き勝手に使い好き勝手に散らかす。少しは片付けろよ、仮にも人んちだろ。
そうやって思うと段々イライラしてくるし胸が痛くなるのが最近の私。
絶対親孝行なんかしないんだから。そう、昔から決めている。

いつまでも縛られたくない、呪縛のような存在で嫌な腫れ物。
バスン、と切り落としたい一心だ。そうすれば胸の痛みも、イライラも、消えてくれるだろう。

私を否定する存在は一刻も早くいなくなってほしい。

やれることはやってみる

先月、精神障害者手帳と自立支援医療証を受け取り、幾分、治療や市内への移動に手助けを貰うことが出来るようになった。

次に先日、ハロワの担当者さんの勧めで社労士さんに障害年金の相談をした。居候している親には話してない。
受け取れるのか、制度の詳細や、今までこうだった…というのを事細かに、筆談でありながらも親身に話を聞いてくれた。
「一番は正常に戻れることです、大丈夫、受け取れるはずです。安心してください。」
と、言葉をかけてくれて、教えてもらった手順を、旦那に話して実行することにした。少し時間がかかるが…

今現状出来ることはこのあたりだろうか。

受けているクリエイティブ塾は少しペースを落としつつ続ける。
イラストや漫画の活動は来月ある即売会に向けてやることにして、
記録用のVログ編集は出来るときに思い出しながら手を付ける。
1人のときは出来るときに外に出て、ワーキングスペースなどを利用する。
(最寄りのバスの本数が少ないので中々動けないのがある…発症してから運転も控えてるので自家用車は車検無しの状態)

色々と制限的なものはあるが、出来るときに、やれることをやる。

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