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第四章 アイのネギ

24歳の私は北海道にいた。 

あの頃、喉から手が出る程欲しかったのは恐らく肩書きだったと思う。

私には学歴と資格がない。
かろうじてあるのは自動車免許くらいだ。
"自分"を主張出来るものが何一つないことが
恥ずかしく、情けなかった。


今思うとどーでもいい話なのだが、

育った環境、教え込まれた社会と
染み付いた考え方を
翻すような強さを
あの時は持ち合わせていなかった。

まぁ、若さ故もあるが
渦中で客観視することは非常に難しいものである。

両親にどうにか親孝行できる大人になろうと、
明けても暮れても勉強と仕事付けだった東京での暮らし。

やっとの思いで掴んだヨガのインストラクターという肩書きのおかげで
その身体と心を燃やし尽くした。

人が怖い。
声を出すことさえ自信がない。
電車に乗れなくなった頃、ようやく事の重症さに気づいた。

ヨガとは豊かに生きるためのそのやり方なのであって、
決して壊すものではない。

改めて未熟さを思い知らされた。

休養も兼ね、
私は培ったその一切を手放し、
女裸一貫旅に出ることにした。


そしてそこで奇跡と巡り合う。



着いたのは、上士幌。
そのずっと先にある、とある旅館。

ただの旅行ではない。
ここで住み込みアルバイトをさせていただく。

出勤1週間目。車で山小屋にいるスタッフを迎えに行った。



そこに、彼はいた。


草原の中から大量のアイヌネギが入った籠を背負い、両手には沢山の野菜を抱えながら登場した。


カタコトの日本語で
トイレハコッチダ
と貝塚のような大きな穴を指差した。


カルチャーがハードすぎる。


彼はワーキングホリデーで北海道にやって来た台湾人だった。
旅館の仕事を2週間程お休みし、近くの山麓山小屋で仲間と過ごしていた。

見た目は小柄な少年。当時29歳。誇張一切なく小学生に見えた。

例えるなら正にルフィ。

流石にゴムではないが、
ゴムの成分はあったと思う。

要はサルに一番近い。

外だろうと中だろうと、
靴を履けと言わなければ履かない。

一日一日に100%の力を使い切るのだがその配分が全く出来ない。
夜は歩けない程弱る。

四国のお遍路で歯を一本無くしていた。一体何と闘ったのだろう。

そして目を離すともう何処にも居ない。

つまり、
"待った"の効かないお猿さん。

万物の声が聞こえてきそうな程に自然を愛する、
ウルトラスーパーネイチャー人間だった。

出会ったその瞬間から私は彼の虜になった。


その日の帰り道、皆んなで温泉に寄った。
人見知りもあり、無言で足速に女湯の暖簾をくぐる。

すると、そこにはさっきまで後ろに居たはずの彼がもう女湯の脱衣所で服を脱ぎ始めている。

私は慌てふためいた。

え、え、え、
まずいまずいまずい!











ん??!!!
















何度見ても女性だった。











錯覚を起こしたのかと思った。

その瞬間、なにかが私の中でサァーっと溶けていった。





(ここからは彼女と呼ばせていただきます)

ここから始まる彼女との生活は
本当に本当に楽しかった。

彼女と毎日野山を駆け巡る。
木々をかき分け、山菜をもぎとり
川を渡り、山葵やキノコをとり
耳を澄ませ、音のある方へひたすら進む。

まだ水のない春の湖畔をヘトヘトになるまで走り回った。

見るもの全てが美しかった。


夏の夜、
彼女に連れられ散歩した。
空を見上げるとそこには満点の星。
時々それがキラッと流れ落ちていく。

周りを見ると木々の葉が風で揺れ
サワサワと音を立てている。

全てが生きているように感じる。

あまりの感動に言葉が出なくなり、自然と涙がこぼれ落ちた。


そんな私を見て彼女は言った。

"この木たちは
春はピンクになって
夏は緑になって
秋は赤になって
冬は黒になって
また緑になる
ゆっくりゆっくり生きている。

あなたも同じなんだね。"
















日本語もまだままならない、
取り繕う言葉を知らない彼女の
単純な言葉はされど、
今までの人生で聞いた言葉の中で

一番キレイだった。







こうしてあっという間に3ヶ月が過ぎ、とうとう彼女は母国に帰ってしまった。

別れ際に毎晩勉強した台湾語で書いた手紙を涙ながらに渡した。


それから、
彼女と毎日国際電話をするようになった。
台湾の夜市の様子や
台湾での登山、川や海の写真をたくさん見せてくれた。

朝の5時30分には仕事が始まるにも関わらず、来る日も来る日も朝が来るまで語り明かした。

そのうち、
毎日電話を切るのが名残惜しくなってくる。
会いたい気持ちでいっぱいになる。

彼女が教えてくれた山をひとりで駆け抜けたが途轍もなく寂しい。

そんな話をする様は、
カップルとなんら変わらなかったと思う。















彼女が男性だったらよかったのに。




















世の中、見えてしまえばなくなる気持ちがあることに
不思議に思うのであった。





そんなある日。
たわいもない話の途中、
急に彼女が
"彼女と別れた"と突然話しを切り出した。

状況が全く理解できないまま
話を聞いた。

この時、初めて彼女がレズビアンだと言うことを知った。

性や恋愛に全く興味がないのだと勝手に思い込んでいたので、
物凄く理解に戸惑った。

ましてや性を飛び越えるなど考えもつかなかった。

レズビアンの存在は勿論知っていたし、
東京の友人の友人女性はカナダ人女性と結婚し、同性結婚が認められているカナダに移住した。
その結婚式に行った話を聞かせてくれた。
心から素敵な話だと思った。


だがまさか自分の身に降り注いでくるなど
この時誰が想像できただろう。


だんだんと、彼女が私を好いてくれているのを察してきた。

その"好いている"は
友達の感情ではないのだと…。

東京の友人に何度も相談した。

この感情をなんと表現すればいいのだろう。


私は物心ついた時から色恋の少ない人間だった。
水商売をしていた事も相まって"性"というものがチラつくと拒絶してしまうほど、男性が苦手にもなっていた。

学生時代、彼氏こそいたが面倒で仕方なかった。

皆彼氏がいるから。
その程度だったように思う。

なのでいってしまえば
"普通の恋愛"をしたことがない。


私はおかしいのだろうか。
そう、悩んだことがある。
だがかといって女性を好きだと思ったことは一度もないし、同じ性に疑問を抱いたこともない。

固定観念なのだろうか
私が頑固なだけなのか
にしても容易に飛び込む事の出来ない世界な気がする…

難しく考えても仕方がないが
単純明快
引っかかる理由が後にも先にも
ひとつしかない。

考えても考えても頭だけの解釈では到底答えなど出ない。


ただ、彼女は私にとってかけがえのない存在だったことは確かで。


私はこの先、人を愛することが出来るのだろうか。
どうすることが私にとっての幸せなのだろう。


あの一報以来、眠れなくなった。



その年の9月。
彼女が日本にやってきた。
私たちは2週間、
東北を2人で旅行した。

私がジェンダーへの理解がないことを彼女は知っていた。

それでも好きだと話してくれた。

今考えるとこれ程勇気と覚悟のいる告白はないだろうと思う。

単に、
好きです
ごめんなさい 
では
意味が大きく変わってくる。

彼女の性の在り方や、
その存在を否定することになる気がしたからだ。

ただ、
私も好きです
といえる器は到底持ち合わせていない。

好きとはなんなのか
何をもって好きなのか。

人を好きになることに理由は要らないはずだ。
条件などないはずた。


じゃぁ、
一体私はどうしたらいいのか。



いい言葉も見つからないが
それを更に簡単な日本語にして伝えるのは無理難題だ。

分からないものはわからない。

ただ、彼女の事を一番近くで理解できる人間でありたい

そんなふうに伝えた。


飛び込む覚悟などなかった。
ただ、
今側にあるものを失いたくなかったというのが
本当のところだ。



そして答えは出ないまま、

私は生まれて初めて
彼女と交際をする選択をした。


幾度となく笑い、悩み、泣いた。


人を愛するというその根幹部分にこれ程悩んだ日々はない。

生まれて初めて愛される事を知り、
愛したいという葛藤のその理解に苦しみながら、
時間だけが過ぎていく。


因みに私は両親に隠し事を一切しない。
全部ありのままを伝えた。
どちらも寛大だった。

父は、
わしも経験してみたかったわ〜。

なんて言っていた。

母は、恐らくこの交際に満足はしていなかったと思う。
ただ、ひとつも責めることはなかった。

このことは両親にとっても
またとない経験になっていると我ながら思う。

多分これから先、
私がどんなパートナーを紹介してもあまり動じない気がする。

このことがどれだけ私の心を救ってくれたことか。
今でも両親には頭が上がらない。


話せる人には全てを話した。
その線引きは恐らく
この先一生関わることのできる人達かどうかだ。
良くも悪くも人と向き合うチャンスだ。

それからあっという間に1年が過ぎた。
触れればパリッと壊れてしまうような
脆い心ではあったが、
長い人生をかけて少しずつ進めばいい。
そう思っていた時だった。


当時遠距離だった私たちは
北海道で久しぶりに再開し、

何の前触れもなく
突然、彼女から別れを告げられた。




恐らく彼女は私の本心の本心をどこかで察していたのだと思う。



彼女は私に問いかける。

"もし女の私と男の私がいたら
あなたはどっちを選んだ?"
















答えられなかった。
そしてそれが最大の答えである。

それは同時に彼女のことを全否定したことにもなる。

あの瞬間、
どれだけ心が傷んだのだろう。
どれほどの屈辱だったのだろう。

後悔しても後悔しても悔やみ切れない。










あれから数年
立ち直ることが出来なかった。


































ただ、自分を責めるたびに思い出すのは、
最後にかけてもらった彼女からの言葉だった。














"あなたは自分のことが嫌いだとよく言う。
でも私は、
あなたを好きだったことに自信を持ってる。

あなたが見つけた人、
私が見つけた人、
みんな素敵なんだから。

これからも応援しているよ。"


























私はこの先一生、
彼女のことが大好きだと思う。

そこに関係性などもう要らない。
どこで誰と何をしていてもそんな事はもう問題ではない。

山が好き川が好き海が好き
それと同じように
彼女が好きだ。

"性"では語れない気持ちがある。




彼女という人間が、
どこかで今も笑っている。

それは紛れもなく私の踏み出す力の根源となっている。


今では彼女を好きになれた自分のことが好きだ。
勿論やることなすことに自信などないけれど、

そんな自分を好きでいてくれた人が
途轍もなく美しいことを知っている。


そしてそんな私もきっと

美しいのだと思える。



人を好きになるのに理由はいらない。


私はこれからもこの言葉について、
そしてジェンダーについて、
より近くから
考えていこうと思う。




27年目の春が来た。
この先も素敵な人生に違いない。

oki




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