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オジィのタスキ

コロナがアジアで発見されるその数ヶ月前。


私は台湾に一人旅に出かけていた。

目的はマラソン大会。
ハーフマラソン。
といっても29kmある。


新たな挑戦なのだぁぁあ!!


格好つけたが本当の理由は
単に観光スポットを巡る程の
お金がないからです。


参加申込みは全て英語か台湾語。

皆無。

友人の力を借り、友人に託し、友人に任せ、
申し込みをする事が出来た。


が、結論を言うとその申込みは半分不成立の状態だった。

確かに今考えるとその後何の連絡もなかったなぁと思う。

が、お金を振り込んだので何一つ疑問を持たなかった。
というより見ても何のことやら分からない。

後から知ったのだが、
参加者は事前に登録した住所にゼッケンが届くようになっていたらしい。

そしてそれが参加資格だった。


そんな事など知る由もない私は
何も持たずして意気揚々台湾に飛んだ。



私は台湾が好きだ。
何度行ってもワクワクする。

台湾はその昔、
日本が統治していた時代があり、
ご老人は日本語を話せる人が多い。

ただ、この話をするとどうしてもモヤモヤする。
セデック・バレ(映画)を知ったからかも知れない。

私はあの映画を最後まで見ることが出来ていない。
本で理解したつもりだが、
やっぱり怖い。
歴史を知るとは覚悟がいる。


旅行には必ず、
事前準備が必要だ。
バックに詰める時間はワクワクする。
ただ、旅行で着る服について悩む前に
その国の歴史を知ることが何より大切だと私は思う。

国の見方がまるで変わる。
そうすれば自ずと行きたい場所も見えてくる。

とはいえ、怖いものは怖い。
あの映画を最後まで見るというのが今後の私の課題だ。




話を戻すと、
台湾には有名な観光地が多くある。
その多くで言語に困ることはあまりない。

現地に知り合いが多くいた事もあり、
私の足取りはとても軽い。
ウキウキで台中に向かう電車を待った。


途中、何故か
現地人に3回も道を聞かれた。

私は生まれて初めて、

なんっでやねん!

と言った。

一重だからだろうか。



言語に困ることはあまりないと言ったが、
道を聞かれることは多少あるのかもしれない。




電車とバスと船を乗り継ぎ、
台中のずーっと奥にある日月潭というところに向かった。
潭とは湖畔のこと。
そしてここが大会の会場となる。

予約していたゲストハウスに着くと、
オーナーのオジィが温かく出迎えてくれた。
このオジィは日月潭マラソンのレジェンドだった。
今年は出ないそうだ。

ここでは日本語が一切通じなかった。
唯一、レジェンドオジィだけが英語を話せた。
といっても私が英語を殆ど話せないので意思疎通に苦労した。


明日の会場への行き方を聞くが、
何となく話の辻褄が合っていないことは分かった。

どうやら当日はこのゲストハウスの近くまでバスが迎えに来てくれるらしいのだが、
それに乗るためにはゼッケンが必要なのだという。

私にゼッケンがないことに気づいたオジィはくすくす笑っていた。

オジィはその後知り合いに電話をかけ、
駆けつけてくれたのが
なんと当日のカメラマンだった。

むちゃくちゃかっこいい好青年だった。
ただ、残念なことに彼は英語も日本語も話せなかった。

オジィがあれやこれや私の訳を説明してくれ、
明日は朝4時にカメラマンが車で迎えに来てくれることになった。

助かった。
オジィ、感謝!


当日、朝4時。
黒いセダンが来た。

彼はわざわざ車を降りて、私を車に乗せてくれた。
紳士とはきっとこのことをいう。

リンドバーグでも流れてきそうだが、車内は台湾の演歌が流れていた。

彼は朝食にと台湾の朝ごはんのダンピンとミルクティーを買ってくれた。優しさで涙が出そうになる。

美味しいと言うと

ニコッと笑ってくれた。


私は訳あって本当に少しだけ台湾語が分かる。
その後も耳をダンボにして一言一句逃さないように聞いた。


彼はカメラひとつで旅をしているという。この大会の後すぐ台北に行くそうだ。旅人は素敵だ。

どんな写真なのか見てみたい。
素敵な写真に違いない。

車を降りたらもう会えないと思うと、名残惜しい。
この時間が一生終わらないでほしいと素直に思えた。

心裏腹
こういう時間はあっという間に過ぎる。

きっとデートの時間は
時間軸を縮めてある。

そうに違いない。


…されど45分走行していた。

この奇跡がなければ、
私は到底会場にたどり着く事ができなかっただろう。

カメラマンはその後、会場の主催者に私の訳を話してくれた。
そのまま受付に案内された。

カメラマンは、

頑張って。
あなたを待ってるよ。

と、手を振って見送ってくれた。



白馬の王子様に見えた。



その後、私は受付で死闘した。
何度調べても私の名前はないと言う。
英語と母国語しか通じない場所で、

住所、名前、電話番号を日本語でハッキリと大きな声で伝えた。
今思うとだいぶイカれている。


現地のスタッフは親切に何度も見てくれたが、
受付表には載っていなかった。


そもそもオジィと話した時から不安だった。
ゼッケンがない時点で初めから参加など出来ていなかったのかもしれない。




何をしているんだろう………

人任せにしすぎたツケがきた。

なんでいつもいつも上手くいかないんだろう。

もっと稼ぎという実力を身につけて
多彩な言語を操りながら
チヤホヤされて生きていきたかったなぁ。

何処で間違えたのだろう…














情けないなぁ………
















立ち尽くしていた、その時。




後ろから











ナマエ、ギャクデ トウロク シタ 

チガウカ?












日本語が少し話せる台北のオジィが受付に覗き込んできた。
彼は参加者の一人だった。


私はすぐさま、名前と苗字を逆に言った。



















あった。











こうして
参加資格が与えられた。



よかったぁぁ……

と、ほっと一息も束の間。














120元プリーズ。


















荷物になると思い、
私はお金を一円も持ってきていなかった。


大誤算だった。








今度こそ終わった………














その時、また後ろから














タイワンへ ヨウコソ!


















台北オジィが私の参加費をあっさりと出してくれた。


私はこの時、
奇跡の中を生きていると確信した。


その後、オジィは何から何まで手配をしてくれ、
スタート地点まで行く事ができた。


私にとってはもうゴールに等しかった。




タノシンデネ!!


そう言ってオジィは人混みに消えて行った。

ありがたい。
オジィ、感謝!!


オジィ達のファインプレーは筋斗雲みたいだった。

スタート地点に立ち、ようやく一息つく。

ゼッケンを見ていると
涙が止まらなくなった。


無事スタートを切れたことは
ゴールした時よりも
遥かに清々しい記憶となった。



スタートしてからの景色は
もうあまり覚えていない。
それぐらい無我夢中で走り抜けた。

時々、何人か背中に風船をつけた人が走っていたのを覚えている。
風船には自己記録が書いてあった。

後で分かったが、前年度の記録が30位以内の人たちはその風船をつけていたらしい。

私は意味も分からないまま、その風船に必死についていった。

普通のマラソンとは違い、高低差がかなりある。
かなりキツかったが、直前まで山梨の清里でランニングをしていたのが功を奏した。

高山トレーニングはかなり効果があると思う。
ただひとつネックなのは、練習中にイヤホンが3つ壊れたことだ。

高山で練習するときはイヤホンを3つ以上持っていくことをお勧めしたい。





こうして私は
29kmの湖畔を無事制限時間内(5時間)に走り切ることができた。

スタート地点に立てた時からタイムはどうでも良かったが、
完走後に賞状と昼食が配られた。

記録  3時間9分
総勢  1253人中82位
女子の部  453人中28位

と書いてあった。


この記録がどうなのかはもうどうでもいい。
ただコロナがなければ翌年、
私は風船を付けることになっていたのかもしれない。

ちなみに昼食は
甘すぎる乾パンと
甘すぎるミルクティーと
甘すぎる砂糖菓子だった。




帰ってからレジェンドオジィに伝えるとめちゃくちゃ喜んでくれた。

素敵な人だ。

次の日、オジィのケータイに写真が送られてきた。

あのカメラマンが私を撮ってくれていた。

本当に嬉しかった。
自分の映る写真があまり好きではないのだが、
この写真は一生とっておくことにする。




ありがとう、日月潭の方々!




帰りの船の切符はオジィがくれた。
来年また来るとオジィと約束し、
ハグをした。


オジィと別れ、
船を待つ間に気持ちが高ぶりすぎて、
ランニングシューズをゴミ箱に捨てた。






何故なのかは今でもわからない。














帰り道、
台北でLGBTパレードに遭遇した

世界各地からあらゆるジェンダーが集まり、道路を封鎖し街を練り歩いていく。

とにかく凄かった。

虹色の旗を掲げて歩く姿に
心を強く打たれた。


私はジェンダーに疑問を抱いた事はない。
ただ、女性と交際したことがある。

色んな葛藤を生きた。


今でもジェンダーへの悩みはないし
対象は異性である。

だが、
これまで以上に

世界が広く感じた。


素晴らしい景色をありがとう。

私は奇跡の中にいる。

ただ、そのどれもに私は無力だった気がする。

奇跡とは紛れもなく、
誰かの優しさの連続なのだと思えた。


ありがとう。
心から感謝しています。

また来ます!






爽やかな気持ちで空港の検査場へ向かい、
大量に買った歯磨き粉を全て没収され
私は無事帰国した。

oki

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