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『タンマ』する子のおもい



このまえ、

男の子4人、途中から参加の女の子3人ドロケイをした


5分くらい経過すると、ドロのある女の子がタンマを使い始めた



すると一緒に行動していて仲間意識の強い、別の女の子もタンマを使いだし



タンマの文化がじわじわ蔓延しはじめる…



タンマありなんてルールにしてなかったから、当然ケイの人は

なんで!タンマなしだよ

となる


ケイの人は自分たちが不利になるから当然抗議する



よくある、「タンマありなし抗争」ですね


本当これはいつの時代も、どこの場所でもほとんど起こるよね。お互い有利に進めたいという想いであり、アイデアとも受け取れるけども…




その時ぼくはというと、

子どもがタンマをするのにはいつも理由があると思って、
その子の表情や言動、子ども同士の受け答えに、うなずきながら観察をしていた




でもまず子ども同士で主張しあえるってすばらしいよね
自分のやりたいことに向かって超前向きってことだし、さらには実際に行動に移せていて
そんな主張のぶつかり合いから、自分の主張を通す難しさや、人の主張をどれだけ受け入れるかなど、コミュニケーションを学んで行く

基本子どもの主張のぶつかり合い(喧嘩も含め)に大人は口出し不要だと思っている。大人が入ることで、大人の観点で正解な道には流していけるんだろうけど、はたして子どもにとって正解の道が正しいのか
大人の顔を伺い言う「ごめんね」にどれ程の意味があるのか
子ども同士で話し合って、こうしようと決めて、そこに多少お互いの気持ちのズレがあっても、多少の不満があったとしても、子ども同士で決めたことであって、最初から上手く取りまとめられる人なんてもちろんいないし、徐々に上手くなっていく、それがコミュニケーションだとおもうのだ

小さい時から怪我をしないように育てられてきた子は、いざ転んだ時に手が出ないで顔から行くっていうじゃん
コミュニケーションも同じで、そういうことだとおもう

大人も仕切ったりしようとせず、子どもと同じ目線で意見を言うって言うのはありだと思うけどね




「…トキをもどそう!(いまハマってる笑)」




よく様子を伺うと、
ある女の子には下の①、②の気持ちがあったのではないかとみた


ただそんなにドロケイがやりたくなかった
自分の主張を全て通す手段として「じゃあやめる」という禁術(品薄商法)を使っていた



女の子たちはそんなに前のめりになるくらいやる気があったわけではなかった
もちろん自分たちから「やりたい」と言って参加してきたが、やることがなくて「やってみるか」くらいの温度感に感じた


『わがまま』という言葉はあまり使いたくないが、自分の主張を通したくて、
なんだろ、心理的安全性というか、居心地の良さ(?)を求めてだったりもするのかな
それで「タンマなしならやめる」という品薄商法的手法で自分の価値を見出そうとしていたのかも
価値というか、みんなに求められたい(抜けないでと思われたい)という思いは少なからずあったとおもう



①と②は、①だから②をした、とも考えられる
その子は、そもそもそんなに乗り気ではなかったけど、誘われて、(他は、やる気の子と、どっちでも良い子の2人)やったはいいが、やっぱり乗り気になりきれなかったから、交換条件を出したのかも


自分の条件に乗るなら続けてもいいよ、
というかなりキツ目の条件。やめるにもただではやめない



んー、賢いな!笑



あの空間の使い方というか、
ちゃっかり友達を自分の主張の仲間にしつつ、相手にしっかり交換条件を示すという。



ぼくは、「やめるならやめなよ」という大義名分を胸に、でもその子の気持ちを知りたかったから、然るべき時まで黙り観察の戦略を続けたが、その時は来なかった




結局はその子と仲間に巻き込んだ1人はやめる事になって、他のメンバーでドロケイをやった




その間、
その抜けた2人はタイムキーパーのような役割で、なんだかんだドロケイに関与はしていた




やることがなくてタイムキーパーという役職を勝手に、買って出たのか


実はドロケイに(もしくはこのメンバーに)関わりたくて、でも嫌なこと(※)が含まれていてタイムキーパーという適度な役割を見つけたのか

(※ 走って疲れたり、をかいたり、汚れたり、一人だけケイになることだったり)




途中で、たしかその女の子とゆっくり話す時があって


わたしまず外そんなに行きたくなかった

なんで?

だって汚れるじゃん

現代っ子かよ!


という会話をした



汚れる


たぶん、汚れること自体が嫌なわけではなく

汚れた故に何か過去に不幸なことがあって、それに対してネガティブになってしまったのだとおもう



例えば、楽しく遊んだ結果、服が汚れてしまって
大好きなお母さんにこっぴどく叱られたことがあるとか



もちろん本当にキレイ好きという可能性もあるけど、わからない。どうなのだろう



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(おまけ)

『ヒマが遊びを生み出す』

外遊びに行くことに、ぜんっぜん乗り気でもなかった子が、おもしろかった
だってあんだけネガティブだったのに、
実際遊びに来ちゃったら、ムラサキツメクサで花束を作って、遊んでいた
やっぱり子どもってとくに、何か物事が始まるまでにはあれこれ言うんだけど、
始まってみたら楽しめちゃうところあるよね、笑
公園に到着しても
「ひまーひまー」
言ってたけど、ひまひま言いながら歩き回って、花見つけて、気づいたら花束を作ることに夢中になってて、
ヒマだからこそ遊びができた

おもしろかった。


『ヒマ』っていう状態はすごく大事だとおもっていて
それは徐々に楽しさへの期待値が下がっていくんだけど
それ故に小さな楽しさをより楽しく感じられるんじゃないかなっておもう
あえてヒマな時間をつくる&ヒマを楽しんでみるというのも、人生楽しむコツなのかななんて

ぼくは学童やプレイパーク、ボランティア等で子ども達と関わっています。原体験がその人をつくると、『心アツくなる思い出が出来ちゃう』そんな関わりを大切にしてます。詳細はトップ記事をご覧ください 前置きが長くなってしまいました。頂いたサポートは活動の際の何かに使わせて頂きたいと思います