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無事に放送大学2年目を迎えました。

今期は基盤科目と心理学の未履修科目を中心に選択しています。


思わぬ出会いは『社会と産業の倫理』という科目。高校以来の『倫理』にワクワクして学んでます♪

善と正、政治、国際法、寺院や神社の成り立ちと歴史、果ては天皇制に至るまで、この歳になって学ぶからこその気づきや発見があって……もう夢中になりそうです。


カウンセラーとして「何をよしとするか」という問いは常に持っていますが、そもそも『善い』とは何か、『正しい』とは何かを改めて問われ、学ぶ中で自分の信じてきたものが再構築されるような感覚を抱きました。

いま、わたしが感じている“当たり前”ですら、教育の中で培われた価値観に影響を受けているわけで、その背景には歴史的・政治的・国際的な意志が働いています。

倫理を学ぶことは、わたしを構成するあらゆる要素を洗い出すかのようで、テキストの一つひとつの記述が“問い”として頭の中をグルグルと・・・


倫理とは、善き生活習慣のことだとしても、いったい何が「善い生活習慣」なのか。それを「善い」とするのは何か。どうすればその「善さ」を達成できるのか。こうした問いは、倫理を追求するなら浮上せざるを得ないものとなる。これは、人が善く生きることを目指すなら、避けることとのできない問いだともいえよう。こうして、倫理は不可避的に倫理学を要請する。

放送大学テキスト 社会と産業の倫理'21 P12


「善い」「正しい」「合法性」「正当性」「公正さ」「正義」・・・次々と「なぜ」「どうして」「何をもって」と問いかけられるため、テキストが進まない(笑)

宗教と倫理も、「儒教」「国学」「復古神道」「神道」と何となく知っている程度だった知識が更新されていきます。

他にもSDGs、知的財産権、企業倫理、コーポレートガバナンスといった、産業における「善」や「正」にも話が及んでいきます。

これは・・・面白いぞ!!


そんなわけで、今日はずーっと提出課題に取り組みながら、倫理について考えていました。答えが出ない問いだからこそ、面白いんでしょうね。

それは対人支援の中でも生かされるはず。わたしの「善」と相手の「善」が必ずしも一緒とは限りません。そもそも違うものとして関わることで、相手への好意的関心が湧いてくるのでしょうから。

さぁ、2年目もがんばろう!



明日も佳き日でありますように

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