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[対話型アート鑑賞] 答えがないことを楽しいと感じるのはなぜだろう

今日は自主勉強会で「対話型アート鑑賞体験会」をオンラインで開催しました。
今年の2月にJCDA長野地区会主催の学習会で行ったこの学び。わたしがnoteで感想を書いたことに共鳴した仲間の猛プッシュもあり、講師の清水美和さんにすぐさまお願いをして実現しました。


今日は一参加者として加わってみて感じたことを、率直につづってみようと思います。


1.答えがないことが楽しい


対話型アート鑑賞では、一枚の絵画を見て感じたことをお互いに伝え合い、影響を与え合いながら、深く深くアートを楽しみます。

どう感じた方を伝えあうのですから、そこに答え=正解はありません。
だから、「わたしには悲しみと映ったけれど、ある方には喜びに見えた」なんてことが起こります。

そんなとき、仕事や勉強なら「どちらが正しいか」という思考になりますが、アート鑑賞にはそれがありません。どちらも正しいし、どちらも間違ってはいません。オールOKという雰囲気がとても心地よく、何を発言してもよいという安心安全な空気が漂います。

わたしはこれを「答えがないことが楽しい」と捉えました。逆に言えば、正しい答えを言わなければいけないというプレッシャーを感じず、自由に何でも言える環境を望んでいるとも捉えられます。

これはわたしがファシリテーションをする際に最も心掛けていることですし、正解ではなくあなたの意見が聞きたいと思うときに強く意識することでもあります。

恐らく安心安全な場で、自由に発言できる環境が整っていれば、参加者は本音で自由に思うがままを言葉にするでしょう。すると一人ひとりの個性が表われ、違いが表れます。その違いを楽しみながら、違いから生まれる化学反応を楽しむというのが、この対話型アート鑑賞にはあります。


答えがなく、違いが表れた状態をあえて保ち続けることは、ネガティブ・ケイパビリティに通じます。

正解を急いで求めず、答えを出すプロセスそのものを味わうことは、VUCA時代にはぴったりの感覚ではないでしょうか?



2.言語化のロスを減らしたい


見て感じたことを伝えたいのに、それを適切に表す言葉が見つからず……「もどかしい!」って気持ちを抱きましたね。

言葉のバリエーションが少ない、語彙力が足りない、と感じるながら話すことがあり、「もっと適切な表現ができれば」と何度も頭をよぎりました。

やはり『見る ⇔ 感じる・考える ⇔ 伝える』の間では、どうしてもロスが生じるようです。特に言語化のステップではそのロスが大きいような気がします。このnoteで綴る文章ですら、100%の表現はできません。もう少し解像度高く伝えられたら……そう思うと、自分の語彙力や表現力を高めたい気持ちがどんどん大きくなります。



3.絵画の中に自分を投影している


1枚の絵を見て、パッと目が行くのはどこでしょう?

最も面積を占めている部分?
周囲にあるもの?
人の表情や仕草?
無機質なもの?
色味や明るさ鮮やかさ?
作者や時代背景?

一人ひとりが持っている知識や経験、環境などが絡み合って「ものの見方」の違いが生まれます。ということは、目が行く部分も違いますし、その見立ても異なります。

例えば、ある絵の人物が笑った表情に見えるのは、自分が笑ったときの表情と重ねて見ているからです。悲しさを感じるのは、自分が悲しいときの表情と重ねて見ているからです。
「もしわたしがこのシチュエーションで、こんな言葉をかけられたら……こんな反応を示されたら……きっとこんな表情や態度を示すだろうな」という具合に。

絵画という外の世界にあるものを見ながらも、そこに映る何かに自分自身を投影し、無意識のうちに気持ちや感情を込めて、自分の内側の世界として捉えているわけです。

これこそ自己概念=ものの見方・捉え方であり、そこには一人ひとりの経験が大きく影響しているのでしょうね。

そうやって自分と向き合うための学びにつなげられるのは、キャリアカウンセラーだからこそかもしれませんし、内省が大好きなわたしの特長なのかもしれません。




仲間の声を受けて思い切って企画してみた『対話型アート鑑賞体験会』。
やっぱりやってよかったですね♪

普段だと何となく見過ごしてしまっている絵画も、きちんと向き合ってじっくりと見てみると、たくさんの新たな気づきがあります。それは自分自身と向き合うことにもつながります。

対話型アート鑑賞は、他者との対話だけでなく、自分との対話も大切にした鑑賞法なのかもしれません。だからキャリアカウンセラーとの親和性が高いのかも。


誰かから教えてもらって吸収する「知識伝達型」の学びも大切ですが、実際に体験しながら自分で気づきを得る「体験学習型・自己探求型」の学びも大切ですね。

大人になると特に後者の学びは自分の経験が活きてくるので楽しいと感じる場面が多いのでしょう。リスキリングやリカレントは、仕事に直結する知識やスキルを身に着けることが優先される風潮を感じますが、それだけではない体験学習や自己探求の学びも大切にしたいと、今日改めて感じました。

答えのない時代を生きるわたしたち。答えのないことを楽しみながら、学びを得ていくことができれば、きっと毎日がより彩り豊かになるでしょうね。

また何かを企画します!
ご一緒できる機会にぜひご参加くださいね♪




明日も佳き日でありますように

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