見出し画像

今日から始まった「#やさしさに救われて」に応募投稿します。



若者と向き合うとき、わたしは大切にすることを心に決めています。

「彼らの持つ力を信じる」
「彼女たちから教わる」
「無償の愛を贈り続ける」

このように、関わる2年間はテーマを持って臨んでいます。

コロナ禍で苦しかった一昨年と昨年、このときのテーマが『あらゆることに感謝して「ありがとう」と伝える』でした。

コロナが猛威を振るっていたこともあり、進学も就職も何かをあきらめざるを得なかった世代。思い描いていた学生生活が送れなかったところもありました。

そんな中で縁あって入学してきてくれた彼ら彼女たち。出会えたことに感謝し、ともに2年間を過ごせることに感謝し、成長する姿を見せてくれたことに感謝し、様々な制約の中でも夢を掴んだことに感謝する。毎日「ありがとう」と伝えることができた2年間でした。

もちろん、思うようにいかなかったこともあります。わたしが望んだとおりに動てくれたわけでもなく、期待通りに結果が出せなかったこともありました。それでも、できたこと、やろうとしてくれたこと、話を聴いてくれたこと、意識してくれたことなど、できている部分に目を向ければたくさんの感謝を伝えたくなります。それが毎日「ありがとう」と言えた一番のポイントだったと思います。

彼ら彼女たちは自分の力で未来を切り拓き、社会人として羽ばたいていきました。そんな成長する姿を見せてくれたことにも感謝の気持ちでいっぱいです。


こうして「ありがとう」を贈り続けたら、わたしにも変化が生まれました。

1つは「人のよいところに目が向く」ようになったことです。
「ありがとう」は有難う、有ることが難しいと書きます。反対の言葉は「当たり前」。当然だから感謝の言葉も出てきません。
ありがとうと伝えるためには、普段からしていることを当たり前と思わず、しれくれたことやできたことは難しいことだったと捉え、それに感謝の気持ちを抱くことから始めました。
すると見える景色が変わります。友だちに「おはよう」と声をかけてくれるだけで、クラスの雰囲気がどんどん良くなっていきます。言わなくても時間になったら掃除をしてくれて、学校がキレイな状態を保つことができます。彼ら彼女たちがいなかったらできていなかったことです。それは当たり前と思っていたら、きっと気づかなかったはずです。
おかげでよいところが次々に見えてきて、思わず「ありがとう」と伝えたくなってしまいます。

もう1つは「ありがとうと言ってもらえる」ようになったことです。
金子みすゞさんのこだまという詩のように、わたしが「ありがとう」と言い続けていたら、彼ら彼女たちからも「ありがとう」と言ってもらえるようになっていました。わたしにとっては当たり前のことでも、相手から見ればそれは有難いことのようです。それを素直に言葉にして感謝を伝えてくれるから、お互いに「ありがとう」と言い合える関係になっていきました。
忙しいときでも、気持ちが乗らないときでも、常にわたしの周りには「ありがとう」が溢れていた・・・そう感じていました。
もしかするとカクテルパーティー効果で「ありがとう」に反応する耳を持っていただけかもしれません。それでも、実際に感謝の言葉を口にする誰かがいなければ聞こえてこないはず。それは確実に誰かが「ありがとう」と言っていた証です。


「ありがとう」は「やさしさ」の表れです。
つまり、わたしの周りには「やさしさ」が溢れていたわけです。
これって実はとても幸せなことなのでは・・・そう思えて仕方ありません。


ちなみにこれまでも「ありがとう」のnoteをこんなにたくさん書いていました!

今日は最後まで読んでくださってありがとうございました!

ぜひあなたも「ありがとう」を贈り続けてみてください。とても気持ちよい毎日が送れますよ♪




明日も佳き日でありますように

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?