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『#大切にしている教え』with 日本経済新聞
日経電子版・日経COMEMOに掲載のチャンス!会社のメンバー、家族、キャラクター、本の著者など…周りの人から受けたアドバイスや姿勢が、いつの間にか自分の糧になっていた ──。そんな、今の自分のよりどころになっている「教え」を募集します!4月30日まで


「頼まれごとは試されごと」 中村文昭


以前、中村さんのお話しを伺う機会があり、そこで聞いた言葉です。

雑用ばかり頼まれると、そのうち「面倒だな」「嫌だな」と思うようになり、頼まれること自体を疎ましく思ってしまいます。

でも「頼まれごとは試されごと」。頼まれるということは、「その仕事をどれだけ本気で取り組み、心から喜んでもらうかというチャンスをもらっているんだ。その期待に応えられるか、試されているんだ」ということなんです。

まして雑用は、コピーする、掃除する、片付ける、買い物をするなど、やることがピンポイントで決まっています。
そんな雑用だからこそ、「面倒くさいな」と思いながらダラダラと手を抜いて取り組むのか、それとも「雑用であっても人を喜ばせるんだ」と一生懸命に取り組むのか、その姿勢の違いが結果となって現れます。
「魂は細部に宿る」といいますが、簡単で誰にでもできる雑用だからこそ、細かいところに人柄や人間性が現れるのでしょう。

本気で、全力で、一生懸命に、人を喜ばせるために、力の限りを尽くせる人は、自然と周囲の見る目も変わりチャンスが舞い込んできます。
雑用を雑に行わないというたったそれだけのことが、自分の人生を変える事すらあるということです。

それが『頼まれごとは試されごと』という言葉の意味だとわたしは捉えました。


でも、この言葉が自分の心を縛り、囚われを生み出しました。

『試されているのなら、そのチャンスを断ってはならない』と捉えるようになってしまったんです。

わたしは、夢も目標も自信もなく、ただただ誰かに必要とされることを自分の生きがいと思い込むことで、弱い自分を隠して生きてきました。

そんなときに『頼まれごとは試されごと』という言葉に出会い、「自分が頼まれごとに一生懸命取り組んできたことは間違っていなかったんだ」と思い込むように……きっと弱い自分を覆い隠すにはちょうどよかったのでしょうね。

そうやってどんどんと背負い込んでしまい、いつの間にか自分の手には負えないほどの頼まれごとに振り回されるようになります。

やがて自分がつぶれてしまいそうになったとき、周囲の仲間や諸先輩方が救いの言葉をかけてくれました。

「やりたいことだけをやればいいんだよ」

この言葉のおかげで、ようやく「断ってはならぬ」という呪縛から解き放たれました。


実はいまでもその傾向は残っています。必死に人のためにがんばりすぎてしまうのは、夢も目標も自信もない弱い自分を隠したいからでしょう。

でも以前と違うのは、「弱い自分もいることを認めている」という点です。

キャリコンとしてたくさんの学びを経験したおかげで、深く深く内省することができるようになりました。
ピアファシリテーターになってからは、毎月自分の関わり方をふりかえる機会があり、否応なしに自分と向き合っています。
「どんな自分でありたいのか」と問うことで、弱い自分や苦しかった自分と本気で向き合い、その結果「囚われ」を少しずつ手放すことができてきたのだと思っています。

この経験もまた、わたしにとってはなくてはならなかった貴重なものです。笑顔で話せるようになったのは、大きな成長なのかもしれません。


今日は「#大切にしている教え」をテーマに、自分の人生をふりかえってみました。

そのうえで改めて、「頼まれごとは試されごと」という言葉を大切にしたいと思います。でも以前とは違います。いまは「雑用であっても人を喜ばせることができる」という意味で捉えています。クスっと笑わせたい、ニコッと笑顔にしたい、ジーンと感動させたい、と思えば思うほど、些細な仕事にもやりがいを感じられますからね。

「岡部さんとご一緒できてよかった」と思っていただけるような人でありたいというのが、いまの「ありたい姿」です。少しずつ近づけているかな?

これからもわたしらしく、noteを通じて思いを綴っていきます。
よろしくお願いいたします。



明日も佳き日でありますように



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