#88 「みんな一緒」が負の連鎖を生み出す。
この記事は、
と考えている方の参考になれば嬉しいです。
時短勤務限界!深堀りして見えたこと
「時短勤務は長続きしない働き方だ!」と主張した記事から一転、少し冷静になって考えて深堀りをして、「みんな一緒」という考え方が負の連鎖を生んでいるんじゃないか……と考え始めています。
きっかけは、Withwork 松栄友希(まつばえゆき)さんの記事。↓↓↓
記事内容を要約すると、「ママにとっての働きやすさは違うから、それぞれのニーズを洗い出して、働きやすいステージで働いた方がいいよね」というお話。詳細は記事を読んでいただきたいのですが、この記事を読んで、私は「ママに限ったことじゃないよな」と思いながら読み進めました。
というのも、この記事は既婚女性に焦点を当てたものですが、シチュエーションや視点を変えれば、日本に住む人のほとんどに当てはまる事柄だからです。それが「みんな一緒」なのではないでしょうか。
少し時代錯誤なものではありますが、
など、どうしても親世代が通ってきた道が「正」で、それ以外は「誤」と見なされやすいですよね。世代に関係なく、人は自分が経験していない事柄に恐怖や不安を覚えるものではありますが、「みんな一緒」という考え方が世代を越えて踏襲され続けることが生きづらさとかしんどさに直結してるのではないでしょうか。
気づいたきっかけは、業務量過多の現状です。どんなにフル稼働でがんばっても終わりが見えない絶望。上司に相談しても聞く耳を持とうとしない……雇われの身だし、弱音を吐くことはリスクでしかありませんが、メンタルに支障があるとSOSを出しても何をしてもスルー。そういう状況を見ると、「みんな大変なんだから文句を言うな」と言われているように感じずにはいられません。
みんな一緒のみんなは誰のことなのか?
となると、ふと思い出されるのは、「みんな一緒」の「みんな」は誰のことなのか?という問題です。
この「みんな一緒」という考え方、毒親にめちゃめちゃ多い考え方なんですよね。毒親は世間体を重んじる習性があるので、そこからずれた時点で恥をかいたと思い込みます。「みんな」って、結局は「世間体」で、そこから派生するとしたら「ルール」「規律」「マナー」なのかなと。
もちろん、こういうのがあるからこそ、秩序が守られて安心して暮らせる社会ができているのだから、「みんな」の存在が否定しづらいことではあります。ですが、長い年月を経て「みんな」に縛られすぎて「生きづらさ」を感じている人が増えている印象です。
今は、インターネットの普及によって気軽に情報収集できるようになっているので、ひと昔前と比べれば、色々な価値観や考え方が受け入れやすくなってはいるのかもしれません。それでも、世の中には自分とまったく同じ人はいないのだから、「みんな」からさらに細分化して個人レベルに落とし込まない限り、良い方向に状況が変わることは考えにくいのかなと思わずにはいられません。
みんなから個人レベルへの落とし込み
話が脱線しましたが、冒頭で紹介した松栄さんの話に戻すと、「ワーママ」と言っても色々な人がいて、仕事に対する要望も生活環境(育児環境)も違います。それぞれの事情によって、できることとできないことも変わるので、会社の要望を一方的に押し付ける復職のやり方は、少なくとも見直した方がいいんじゃないかと思います。
会社の事情も理解してはいるし、関係上、雇用されている側のママが強気で主張するのも微妙かなとは思います。時短勤務はママでも働き続けるような仕組みであるはずなので、会社のルールがあるにしても、それ一辺倒になりすぎないことが重要だったりするのではないでしょうか。
とはいえ、現実的に考えると、子育てに非協力的だったであろうおじさんたちがワーママにどれだけ寄り添えるのか、理解できるのか……不可能に近いでしょう。私の場合、「やればできる」とばかり、根性論を押し付けられ、内心「それでどうにかなるんだったら、(上司に)SOS出さないわ!」と思いました。
これはもう、会社にすがってる場合じゃないなと。この数年で、起業や副業が推し進められるようになっているので、ワーママでもそうでなくても「仕事は会社でするもの」という当たり前を見直す時期なのかもしれません。
みんな一緒から抜け出すためにやること
「みんな一緒」だから安心できるのは一理あるのですが、無意識のうちに「みんな一緒」にとらわれすぎることで弊害があるなら、その考えをあらためるキッカケにしてもいいのかなと思うのです。
それは、ずばり「行動あるのみ」になるので、ハードルが高いことでもあるのですが……、みんな一緒であることに生きづらさを感じて、しんどい、苦しいと感じ続けるくらいなら、そうならない方法を選んで行動する方がずっといい。その過程で困難に直面することはあっても、その行動が現状を乗り越えるためのモチベーションとなりやすいからです。
今、私は自分の働き方を変えたいと思っていて、子育てをしながらできる範囲で行動を始めています。どちらかと言うと、考え方が凝り固まってるなという実感はありますし、それが毒親になる要因のひとつであることも理解しているのですが、変えようと思ってすぐ変わるか、個人差がありますよね。
私の場合は、日々感じる「生きづらさ」や「不便さ」を肯定的な言葉に変えるようにしています。ネガティブな表現だと、メンタルにもダメージ受けてしまうのではないか、という発想でいます。
そのため、会社勤めがしんどいは、「会社勤めをしなくてもいい(向き不向きがある」に変換しています。おのずと会社勤めをしないための行動をしやすくなるし、みんなと違うことをすることに抵抗が減るのかなという感覚です。
どうしても精神論に寄ってしまうので、この考え方を受け付けられない人もいらっしゃるでしょう。それでも、私のような毒親育ちには有効な考え方のひとつだと思います。
個人差はあるとはいえ、毒親育ちの頭の中は自分のことを卑下したりネガティブな思考でいっぱいな傾向があります。
私事で言うならば、少しマシになったとはいえ、認知の歪みはあります。相手が何気なく言ったことに過剰反応して、悪い方向に考えてしまうことが多いです。毒親の存在に対する解毒はできても、毒親から受けた影響によるトラウマ的なものの解毒はかなり難しいなと感じることが多いのも事実。カウンセリングなどを受けず、自力で毒親の解毒をするなら、毒親育ちに必要なのはみずから良い方向へ物事とらえるように仕向けることでもあるんじゃないかなと思うのです。
私は「思考は現実になる」ということを信じている派です。言葉にしたことも考えたことも、そういう結論を導き出すために自分を誘導していることだとしたら?少なくとも、自分のためにも子供のためにも、毒親と同じような人間にならないための選択をしていきたい。そのひとつの選択が言葉の言い換えなのです。
まとめ:みんな一緒がいいとは限らない
この記事は、
と言う方へ、毒親育ちで、現在はママになった私の見解を紹介しました。少しでも参考になれば嬉しいです。
ぶっちゃけ、みんなと一緒なことを選ぶ方が受け入れられやすいしラクですが、自分に合う方法・手段を選びやすくなってきているからこそ、「生きづらさ」を手放すチャンスが増えてきています。みんな一緒にとらわれすぎずにいましょう!
このコラムでは、毒親育ちママの私が、子育てや仕事で考えたこと、感じたことをざっくばらんに紹介しています。「子育てが不安」「毒親の悩みを聞いてほしい」などの相談は、事情のわかる人に話すのがイチバン!下記よりご連絡お待ちしています。
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