国家の締め上げによって健康になる不自由

 この間、喫煙が全面的に問題ない居酒屋の存在を知ってなつかしさを感じた。飲食店におけるタバコの規制が出たのは最近のことだが規制が出た当時は喫煙者でないにも関わらず喫煙者は肩身の狭い社会になって辛いだろうなと友人たちに話していたのを覚えている。健康が強く意識される時代において喫煙という自己加害行為はさげすまれるがごとく扱われている。受動喫煙という問題はあるのだろうが私はタバコに関する過剰な規制を快く感じていない。

 タバコ税もそうだ。かつてタバコはどこでも吸えて多くの人が喫煙者だったが、今では癌の可能性が上がる、健康を害するなど様々なことを言われ嫌われている。そして非健康的という観点からタバコの値段はかつての倍以上にまでなり、喫煙者を卒業する人も出てきた。これは決して健康意識からなるものなのか。私の周りで卒業した人はみんなタバコの値段があがって仕方なくやめたという。私はこのようなタバコのやめ方は不適切だと考える。

 タバコを吸う吸わないは個人の裁量にゆだねられている自由であり、これらは自発的に健康を意識しはじめるなどの経緯を持ってやめるのが適切ではないだろうか。先ほど紹介した私の友人たちはみんなタバコの値段が増税によって上がり、財布を苦しめるからという理由だ。彼らはタバコ増税によって喫煙の自由を失うはめになったのだ。

 しかし、これを結果としてタバコをやめて健康になるのだからいいじゃないかという人がいる。確かに健康になるのかもしれない。だが、喫煙者の全員が健康になりたいと思っているかは別の話だ。健康の押し売りによって彼らの生活の中での楽しみでありルーティンの一部が不本意な形で失われている現状は健全だとは思えない。健康の名のもとにタバコへの規制がどんどん強まっているのはこれが他のことにも悪用される可能性がある分、良いことだとは到底思えない。

 健康の名のもとに何をしてもいいのか。これは現在の環境にもつながる、エコの名のもとに何をしてもいいのか。あらゆるものは自発的であるべきで、これらは政治によって誘導されるなんてことは余計なお世話だ。

 政府が各個人の消費の方向や健康志向にまで介入するような規制は自由を侵害する行為であり、これを容認することは段々と政府が図に乗ることに繋がる。全ては個人の裁量に委ねられるべきであり、決して個人的にタバコが嫌いだからといってタバコの規制はいいと許すことは別のことで規制されることを容認されているのと同じである。結果個人の自由を守るためには政府の規制に反対することが重要なのだ。

 私の叔父は何十年も喫煙者だったが、結婚して娘が生まれたタイミングで禁煙した。私はこのような禁煙の判断こそが健全ではないかと思うのだ。私は政府からの圧力による自由の簒奪ではなく、あくまで個人の自由の範囲内で自発的に意識変化を求めるのがいいのだ。


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