自己中の国と見失った国―「日本とドイツ 二つの全体主義:戦前思想を書く」仲正昌樹(著)
「我々は手段のためなら目的を選ばない」
これはアニメ「HELLSING」に登場するキャラクターである「少佐」の言葉です。
今回の題名に私は「見失った国」と書きました。この「見失った国」とは「戦前の日本-特に昭和初期」をさします。
当時の日本は目的を見失い、手段としての戦争を無駄に継続していました。だからこそ私は最初の言葉を思い出したのでしょう。
日本とドイツは同じ第二次世界大戦の枢軸国として同じ陣営で戦い、負けました。著者である仲正昌樹氏はこの共有経験から両国を比較します。なぜ両国で全体主義が生まれたのか。歴史から紐解かれる思想変遷の旅はとても面白く、そして戒めにもなります。
・ドイツ・ナショナリズムという狂気
先に書いておきますと私はドイツが好きです。歴史含めて興味深い点がいくつもあります。ドイツ史における私の最大の関心は、彼らは定期的に歴史の敗者になりますが、必ず復活を遂げて影響力を確保することです。
この必ず復活するという背景に、ドイツ・ナショナリズムが関係しているのではないかと思います。著者はドイツ・ナショナリズムの内容を「ドイツ中心の普遍主義」という表現しました。
これ即ち、心の中では「ドイツの化学力は世界一」という自信を常に持っているということです。この発想は狂気に近いです。
なぜなら、今は敗者でも必ず私たちは立ち上がり、世界をリードするという野心を持っているからです。ある意味で羨ましい自信です。
このような興味深いドイツ・ナショナリズムについてさらに詳しく書かれているのが今野元さんの「ドイツ・ナショナリズム」です。よろしければどうぞ。
・自己を見失い続けている国
ドイツがドイツ・ナショナリズムという絶対的な自信に基づく国である一方で、当時の日本はどうでしょうか。こう考えたとき私は目的を忘れ、自己を見失っていたと思うのです。
欧州ではないアジアで過ごしてきた日本は、ドイツと違い「追い抜こう」ではなく「追いつこう」が目的でした。
第一次世界大戦ではドイツと日本は敵同士であり、日本は戦勝国として、ドイツは敗戦国としてヴェルサイユ会議を迎えます。
考えてみると第二次世界大戦における枢軸は「反ヴェルサイユ体制」という意味でした。
始まりはイタリア首相のムッソリーニがドイツのヒトラー総統との関係を「ローマ=ベルリン枢軸」と評したことです。
ヴェルサイユ体制側だった日本が枢軸というのは違和感があります。このようなことからも日本が自己を見失っていたと感じるのです。
目的を失い、第二次世界大戦でアメリカ・イギリス・中国・オランダの4か国と戦うことを選択し、結果敗戦した日本。
戦争の目的は何だったのでしょう。様々な研究がされていますがどのタイミングで戦争を終わらせるかということを首脳部が考えていたかは疑問です。
・おわりに
人間は間違う生き物ですから、間違いは仕方がありません。ですが同時に人間は反省できる生き物でもあります。
ドイツは敗戦後再び復活しました。「EUの盟主」であり、フランスの学者であるエマニュエル・トッドは今のドイツを「第四帝国」と称します。NATOに加盟し核シェアもしています。
一方の日本はどうでしょうか。未だに自己を見失っているような気がします。
「なぜそれをするのか」「必要なのか」「効果はあったのか」「目的は」。相変わらず何となく動いています。この自己のない状態こそが日本が「戦前-戦後」と引き継いでいる問題です。
著者は戦後日本人が抱える問題を天皇だとしますが、私はそう思いません。国民それぞれの中にある自己が見当たらない空虚な状態こそ問題なのです。
哲学者の千葉雅也氏がこんなツイートを投稿していましたので、紹介して終わろうと思います。私も言葉にポリシーをと意識させられます。
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