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課程博士の生態図鑑 No.7 (2022年10月)

Good Design 賞をいただきました

いきなりだが、なんと Good Design Award 2022 をデザイナーとして受賞させていただいた。僕が修士課程の頃からお世話になっている会社のプロダクトである。

元々賞自体に興味はなかったのだが、会社の勧めで去年から応募していた。今年はなんとか受賞することができたが、個人的にクオリティはまだまだ改善が必要だなと思っており、ベスト100にも入っていないので大きな声で誇れることではないと思っている。ただ、こんなにもネガティブなスタンスでは落ちた方々に失礼なので、ここは素直に喜んで次に繋げたい。また、大学の先生曰く、学生のうちにこの賞を受賞したのは、僕の大学で初だというので、それを聞いた時はちょっとだけ気分が上がった。

11/1に開催された受賞式での一枚


プロダクトを軽く紹介

せっかくなので、受賞したプロダクトがどんなものなのかを簡単に紹介したいと思う。

端的に表現すると、不動産管理会社と外国人入居者のコミュニケーションを円滑にするサービスで、名前はDicon(ダイコン)である。Diversity Concierge の略称だ。僕のポートフォリオサイトにも掲載している。

近年、コロナウイルスの流行があったものの、日本で暮らす外国人は現在でも多く存在しており、日本語が得意ではない方が多く存在しているのも事実である。彼らは自身の困りごとを不動産管理会社にうまく伝えることができないという。

また、不動産管理業界はデジタル化がうまく進んでいない会社が多く、入居者とのコミュニケーションは電話が主流という現状。なので外国人入居者だけでなく、管理会社側にとってもコミュニケーションに対する心理的な負担は大きいという声を多く耳にしていた。

さらに、日々多くの業務をこなしている管理会社は、電話のような同期コミュニケーションに多くの時間を割くことができず、日本人の入居者の困りごとを解決することさえ苦労している。

そこで、自動翻訳機能を搭載したチャットツールにより、不動産管理会社と入居者のコミュニケーションをシームレスに繋ぎ、人々の自由で快適な生活を実現するツールの開発を行ったというわけだ。

僕がこの会社にジョインしたのは修士1年に上がるタイミングで、その2、3ヶ月後に Dicon のプロジェクトが始まったと記憶している。なので今から約2年半前ということになる。思えば結構長いなぁ。

この頃にはなんとなく会社の信頼を得ることに成功していたので、サービスの企画段階から参画させてもらえることになり、みんなでガヤガヤとアイデアを練れたことは貴重な経験だった。まぁ、アイデアの種は社長が撒いてくれていたので、僕はそれに微量な水を与えた程度だが。

多言語対応の UI 作るの難しすぎ問題

先述した通り、このサービスは日本で暮らす外国人をターゲットにしているため、UI のデザインを考える際、日本語だけではなくて様々な言語を想定してレイアウトしなくてはいけない。基本は日本語ベースで作成していたが、検討が必要だと感じた部分に関しては 10個くらいの言語に翻訳して、UI のパターンを用意する。これがかなり大変だった。

下手に要素を横並びにレイアウトすると、例えばスペイン語に翻訳した際、日本語よりも文章が長くなってしまうので画面外に文字がはみ出てしまう(文章にもよるが)。なのでできるだけ縦に要素を並べることを心がける。そうするとデフォルトである日本語のレイアウトの重心が左寄りになってしまってキモい。みたいなことの繰り返し。なんとか複数の言語の丁度良いバランスを見極める地道な作業だった。これからもかなり改善が必要だが。

Good なデザインってなんだ

今回 Good Design Award を受賞したことをきっかけに「Good なデザインってなんだろうか」という疑問が湧いてきた。なぜ Best Design Award ではないのだろうか。いまだに答えは出ていない。

試しに Good Design Award の公式ウェブサイトを見てみた。

グッドデザイン賞は、デザインによって私たちの暮らしや社会をよりよくしていくための活動です。

https://www.g-mark.org/about/

これを見てみると「よりよく」という言葉に目がいく。これは逆に言うと、より良くすることしかできないよねっていう意思表示なのかもしれないとも思ったりしている。ちょっと捻くれすぎですかね。ただ、「デザインの力で世界を変えるんだ!」みたいなことを言っているエバンジェリスト達よりも、よほど謙虚で素晴らしい姿勢だなと思う。

グッドデザイン賞はデザインの優劣を競う制度ではなく、審査を通じて新たな「発見」をし、Gマークとともに社会と「共有」することで、次なる「創造」へ繋げていく仕組みです。

https://www.g-mark.org/about/

また、究極的な完成度を求めているわけでもなさそう。もちろん、ベスト100を眺めてみると、クオリティが段違いなプロダクトが多くを占めているが。上記の引用文に書いてある通り、この賞は優劣を競う制度ではなく、可能性を広げる活動のように思える。実際、僕らが受賞したプロダクトも、完成度はそこまで高くない。もし応募し続けるとしたら1年後か2年後に受賞できればいいなと思っていたくらいだ。

しかし、僕の見解は公式のものとはちょっとだけ違う。デザインは問題解決だとかイノベーションの文脈で語られることが多いが、そもそもデザインというのは問題を解決するのではなく、変形させることしかできないのかなと思っている。

ここで、先々月くらいに読んだ本を2冊ほど引用してみることにする。

設計者が意図した意味や用法はそのデザインの真の意味ではなく、むしろそのデザインによって利用者がいかに行動を変容させたかによってその設計の意味が決まることになる。だとすればデザインという行為それ自体をプラグマティズムは無効にしてしまうようにも思われてくる。(中略)そうしたデザインが意味論的にそもそも不可能だとなれば、デザインのあり方、その定義を根本から再考する必要が生じるだろう。デザインとは問題を解決するものではなく、ある状況のなかで行方知れずのシリーズを開始することであり、そうすることで状況を変化させることである、というのがその新たな定義になるだろう。

デザインに哲学は必要か

デザインとは、「対象に異なる秩序を与えること」と言える。デザインには、物理的な変化が、アフォーダンスの変化が、ふるまいの変化が、こころの変化が、現実の変化が伴う。例えば私たちははき物をデザインしてきた。裸足では、ガレ場、熱い砂、ガラスの破片がちらばった床、は怪我をアフォードする危険地帯で踏み込めない。はき物はその近く可能な現実を変える。

デザインド・リアリティ

デザインド・リアリティのこの文章については、過去にも note で取り上げている。

これらの文章からは、いかにデザインの意図がユーザーによって変化させれらているのかが読み取れる。厳密にはユーザーも変化しているのだが。問題解決をしようと試みても、本質的にはその問題と向き合い、対処していくのはユーザーだ。道具を供給したのちに、どのように問題と向き合い、状況を変化させるかは使い手次第。そこをコントロールなどできない。Takram の渡邊康太郎さんが言っているようなコンテキストデザインにも近いかもしれない。

他にも、デザインは意図して進化するものではなく、かなりランダムなプロセスなのではないかと主張する研究者もいる。ここでは詳しく触れないが、ぜひ読んでみてほしい。

ちなみにこの松井実さんという研究者の方、めちゃめちゃ面白い。今最も推している人の一人だ。着眼点も面白いし、仮説を検証する方法も鮮やか。本当に憧れる。

ちょっと話がそれてしまったが、デザインというのは、つくっている段階では意図や目的に支配されて創造行為を行なっているが、いざユーザーの手に渡してみると想定外の挙動をしまくるので、状況をよりよくするような Good な(よりよくという言葉を使うと Better の方が合ってる気がするが…そこは置いといて)デザインしかできないのだ。

また、例え綺麗に問題が解決できたとしても、別の問題が浮かび上がってくるだけとも言える。デザインだけと結びつけていいのかはわからないが、例えば電子書籍はペーパーレスを実現するが、鉱物を採掘したり、電力を大量に使用したりすることによる新たな環境負荷が生まれる。ブロックチェーンの技術も環境負荷が議論されていたりする。世の中に完璧に問題を解決しているような Best な事例などほとんどないのかもしれない。

まとまりのない話ですみません。


研究の進捗

今月は実験の準備と実施に追われていたり、論文に対する指摘箇所の修正をひたすらやっていた。つまり、あまり進捗はない。いや、実験を実施したりしてるという意味では進んでいるのか。しかし、思考のアップデート的なものはあまりなかったな。今月は色んな意味で一番しんどかった。という報告程度にしておこう。


面白いと思った事例など

文献

1. 我が国の新・デザイン政策研究

https://www.meti.go.jp/policy/mono_info_service/mono/human-design/file/2022MRIreports/gaiyo.pdf

我が国の新・デザイン政策研究のPDF

海外のデザイン政策事例がまとめられていて、非常に勉強になった。例えばイギリスやデンマークでは、デザインを義務教育に導入していたり、デザインカウンシルやデザインミュージアム等の多様な主体が、一般市民向けのワークショップを実施する等、豊富なデザイン教育機会を提供していたり、政治家とデザイナーが自国の社会課題とデザインについて議論するワークショップ等が開催されているらしい。

また、韓国では研究開発の全ての過程にデザイン関係者が参加するシステムを政府省庁・民間企業・地域レベルで浸透させる取り組みをしている。韓国という近くの国がこんな取り組みをしているのか。

さらに、デザイナーに対するリカレント教育に力を入れている事例も見受けられた。確かに、近年急速にデザインの領域が拡大しているなかで、デザイナーに対する教育も重要だよねって思う。

2. テクノロジーが予測する未来

我が校(千葉工業大学)の変革センター所長を務める伊藤穰一さんのご著書を読んでみた。

8月の note にて、DAOの良さがイマイチわからない、意思決定が遅くなるだけでは?みたいなことを書いたのだが、この本を読んでちょっと理解できた気がする。

DAOにはそもそも「経営者、正社員、契約社員」といった区分がないので、「女性の管理職はわずか7.8%にとどまる」「同じ仕事内容でも、非正規雇用の給料は正社員の70%足らず」といった文脈の格差是正にはつながりません。しかし、「自分にできること(得意なこと、好きなこと)で貢献できればOK」「いつ、どこで、どれだけ働いてもOK」というDAOならば、さまざまな事情で既存社会の固定された働き方が難しい人たちにも、多様な働き方の可能性が開かれます。

テクノロジーが予測する未来

上記は、日本のジェンダーギャップ指数が最悪だということを踏まえての主張だ。確かに、DAOには格差という概念自体があまりないのかもしれない。そもそもメタバースの世界観では、一つの肉体に一つのアイデンティティという制約がなくなることが予想されるので、DAO的な働き方はその世界観とかなり親和性が高い。もう、これが強みの全てなんじゃないかという気さえしてくるくらいこの主張はしっくりきた。来月あたりに、実際にDAOの見学を軽くしてみようかなと思う。

3.AI art looks way too European

AIが作成するアートが、西洋の影響を受けていると指摘する記事。非常に面白かった。AIにさらに学習をさせたとしても、今まで学習したデータを忘れることはないので、西洋的なバイアスから抜け出すのはまだまだ難しいらしい。AIですらもバイアスを無くすのは難しいのは驚き。確かに、バイアスがゼロの世界はカオスすぎて扱いが不可能なのかもしれない。

事例

1. Fockups

自分がデザインしたもの(主にグラフィックデザイン)を、バッドコンディションなモックアップに仕立て上げる。世の中に実装された時、いつも完璧な状態とは限らないから、モックアップも完璧であるべきではない。という思想っぽい。

Fockups

2. CURATED

CURATED

自分が欲しいプロダクトを、専門家が一緒に選んでくれるサービス。AIがものづくりに参加する時代において、クオリティの高いものが創れる能力よりも、キュレーションできる能力が重要になるのかもしれないなと。キュレーションは個人的バズワード。

3. Electra Ramen Bar Branding by FatFaceStudio

サイバーパンク風のラーメン屋。ブラジルとアイルランドに拠点を置くデザインスタジオがブランディングしたものらしい。めちゃめちゃイカつい。次はスチームパンク風のラーメン屋を頼む。


今月はこんな感じで。ではまた来月。


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