岡野バルブ製造株式会社 岡野 武治

約1世紀にわたり世界的ニッチトップを歩んできた岡野バルブの4代目。大学在学中に世界50…

岡野バルブ製造株式会社 岡野 武治

約1世紀にわたり世界的ニッチトップを歩んできた岡野バルブの4代目。大学在学中に世界50カ国くらいをバックパッカー経験あり。趣味は筋トレと旅行。いろんなトリクミ、タクラミを虎視眈々と。

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DamesとHerenとRestaurantと私~バルブワールド編~②

さて、ウシロから「またてめえやりやがったな。」と詰められないように、最初に真面目な話をしておく。 欧米の展示会と日本の展示会の違い これまで国内外問わず、数多くの展示会に行ってきた。 今回のバルブワールド然り、他にも電力分野に特化された世界規模の展示会「POWER-GEN」、化学技術、環境保護、バイオテクノロジーに関する世界規模の展示会「ACHEMA」、国内外の工作機械を東京ビッグサイトに集めものづくりフリーク垂涎の日本国際工作機械見本市「JIMTOF」を筆頭に、その他

    • DamesとHerenとRestaurantと私~バルブワールド編~①

      シナイ山で死にかけた話も終わったので、今回からは少し本業に関わる話を。 2年に1度ドイツのデュッセルドルフで開催される胸熱のイベントがある。 そう、皆さんご存じのバルブワールドである。 バルブワールドは世界中からバルブメーカーが集まり、3日間に渡って開催されるバルブの展示会。なんとあのポンプワールドと並んでの同時開催である。これは工業プラント配管系の民からすると、ブルーノマーズとジャスティンビーバーが同じ場所で同時にライブをするようなもの、まさに神イベントなのである。

      • #19 シナイ山で死にかけた話⑭ epilogue

        聞いた、見た、試した。 もうここに思い残すことは無い。 太陽は地平線から離れて小一時間。 日光も体にチャージされてトカゲ系男子の私は活性を取り戻した。 0830(マルハチサンマル ※くらい)帰投を開始する! 新たな戒 何よりも腹が減った。 よく考えたら食料も持たず、水も最低限、何かあればイチコロの装備である。 若いって素敵やん。 下山はもちろん悔い改めの階段で。 同じ道帰っても面白くないからな。 岩の階段を重力のアシストをもらって降るだけなので、サクサクと降りれる。

        • #18 シナイ山で死にかけた話⑬

          ついにシナイ山頂(標高2285m)に到着。 午前2時を過ぎたら、一番に小屋に入ろう、HAPPY登頂。そう思っていたのに、肝心の小屋は南京錠で封印され、行き場を失った私たち。 日の出、ご来光まで、まだ4、5時間はあるか、どげんすんねん。 東ハンター どげんもこげんもない。 ただ待つのみである。 折角一番乗りでHAPPY登頂したのだから、ご来光は特等席で見たい。 日の出は東の方角からということくらいは知っているが、肝心の東がどちらか解らない。 スマホは無い時代だし、ガ

        DamesとHerenとRestaurantと私~バルブワールド編~②

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        • シナイ山で死にかけた話
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          #17 シナイ山で死にかけた話⑫

          シナイ山7合目くらいの小屋で、小屋番のおっさんが入れたティーをひとしきりシバいたので、出発です。   時刻は深夜0:00から1:00くらい。   小屋番のおっさんも「この時間から登ってどうする~~」的な感じですが、ここに居てもね。 煙草無心されるだけだし。 自然石階段750段 ラクダの道はここから悔い改めの階段と合流し、自然石で出来た階段を登ることになります。その時は知らなかったけど、ネットで調べたら750段くらいだそうです。   ここからはオンザキャメルことはできず、ノ

          #17 シナイ山で死にかけた話⑫

          #16 シナイ山で死にかけた話⑪

          先日、うちの広報チームにnoteの原稿を奉じたところ、私のnoteを「何の広報やねん(怒)」と苦々しく思っている広報チームのリーダー、ウシロからこんなお便りをSlackで頂きました。 なんだそりゃ(笑) そもそも仕事さっくり終わらせて定時で帰らんかい。ウシロいつも頑張ってくれてありがとう。 心配しなくてもこのシリーズもいよいよ終盤です。とはいえ半年引っ張ってるんだから、そりゃウシロも怒るか。。。 アラビアンナイト 我々のキャラバンは、先頭に松明をもったラクダ屋の親父、

          #16 シナイ山で死にかけた話⑪

          #15 シナイ山で死にかけた話⑩

          ついに到着、シナイ山の麓(ふもと)。 記憶はあやふやですが、確か夕刻くらいだったと思います。   シナイ山の麓は、Saint Catherine(サンタカテリーナ|セントカテリーナ|聖カタリナ|聖カトリーナ|聖エカテリナ)という町というか集落がある。   日本語表記にすると色んな発音になるのは、ヨーロッパ系の言語のルーツが同じで、Michaelが、マイケルだったり、ミッシェルだったり、ミカエルだったりするのと同じクダリです。 Saint Catherineってなんぞ?

          #15 シナイ山で死にかけた話⑩

          #14 シナイ山で死にかけた話⑨

          シナイ半島で乗り換えたワゴン車は、片側に砂漠地帯、片側にゴミひとつ無い真っ白な砂浜とエメラルドグリーンの海という風景の中、進んでいきます。   すし詰めに近い車内と、現地の方の濃厚な絡み、それらに気を取られていましたが、目の前には神々しい光景が。 晩年のキリスト 高い鼻梁と窪んだ眼窩と青、いや緑の瞳、比較的小柄な白人男性。   金髪と茶色の中間色の髪はウエーブのかかった長髪でペタッとセンターで分かれ、同色の無精ひげ、服装は現地の民族衣装である白いガラベーヤ(単なる布か?)

          #14 シナイ山で死にかけた話⑨

          #13 シナイ山で死にかけた話⑧

          バスはカイロ市内を抜けて一路東へ。   過疎地を除いて概ねだらだらと街並みが続いている日本と異なり、海外は街、無人地帯、街、とメリハリがしっかりしているケースが多いです。国土面積と人口の問題ですかね。   カイロ市内を抜けたバスは、茶黄色な砂と土と石の世界を進み、時折ある街や集落で停車、乗客の乗り降りと乗客と運転手の休憩がおこなわれます。当然我らがバスにトイレなんぞはついていません。 長距離バス休憩タイムの過ごし方 私は実はどこの国でもこの休憩タイムが好きです。特に集落で

          #13 シナイ山で死にかけた話⑧

          #12 シナイ山で死にかけた話⑦

          シナイ山に向けて出発です。   数日間お世話になった宿にチェックアウトを告げ、荷造。   とはいえバックパックひとつで、持ち物もパスポート、多少の現金、最低限の洋服、暇つぶし用の本、水くらいなので、支度は秒で終わります。   その習性が染みついているのか、今でも出張の時の装備は極めて軽く、「え?それだけですか?」と言われる(引かれる)ことがしばしばあります。 一二泊の出張なんか3P(パソコン、パンツ、パッション)があれば十分というのが私の持論です。あ、最近はプロテインが追加

          #12 シナイ山で死にかけた話⑦

          #11 シナイ山で死にかけた話⑥

          さてエジプト生活も慣れてきたのでそろそろカイロを発つ頃合いです。   なんとなくアスワンに行ってみたいとは思っていました。 アスワンはカイロからナイル川沿い850km南下したところにある街です。 あらかじめ言っておきますが、このくらいの距離の陸路移動はバックパッカーにとって当たり前です。きついけど。   なぜアスワンに行きたかったのかというと、なんとなく名前がオシャンなのと、アスワンにはあのMen’s egg専属モデルとしても名をはせ、エジプトで一番のギャルであるパトラ(

          #11 シナイ山で死にかけた話⑥

          #10 シナイ山で死にかけた話⑤

          カイロ市内に到着しまずは現地の生活に馴染もうとした私たちは、根がクズなこともあり、あっという間にエジプト人ダメダメオジサンと類似した生活を送り始めました。 安宿で起きると外に出て、露店でコシャリを食べ、適当にふらついて、シーシャ(水タバコ)を吸い、ティーを飲み、バックギャモンをプレイして、夕食(まあまあ1日2回コシャリ)を食べ、適当にふらふらして宿に帰り、寝る。 毎日色んな人に絡まれサブストーリーが発生するので、何もしていないようで色々なことが起こる生活です。   とは言

          #10 シナイ山で死にかけた話⑤

          #9 シナイ山で死にかけた話④

          私たちの旅のテーマは現地レベルで「暮らす(≒生きる)」ということ。 いつかこのnoteでも書くと思いますが、無人島生活しかり、バックパッカーしかり、日本男児たるもの如何なる環境でも褌(ふんどし)一丁で生き延びれる「漢(おとこ)」たるが本懐、すべて修行なのであります。   折角なので各国の名所や観光地も行きますが、なんとなくの行く先の方角決め指針でしかありません。 現地の生活に溶け込み暮らす、「やることなくて暇じゃない?」と思われるかもしれませんが、これが案外そうでもない。

          #9 シナイ山で死にかけた話④

          #8 シナイ山で死にかけた話③

          カイロ市内へ 空港に着いたら近い市街地に移動が第一のステップ。カイロ国際空港からは当然カイロ市内に。 まず今の若い人には解らないと思うので当時の事情を話しておくと、当然大学生なのでクレジットカードなど持っていない。仮にクレジットカードなんぞあっても使える店などには行けないし、使えた所で無茶苦茶される可能性もあるので使うのは怖い。 初期はトラベラーズチェックを持ったりもしていたけどあまり意味もないことに気づき、持っているのは空港で換金(換金率は悪い)したミニマムの現地通貨

          #8 シナイ山で死にかけた話③

          #7 シナイ山で死にかけた話②

          北九州の高校を出て大学で上京した私は、長期休暇の度に海外(途上国)にバックパッカーで行くようになりました。 まあ、大学1年生の時は1単位しか取れなかったんですが。 エジプトに行ったのは大学2年生か3年生かの冬休みか春休み、40も超えると20年前の記憶は曖昧です。 ユウキをおびき出す 同級生で上京したマナブと一緒に行くことが多く、この経験をもっと幼馴染とシェアしたいという気持ちがあり、協議の結果ユウキが丁度良いという話になりました。   6歳からの付き合いのユウキはキツ

          #7 シナイ山で死にかけた話②

          #6 シナイ山で死にかけた話①

          きちんと数えたことは無いのですが、これまで60ヵ国以上は行ったことがあります。そのほとんどが10代後半から20代前半にかけてバックパッカーとして。   これを話すとよく、どこの国が、どこの場所が良かったですか?と聞かれます。 私個人としては、雑多な繁華街に溶け込んで過ごすことと、自然に触れることが好きなのですが、正直色んな見方がありますし、自然、街、歴史、文化、建物、食、人々の営み等々、様々な要素があり、まずあなたが何に興味があるか知らないと何とも言えません、というのが本

          #6 シナイ山で死にかけた話①