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42年生きてきて未だに心に強く残っている生き物の話をしてみる④

〜大分県佐賀関沖の無人島にはびこる悪魔、肉食ダンゴムシのオマル編〜



今回の無人島、オマルが巣食う無人島、ここにはこれまで3回訪れた。

まずはそのあたりから話していこう。

基本情報

前にも書いたが、高校生になってから大学を卒業するくらいまでは概ね毎年無人島でサバイバルをしてきた。社会人になってからも数度。

目的は当然、漢磨きである。

期間はだいたい2泊3日か3泊4日。最初の頃は1週間などと息巻いていたが、あまりの過酷さにこのくらいが適正と落ち着いた。

人数は同級生4名から10数名、ノリノリなのは私を筆頭に数名、後は半ば強引に連れていくスタイル。

キツければキツい程、後から良い思い出になる。これが私のモットーであり、口説き文句だ。

ユウキはいないの?

エジプト編に登場したユウキは当然優先徴兵対象である。

あいつの嫌がる顔が見たい、不平不満を聞きたい、でもなんだかんだで適応するところが見たい。

しかし狡猾なユウキを捕らえるのは至難の業、ドラクエのはぐれメタルを倒すくらいの難易度である。

捕えきったのは2回か3回くらいか。家族旅行に行っているだのなんだのと口上を並べるので、家まで捕まえに行くプロセスが発生する。面倒だが仕方ない。

ピンポーン
おかん「はーい」
俺「ゆうきくん迎えにきました♡」
おかん「ゆうきー!岡野くん来とるよー!あんたもう諦めて行ってきー。」
といった感じである。
ケイコは基本ギャルマインドだ。

無人島遍歴

あたりをつけた場所に行って、漁師のおっちゃんに「私を無人島に連れて行って♡」とお願いすると、だいたいの漁師のおっちゃんは磯釣りに行くと認識する。絶対そんな装備じゃないんだけど。。。

漁船が出港して30分程、くわえタバコで操舵席にいる漁師のおっちゃんがスピーカーで「おぅら、着いたぞ〜!!」と言う。

船のスピードが落ちてきたくらいから嫌な予感はしていたけど、着いたのは島というか、岩礁、岩だったりしたこともあった。

まあこれも天命と船を降りる。
おっちゃん「んで、いつ迎えきたらええんか?」
おっちゃんの感覚は半日後とか、せいぜい翌朝の感じである。
俺ら「3日後で!」
おっちゃん「3日後!?おまえら頭○○しいんか?」

おっちゃん「まあええわ。わかった。死んでも知らんけの〜。
タバコすぱー、ドッドッドッドッドッ、船スイ〜。

20年前の倫理観などこのくらいのものである。

岩礁でオワタ体験

この無人島というか岩礁に着き、日が落ちてくると同時に潮も満ちてきた。そうすると残った岩礁の面積は畳4、5枚分くらい。7、8人で行っている俺たちは残りの少ない岩にすし詰め状態

しかも真ん中のこんもりした部分を見ると、そこにも波の侵食の後が。これ、ここまで満ちるんじゃね?と半ば死を覚悟したけど、そこまでは満ちず満潮を迎え潮は引き命拾い。

大潮とか海が荒れてる時だったらイッちゃってたかも。ラッキー。

それ以降は、ちゃんと漁師のおっちゃんに「私を大きめの無人島に連れてって♡」とお願いするように学習しました。

生死に日常的に関わる人の生死観

何の根拠も無いが、漁師、猟師、畜産家など、常に人間含め生き物の生死に触れている人の生死観は、シティー暮らしのそれとはかなり異なる。気がする。

少し前、田舎暮らしの後輩が実家でBBQをするから来ないかと言われて行った。猪が捕れたから食おうという話である。猪美味かった。

後輩の親父が朝絞めした軍鶏を取りに来いというのでそちらに向かう。鶏、軍鶏、チャボ等、飼ってる鶏の鶏舎を通りすがらに覗く。コケコケ言ってるのを見ながら歩いていると、あれ?チャボが1羽倒れている

後輩に「チャボ、死んでね?」というと、後輩も淡々と「チャボ死んどるすね。」と言う。俵万智のサラダ記念日ばりの感じで。

そんなこんなしていると、気配に気づいた後輩の親父が母屋から出てくる。手には朝締めした軍鶏の肉をもって。

俺「チャボ死んどるすよ。」
親父「ん〜?おう、死んどるな。チャボのクチバシ伸びるけよ〜、昨日電動グラインダーで手入れしたんやけど酔っ払ってやったけやり過ぎたの。ホレ、軍鶏や。朝締めたばっかりやけ、美味いぞ〜。」
俺「、、、、」

この感じのラフさである。
そうだよな。そもそもこんなもんだよな。
俺もそう思った。
軍鶏肉美味かった。

漁師のおっちゃんにとっての俺らは、後輩の親父にとってのチャボくらいのもんである。

ん?ウズラだったっけ?

いかん。いつもの脱線癖が。。。

今回の無人島情報

今回の佐賀関沖の無人島、ここには3回訪れた。

1度目は大学生の時、たまたまツモった。

2度目は社会人2年目の時、岡野バルブの同期入社組と一期下の連中と。この時は20人くらいいたか。もう今回の人生で行くことは無いだろうなと思った。

3度目は、ごく最近。39か40歳の時。
渡世の義理で入ったJCI(青年会議所)とかゆう組織で、同じチームの奴らに無人島の話をしたら行きたいと言い出したので、そいつらと。

もう行きたくなかった。40近いメンバー、しかも無人島初体験のメンバーで行っても根をあげる。40にもなって俺もキチい。だから1泊にした。それでもキツかったし、20年経ってもやっぱりオマルはいた。

でもみんなにオマルの恐怖を体感させれたことには満足した。

なぜこの無人島に3回も行ったのか?

島の周囲は1km以上あり、一応白い砂浜もあり、草木が生い茂る山もある、つまり、比較的イージーな無人島なので、初心者を連れていくのに適しているからである。

それでもキツいことには変わりはない。
オマルが襲来するオプションもついているので尚更である。

といったところで次回に続く。

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