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氾濫する「情報」の中で。ー  ”事実” と "意見" と "都合" 。

 マーケットも2021年の終盤に差し掛かりいよいよ混沌としてきた。デフレが長かったこの日本では、ちょっと前まで ”寝言” と一笑に付されがちだった「インフレ」が今や "目前" の現実に。最近では「スタグフレーション」(景気後退下の物価上昇)にも言及されている。コロナ後の世界 Ⅱ - これから起こりそうなこと。↓ (2020.4.18)など「インフレ」に向けて論陣を張ってきた「損切丸」としても感慨深い。

 さて、この note. を綴るに当り、筆者も当然「材料」を探しながら書いている訳だが、世に出ている「情報」には紛れが多い。これは金利トレーダー現役の時もそうだったが、「お金」の損得に直結するマーケットの「情報」には十分気をつけないといけない

 経済記事やエコノミストのレポートを読む時、特に気をつけていたのは:

 ①書かれている内容は十分なデータに裏付けられているか

 ②当該ライターやメディアはいつも偏った記事を書いていないか

 ③客観的内容より「感情」が先行していないか

 ④書かれている内容がどっちつかずの結論になっていないか

 「情報」には ”事実” と "意見" と "都合" の3種類が入り混じっている。中でも注意しなければいけないのが "都合" 右とか左とか「忖度」とか "ある結論" に導こうとする有象無象の「情報」も世に放たれている。

 ↑ ③「感情」に巧妙に訴える記事やレポートは、読む側に一種の ”カタルシス” を与えてはくれるが、「感情」よりも「客観性」で論理的に動くマーケットでは「百害あって一利無し」。投資家やトレーダーの目を曇らせる ”毒” にしかならない。「この政策は間違っている」「本来なら株価は下がるべき」等等。こういう記事はあまり役に立たない。

 「売られるかもしれないが、買われるかもしれない」

 こういう記事も価値がない。結論をぼかすなら誰でも書ける(笑)。政治家の「遺憾である」「いかがなものか」と同類だ。「だからどうするのか」が肝要なのであって、具体性のない "感想" だけでは役に立たない。

 大手メディア「視聴率」「ヒット率」だけを目指すようになってから記事の質が落ち  ”衰退” が激しいSNS全盛で「情報」が乱れ飛ぶ中、経営上の圧迫感は増しているのかもしれないが、*「結果の目的化」は最終的な成功に繋がらない。これは企業経営も投資も同じだが、「正しい経営・投資」の結果として利益が上がるのが本筋だろう。

 大分昔に東京ドームの巨人戦を見に行って愕然とした。筆者は甲子園球児だったので、テレビ中継は欠かさず見た口。だが球場では9回の裏まで客席でビールを売りまくっていて、肝心の試合の終盤を見るのに邪魔。周りは試合そっちのけで酒を飲んでいる客ばかりで、中には余った "ダフ屋" のチケットで来たと見られる ”その筋” の集団もチラホラ。これでは「野球付きの青空居酒屋」だ。野球人気に陰りが出て減った利益を取り戻そうとビール売りの時間を延ばしたのだろうが、これでは客の入りが悪くなるばかり「結果の目的化」の典型的失敗例だ。

 「損切丸」有用な「情報」を掘り出すために四苦八苦する日々だが、 ”事実” に基づいたはっきりした "意見" を書けるように努力はしている。有料記事などもあるが、その対価に値するものは多くはない。

 最も確かな ”事実” はマーケットで取引される価格だ。トレーダーや投資家が ”体を張って” 売買しているわけだから、「お金」がかかった究極の "リアル"  "ウソ" が入り込む余地は少ない。それでも「多数決」で決まるFXや株では短期的な ”罠” は起こりうるが、長期的には必ず「あるべき値段」に戻ってくる

 そして相場の中で ”絶対感” が高く、 "紛れ" が少ないのが「金利」中央銀行の「政策金利」が基本になるため、少数が多数に勝つこともある。その中でも「信用リスク」の低い「国債」が「流動性」も格段に高く、力で押し切る「パワーディール」や ”罠” を仕掛けにくい(まあ、1度やってみればわかります。笑)。

 あとは "金利の読み方" 「損切丸」では地味が故に目にする事が少ない「金利」をご紹介しているが、「イールドカーブ」「先々金利」↓ はその "読み方" の1つ。↑ ①~④にあるような「読みたくない記事」になっていないか、今後も自己検証しなければ、と思いを新たにしている(苦笑)。

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  "都合" が優先しがちな国家絡みの「情報」は時に我々を ”事実” から遠ざける。荒れ模様の中、「マーケット迷子」にならないよう気をつけたい。

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