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若き成功者への僻み、あるいは決意表明

『みなさん!若いうちから成功しましょう!』

みたいな圧が強すぎる。強すぎるよ、社会。
とか言ってる自分も、どちらかというとそんな価値観を引きずりながらここまで生きてきてしまった(気づいたらアラサー。マジかよ)。

”自分のやりたいこと”を一生懸命探して、それが見つかったような気がして挑戦してみるんだけど、何かしらの壁にぶつかって挫折して
壁にぶつからなかった、うまく切り抜けた人の姿をみては嫉妬して
「俺はこんなに苦しんでいるのに、なんであいつは余裕なんだ!」
と怒りに近い嫉妬・絶望を感じたりする。そんな人があまりに多い。というか自分自身がそんな人だから、周りがそういう風にしか見えない。

「こうなってしまったのは〇〇のせいだ!」とか一方的に〇〇を仮想敵に仕立て上げて糾弾するつもりは一切ないけど、そうは言ってもメディアやらSNSやらの影響は否定できない。だって目立つじゃん。若くして成功した人。俺がメディアの人だったら絶対取材するもん。

それの何が問題かっていうと、そんな生き方をした人がフォーカスされまくるあまり、”若くして成功したやつが唯一絶対の正解”みたいな空気感が醸成されつつある(あるいはされきった)ところだと思っている。なんなの?人生は20代で終わりなの?戦国時代かよ... #ある意味そう

そしてさらに深刻なことに、”成功を収めた人たち”がとる無意識のマウントは、「20代で人生の全てが決まるのはおかしい!」と強く信じている人の心さえ浸食してしまう猛烈な毒性を持っている。いくら気にしないようにしても、やはり一瞬は「あれ、俺は何も持ってないな...」と思ってしまう。そこから「いかんいかん」と立ち直れる人ならいいけど、そうじゃなかったらオワリです。オワリ国(おわりのくに)。もう本当に戦国時代。

じゃあ出家するしかないのか?(唐突)

前段のようなことを考えると「それはもう世間との交わりを断つしかない」とか、なんか詳細はすっごいアレだけどスピリチュアルな世界に行くしかない、みたいな選択肢が目の前に現れる。というかそいつらしか選択肢がないように見える。しかしここは大きな声で「なんでだよ」と言いたい。別に俺は世界の真ん中に線を引いて、

「そっちは物質的な価値に目が眩んだ世界で、こっちは本当の心を大事にする世界ね!」

と宣言したいわけではない。だって、これからもこの世界で生きていくのは多分避けられないから。というか、避けるつもりもない。
むしろ、どちらかというと成功してる人たちから「その生き方すごくいいね!」と言ってもらいたい。そしてこちらも「若くしてすごいね!」と言いたい。お互いに認め合っている素敵な状態。一緒にサウナとか行って「バカととのったねえ」とオロポを酌み交わしたい。

そして、そんな状態のことを”成功”と呼びたい。

ちょっと話がそれたけど

要するに「いま輝いてなくても別によくない?」と思いたい。いまは思い描いたような生き方ができてなかったり、とんでもない挫折をして失意のどん底にいたとしても「これから頑張ればよくない?」と思いたい。思わせてくれ。

若いうちに”目に見える成功(と世間で定義されているもの)”を手にしていなくても「これで全然満足なんで!」「これから掴んでいくんで!」とキラキラスマイルを見せていい”空気”を作りたい。文章にするとすごくしょうもないというか、「別にそんなこと気にしなくてよくない?」感が否めないが、気になっちゃうんだから仕方ないじゃないか!バーカバーカ!

完全にノリと勢いで書いているので、正直「まとめ」とか「結論」みたいなものがないけど、ここまで読んでくれた人にぜひ追加で読んでほしい文章がある。

ぜひ追加で読んでほしい文章

蒲島郁夫さんの生き方は、ノイズを気にせず"自分自身"に集中しきった生き方だと思う。なおかつ、「若いうちに成功しないとダメだ」と思い込んでいたらできない生き方でもある。こんな人だらけの世界だったら、なんか明るい感じしません?

全員が全員東大教授になれ、という話ではなく、
「いいね!回り道上等じゃん!」と言い合える世界にしたい。

(余談)
そういえば幼少期、立体駐車場のぐるぐる回るスロープが大好きだった。
いま思えばあの頃から回り道上等主義だったのかもしれない(遠い目)

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