ノーベル文学賞作家カズオ・イシグロの『日の名残り』の謎を解き明かす・第4回「Nobody Does It Better (誰もあなたみたいにできないの)」
さあ、第4話が始まるよ!
ちなみに前回はこちら。
坂本一亀&龍一父子の登場には驚いたな。
三島由紀夫から、そっち方面に展開されるとは予想外やったで。
せやせや、大事なことを言い忘れとった…
カズオ・イシグロ『日の名残り』を未読&未見の人は、先にそっちを済ませてからのほうがええと思う。いちおう内容を知ってることが前提やさかいな。まあ、ここまで来たら、そうゆう人はおらんと思うけど。せやけど、内容知らんでも楽しめることは楽しめる。
今回は「アメリカ人の新主人=米国のエージェント/死の商人」説の検証だね。
小説版では「ファラディ氏」だったけど、映画版では「ルーイス氏」に変更された。そして、それに合わせて1923年の国際会議での米国代表ルーイス議員が若くなった。ここも非常に重要だ。映画版のほうが、より効果的になっていると思う。
でもまずは小説版をもとに検証していこうか。
主要登場人物・小説版
執事長スティーブンス(主人公)
女中頭ミス・ケントン(結婚後はベン夫人)
館の主人ダーリントン卿(英国の大物貴族)
新しい主人ファラディ氏(アメリカ人の富豪)
第2回で紹介した小説冒頭シーンの2段落目にもう一度注目してみよう。
このシーンには2つの意味が隠されていた。
1つは、主人公が「同性愛者」であることだったね。
そしてもう1つは、館の新主人が「米国のエージェント/死の商人」であることだ…
この旅行の話は、もともとファラディ様のまことにご親切な提案から始まったことです。二週間ほど前、私が読書室で肖像画のほこりを払っていたときのことでした。脚立にのぼり、ちょうどウェザビー子爵の肖像画に向かっておりますと、ファラディ様が棚にもどす書物を数冊、腕に抱えて入ってこられました。私を認め、ちょうどよかったという表情で、「 やっと決めたよ。八月九月は、五週間ほどアメリカへ帰ってくることにした」と告げられたあと、書物をテーブルに置き、長椅子に腰をおろし、脚を伸ばして私を見上げながら、こう言われたのです。
「だけどね、スティーブンス、ぼくがいない間、ずっと留守番を頼むつもりはないよ。どうだい、二、三日、どこかへドライブでもしてきたら?君だって、たまにはのんびりしなくちゃね」
カズオ・イシグロ; 土屋 政雄『日の名残り』早川書房Kindle版
う~ん…
わかんない…
どうしてそうなるの?
注目すべき点は…
(1)「読書室で脚立にのぼり」ながら「ウェザビー子爵の肖像画に向かっている」こと。
(2)館の主ファラディ氏が「長椅子に腰をおろす」こと。
(3)そして「二、三日、どこかへドライブ」して「のんびり」することを提案すること。
(4)さらに「八月九月は五週間ほどアメリカへ帰る」と告げること…
これでわかるかな?
読書室や脚立も意味あるんか…?
長椅子も?
あかん。見当もつかんわ。
じゃあヒントをあげよう。
1~3は「セット」になっているんだ。ある「有名な出来事」を描いている。
世界中がテレビで目撃したショッキングな出来事…
いまだに謎に包まれたままの「あの事件」を…
世界中がテレビで目撃した事件?
それって、もしかして…
せや!
ファラディはんはJFKがモデルやった!
小説2段落目は、テキサス州ダラスでのケネディ暗殺事件の暗喩になってるんや!
その通り。
(1)は犯人とされたリー・ハーヴェイ・オズワルドの描写だ。
オズワルドはケネディ大統領一行のパレードが見下ろせるビルの6階に潜んでいた。そのビルは「教科書倉庫ビル」という名前だったんだ。
「読書室で脚立にのぼる」は、これを意味していたんだね。
クリストファー・ノーランの『栗麻呂ノ暗号』みたい…
っちゅうことは…
「ウェザビー子爵の肖像画に向かう」っちゅうのが「JFKを狙う」っちゅうことなんか?
「ウェザビー」という名前に深い意味がある…っちゅうことなんだよ。
ムカつくな、オッサンが言うと。
しかし「ウェザビー」っちゅうのは、三島由紀夫を翻訳して海外に広めたメレディス・ウェザビーはんのことやろ?
実はね、海外で「ウェザビー」と言ったら、もうひとつ有名なものがあるんだよ。
メレディス・ウェザビー氏は、ごく一部の間ぐらいでしか知られていないだろうけど、こっちのウェザビーはそれよりも遥かに有名なんだ。
ロゴマーク?
なんかのブランド?
これだよ。
うわあ!
ウェザビー社は世界有数のライフル&弾薬メーカーなんだ。その殺傷能力は折り紙つきで、その筋の世界では非常に高い評価を得ている。
つまり…
「読書室で脚立にのぼり、ウェザビー子爵の肖像画に向かう」ってのは…
「教科書倉庫ビルの6階で、ライフルを構えてJFKを狙っている」ということだったんだね。
じゃあ、(2)のファラディ氏が「長椅子に腰をおろす」ってゆうのは…
これや!
リンカーン・コンチネンタルの後部座席のことや!
確かに「長椅子」だね…
じゃあ(3)の「二、三日のドライブ」で「のんびり」するってのは…?
JFK一行は金曜昼にダラス空港へ到着し、そこから車で市内パレードを行った。そこで事件が起きたんだけど、予定ではその後オースティンへ移動し、副大統領ジョンソン所有の牧場で週末をのんびり過ごすはずだったんだ。
ひゃあ!
JFK暗殺といえば、単独犯とされたオズワルドの射殺事件も含め、今もなお陰謀説が絶えない事件だ。
冷戦のライバル、ソ連の仕業…
JFKに恨みをもつマフィアやCIAの犯行説…
そして、ベトナム撤退や軍備縮小に反対する米軍&軍事産業、いわゆる「軍産複合体」の見せしめ…
先日トランプ大統領がケネディ暗殺の機密文書を公開をすると宣言したけど、結局全部は公開されなかった。「問題」がある資料が多過ぎたんだね。
なんか「死の商人」の臭いがしてきたよ…
火薬の臭いがプンプンしてくるよね…
実を言うと『日の名残り』という物語には、全編にわたって火薬の臭いが強烈に漂っているんだ…
火薬臭が…?
塩素臭だけやなかったんか…
前回から疑問に思ってたんだけど、その「塩素臭」って何なの?
ええじゃろはんも、そのうちわかる。
小説版ではこうして冒頭に、新しい主人ファラディ氏によって「火薬」が暗示される。
そしてこの後も「火薬」について言及されるシーンがいくつもあるんだ。
君たち、気が付いた?
火薬の話なんか、あったか?
例えばコレ。
自動車旅行の途中でスティーブンスが道路標識に書かれた「マースデン」という地名を見て、昔のことを回想するシーン…
戦争直前に新しい化学物質が市場に出回るようになってからは、さすがに需要がしだいに減っていったようですが、それまでの長い間、銀器の磨き粉といえばこれに勝る製品はありませんでした。そして、ギフェンの黒蠟燭の注文先が、あの案内板にも記されているマースデンだったのです。ギフェンの黒蠟燭が初めて市場に現われたのは、二〇年代初頭のことだったと記憶しております。私はこの黒蠟燭の出現を、当時、執事業界に盛り上がりつつあった革新の 気運と結びつけて考えておりますが、それは、おそらく私一人だけではありますまい。
カズオ・イシグロ; 土屋 政雄『日の名残り』早川書房Kindle版
どこに「火薬」が出て来るの?
せやな。
火薬のカの字も出てこん。
実はね、「蝋燭(ロウソク)」が「火薬」のことなんだよ。
ハァ!?
ロウソクが!?
『日の名残り』って、こういうふうに「何か」へのこだわりを語る場面が多いよね。「モノ」だったり「ルール」だったり「執事の協会」だったり「伝説の執事」だったり「品格」だったり…
でも、これって全部「別のこと」を語っているんだ。
上記の引用では「黒蝋燭という革新的な発明があって、それが20世紀初頭には市場に広く出回っていた」とスティーブンスが回想している。
蝋燭は火薬のことだから…
つまり、19世紀末頃に「革新的な火薬」が発明され、それが広く普及したってことを意味しているんだよ。
わかるかな?
19世紀末に発明された革新的な火薬…?
なんだろう?
そ、それってまさか…
カズオ・イシグロはんがゲットした賞のスポンサー…
その通り。
ノーベルのダイナマイトだ。
それまで火縄銃や大砲には、黒色火薬が使われていた。でも破壊力はそれほど高くなかったんだ。煙ばかりが酷かった。だから煙が少なくて威力のある無煙火薬の開発に各国はしのぎを削った。そしてアルフレッド・ノーベルが、ダイナマイトを発明する。破壊力が桁違いのダイナマイトは、当初は危険すぎて使い物にならなかったけど、改良を重ねて19世紀末には実用化にも成功。20世紀に入る頃には世界のあらゆるところで使われるようになったんだよね。
特に軍事面では、とてつもない革新をもたらした…
どゆこと…?
それまでの「中世の延長」みたいな牧歌的な戦争から、大量破壊兵器で殺し合う「総力戦」の時代に突入したんや…
騎士道とか言っとられん時代になったっちゅうことや。
そういうことだね。
そして『日の名残り』の「火薬の物語」では、ある「二人の人物」の存在が非常に重要になってくる。
1923年にダーリントン・ホールで開催された国際会議に出席した「二人の人物」だ。
ひとりはわかるで。
アメリカ代表の上院議員ルーイスはんやろ。
化粧品会社を興して大儲けした「成金」って言われとったな。ダーリントン卿たちヨーロッパの貴族連中には。
せやけど映画版では若返って、ダーリントン卿亡きあとの館の新主人にもなった。
おかえもん曰く「米国のエージェント/死の商人」っちゅうハナシや。
もうひとりは誰だろう?
フランス代表の貴族デュポン氏だよ。
実はあの二人、名前が入れ替わってるんだ。
本当は、アメリカ代表の上院議員の名前が「デュポン」なんだよね。
そしてフランス代表の貴族の名前が「ルーイス」なんだ…
え?入れ替わってる?
どゆこと?
だってそのままだとバレちゃうからね。世界史の暗部である「火薬の物語」が。
「化粧品」成金で、フィラデルフィアからやって来た初老の上院議員ってのは、トーマス・コールマン・デュポンのことなんだ。
Thomas Coleman du Pont(1863-1930)
化粧品や各種染料、繊維、化学薬品など総合ケミカル企業として世界最大規模を誇る、あの有名なデュポン社と関係あるんか?
もちろん。婦人用ストッキングから濃縮ウラン製造まで、なんでも手掛けるアメリカ屈指の複合企業デュポンの創業者の孫にあたる。
T・C・デュポンはとんでもない大富豪で、デュポン社の本部があるデラウェア州のハイウェイ網は、彼が慈善事業として作って州へ寄付したものなんだ。デュポン家って当時はGM(ゼネラルモーターズ)も所有してたからね。車を売るために、州内の道路を自費で整備したんだよ。
自費で鉄道敷設は聞いたことあるけど、自費で高速道路網建設はスケールでかいな!
政治家としても、1910年代から20年代にかけて共和党内で大きな影響力を誇っていた人物だ。ちょうど第一次大戦からベルサイユ体制、そしてがナチス台頭してくる時代にかけて…。つまり『日の名残り』の過去シーンの頃だよね。
ちなみに叔父のヘンリー・デュポンも上院議員で、米国軍事委員会の重鎮だった。デュポン家で米軍の武器弾薬調達を仕切っていたんだね。
それって…
流れ的に、もしかして…
国外とかでも…?
もちろん。
アメリカは南北戦争以後、大規模な戦争がなかったからね…
大量の火薬を売りさばくには、ヨーロッパに持って行くしかない…
欧州は度重なる戦争で、軍事物資が常に品薄になっていたから…
だからT・C・デュポンは…
「そこまでだ・・・」
それ以上余計なこと喋ると
この鶴の命は無い…
え!?
あ、あ、あ、危ないやんけ…
そ、そんなもん人様に…いや鳥類に向けたらアカン…
つか、あんた…誰や?
私の名はイソグロ…
カツオ・イソグロだ…
カ、カヅオ・イシグロ!?
違う。
カ・ツ・オ・イ・ソ・グ・ロ、だ。
な、名前はもうええさかい…
その物騒なもん、しまってくれへん…?
てか、あんたライセンス持っとんのか?
銃の不法所持で警察呼ぶで…
心配は無用だ。
私は殺しのライセンスを持つ男…
じゃあ、あなたは英国諜報部員!?
半分当たっているが、半分は外れてる…
へ?
私はチャンネル諸島の諜報部員だよ。
チャンネル諸島…?
フランスのノルマンディー半島沖にある島だ。
英国王室属領であるが連合王国には属さない。もちろんEUの法も適用されない。「ある種の人々」にとっては「天国」みたいなところ…
私はそれらの人々の安全を守るため、日夜こうして働いているというわけだ。
ほら見ろ。許可証もある。
ああ、ホントだ…
チャンネル諸島って書いてある…
そしてライセンス番号が…
008…
チャンネルだか8番だか知らんけど…
チャカは勘弁してくれや…
チャカ勘弁…
チャカ、カーンべん…
なんちゃって…
私はカーリー・サイモン派だ。
ーー続くーー
ロジャー・ムーア主演『007 私を愛したスパイ』より
『日の名残り』
原題:The Remains of the Day
(1993年、米・英)
監督:ジェームズ・アイヴォリー
脚本:ルース・プラワー・ジャブバーラ、ハロルド・ピンター(クレジット無し)
原作 カズオ・イシグロ
製作 マイク・ニコルズ、ジョン・キャリー、イスマイール・マーチャント
出演: アンソニー・ホプキンス、エマ・トンプソン、クリストファー・リーブ、ジェームズ・フォックス、ヒュー・グラントほか
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