「LIFE ON MARS?⑥~マイ・ウェイ~前篇」『深読み LIFE OF PI(ライフ・オブ・パイ)& 読みたいことを、書けばいい。』
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2019年9月19日深夜
キッチン 南海のクイン
じゃあアタシたちは、このへんでそろそろ…
ごちそうさまでした。美味しかったです。
はい、これ。グリコ。
はい?
舐めると元気出るわ。一粒300キロメートル。
仕事がんばるのよ。
ありがとうございます。
またね、倫世ママ。
お先に失礼します…
せっかくだから一曲歌っていきなさいよ。
うん…。でも今夜は遠慮しとく。
あなたじゃなくて、そこの新入りさんよ。
わ、私が?
何か聴かせてくれないかしら。
あなたの心の叫び、魂に触れてみたいの…
でも私は… 何も歌えない…
MY WAY!
え?
Sing!MY WAY!
でも『MY WAY』なんて私のおじいちゃんが歌ってたような曲…
歌詞もうろ覚えで…
じゃあ良ちゃん、ヘルプしてあげて。
マジで?
アタシたちのソウルじゃないわよ、それは。
律ちゃん、ピアノよろしく。
あいよ。良ちゃんはドラムやって頂戴。
ホントにやるの? やっべー
文句言わない。
もうっ!こうなったらヤケクソよ!
さあ、自信をもって。あなたなら出来る。
は、はい…
スナックふかよみ
では話すとしようか…
名曲『マイ・ウェイ』の本当の物語を…
Wikipediaによれば、ポール・アンカによって『マイ・ウェイ』が書かれたのは1968年…
デヴィッド・ボウイが『Comme d'habitude』を「英訳」して『Even a fool learns to love』を書いたのと同じ年です…
なんでも、フランス旅行中に偶然この曲を知ったポール・アンカが、作者のクロード・フランソワに会いに行き、英語に翻訳して歌う権利を得たとのこと…
ポール・アンカって、あのポール・アンカ?
そう。
1950年代後半のオールディーズ黄金時代に、『ダイアナ』『君はわが運命』などヒット曲を連発した、あのポール・アンカ。
マイケル・ジャクソンの『THIS IS IT』を作った人よね。
ちなみにポール・アンカの両親は、中東のフランス委任統治領シリアとレバノンからカナダ東部に移住したギリシャ正教徒。
彼のシンガーとしてのキャリアは、オンタリオ州オタワの教会で歌うことから始まったの。
そういうバックボーンがあったから、フランス旅行中にクロード・フランソワと直接交渉して権利をゲットできたのね。
さて、ポール・アンカはフランス語の曲『Comme d'habitude』を「英訳」して『MY WAY』を書いた。
自分で歌うのではなく、当時、周囲に引退をほのめかしていた大スター、フランク・シナトラに歌ってもらうことを念頭に、歌詞を書いたんだ。
どうしてシナトラは引退を考えていたの?
1968年だったら、まだ50代前半でしょ?
1960年代に音楽を取り巻く環境が一気に変わってしまったからだよ。
それまでは、それぞれプロの「作家」と「歌い手」がいて「作品」が生まれていた。ジャズや歌謡曲の時代だね。
だけどそれが「シンガーソングライター」と「ロック」の時代にガラリと変わってしまった。
シナトラのような歌手はもはや「古臭い存在」だと世間から見られていたんだ。
だから「この世を去ろうとしている男」の歌なのね。
デヴィッド・ボウイは『Even a fool learns to love』の中で「my way」という言葉を聖書から引用していましたが、こちらもそういうことなのでしょうか?
もちろん。
原曲の『Comme d'habitude』がそういう歌なんだから、そこから逸脱した内容にするわけにはいかない。
だからポール・アンカも、デヴィッド・ボウイと同じように「男が自分のやってきたことを回想する」という内容の英詞を書いたんだ。
ポール・アンカはボウイの翻訳版を知っていたのかしら?
知らないと思う。
ボウイ版はそもそも発表すらされていなかったから。
そろそろ歌詞を見ていきましょ。
まずは1番からね…
And now, the end is here
And so I face the final curtain
いきなり「わたし」が「終わりの時がきた。最終幕だ」と宣言します。
宣言する相手は「友」。
しかも「わたし」は高らかに宣言する。
My friend, I'll say it clear
I'll state my case, of which I'm certain
確信してる「my case」って何?
このケースの「case」とは「事実・真相・問題・困難」という意味だ。
「友」に向かって「わたし」が「事実・真相・問題・困難」を高らかに宣言する?
それって、もしかして…
またコレですね…
『最後の晩餐』レオナルド・ダヴィンチ
晩餐の席で、イエスは突然、もうすぐ自分がこの世を去ることを宣言した。
自分という存在、そしてこれまで行ってきた言動は、すべて天の父の計画であり、これから自分が処刑されることもシナリオ通りで、ただ自分は天の父のもとへ帰るだけのことだと語ったんだ。
そして悲しむ弟子たちに告げた。これは悲劇ではなく、むしろ喜びであると。
だから1番の後半は、こう歌われる…
I've lived a life that's full
I traveled each and every highway
And more, much more than this,
I did it my way
わたしは充実した生涯を送った…
あちこち遠くへ旅もした…
だけどそれよりも、それ以上に言えるのは…
わたしは「道」を完遂させたのだ…
「道」とは「神の計画」のことね。
『ヨハネによる福音書』
14:4「わたしがどこへ行くのか、その道はあなたがたにわかっている」
14:5 トマスはイエスに言った、「主よ、どこへおいでになるのか、わたしたちにはわかりません。どうしてその道がわかるでしょう」
14:6 イエスは彼に言われた、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない」
言われてみれば、確かにそういう内容だわ…
今まで全然気がつかなかった…
これで2番への流れもわかるでしょ?
1番で人生のフィナーレに高揚していた「わたし」が、いきなり「後悔」を口にする意味が…
Regrets, I've had a few
But then again, too few to mention
後悔が無いと言えば嘘になる
だが、それについて改めて話す必要は無いだろう
「最後の晩餐」のあとの「ゲッセマネの祈り」!
イエスは弟子たちの前で見せた態度とは正反対の姿、死の恐怖に怯える自分をさらけ出しました…
福音書の中で唯一イエスが思い悩む場面です…
『ゲツセマネの祈り』カール・ブロッホ
だからポール・アンカは「exemption(免除)」なんていう、普段ポピュラーソングでは使われないような単語を使ったんだね。
I did what I had to do
and saw it through
without exemption
わたしは為すべきことをし
すべてをやり遂げた
「免除」無しで
「免除」は「この杯(死の運命)をわたしから過ぎ去らせてください」のことだわ。
その訴えに対する天の父の返事が無かったから、イエスは父の計画に従った。
『ゲツセマネの祈り』ジョルジョ・ヴァザーリ
そしてイエスの計画通りに、師を売った裏切り者ユダが、官憲を引き連れてやって来る。
ユダはイエスに接吻し、それを合図にイエスは逮捕された…
『ユダの接吻』ジョット・ディ・ボンドーネ
まさにこれが2番の後半に落とし込まれている。
I planned each charted course,
each careful step along the byway
And more, much more than this,
I did it my way
わたしは筋の通った生涯を計画した
必要悪を行う際は注意深く実行した
何も知らないユダにサタンを入れたことですね…
他の弟子たちにも気付かれないように…
13:26 イエスは答えられた、「わたしが一きれの食物をひたして与える者が、それである」。そして、一きれの食物をひたしてとり上げ、シモンの子イスカリオテのユダにお与えになった。
13:27 この一きれの食物を受けるやいなや、サタンがユダにはいった。そこでイエスは彼に言われた、「しようとしていることを、今すぐするがよい」
13:28 席を共にしていた者のうち、なぜユダにこう言われたのか、わかっていた者はひとりもなかった。
すごい…
しかもそれが、イタリア系マフィアの力を利用して大スターの座についたシナトラの黒歴史とピッタリ重なっている…
天才的なソングライティングだよね、ポール・アンカは。
だけどここからが本番だ。Cメロ以降は、もっと凄いよ…
つづく
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