エピローグ第11話:なぜクマのぬいぐるみは湖に置き去りにされていたのか?(しかも服を着たまま水の中に) 『THREE BILLBOARDS OUTSIDE EBBING, MISSOURI(スリー・ビルボード)』徹底解剖
執念ね…
チェーホフへの…
・・・・・
詳しくは前回をどうぞ!
召使いポリカルプは、主人が飼っているオウムにイワン・デミヤーヌイチと名付けた。
その理由も実に興味深い。
オウムの大きな鼻(くちばし)が、村の雑貨屋の親父イワン・デミヤーヌイチにそっくりだからというんだ。
そしてこれが村中に浸透し、今では皆がオウムのことを「イワン・デミヤーヌイチ」と呼び、雑貨屋の親父は「判事さんのオウム」と呼ばれるようになってしまった。
これが何を喩えたものかわかるかな?
雑貨屋のイワンさんが、その名前で呼ばれなくなっちゃった?
どゆこと?
わかった!あれや!
前駆授洗者や!
その通り。
ロシア正教では「祭司ザカリアとエリサベトの子ヨハネ(Ivan)」のことを「前駆(Forerunner)」という称号で呼ぶ。
「イエスの前に現れて道を整えた人(イエスに洗礼を授けた人)」という意味だね。
これが雑貨屋の親父が「本来の名前イワン」ではなく「判事さんのオウム」と呼ばれるようになった件の元ネタだ。
あ~、なるほど!
そして主人公の予審判事セルゲイ・ペトローウィチがオウムを飼い始めた経緯が語られる。
ここは小説『猟場の悲劇』において非常に重要な部分だといえるだろう。
作者のチェーホフが「この小説はこういう作品なんです。だから大目に見てください」と読者にエクスキューズを入れる部分なのだから…
エクスキューズ?
そしてそれが映画『スリー・ビルボード』のスタイルも決定づけた。
あの映画が暴言や侮蔑表現、そして聖書のパロディだらけなのは、ここに由来する…
イワン・デミヤーヌイチをわたしは、わたしの赴任の少し前に死んだ前任者の予審判事、ポスペーロフの母から譲り受けたのだった。古めかしい樫のテーブル・セットや、台所用品、その他、故人のあとに残された世帯道具一切といっしょに、オウムも買ったのだ。わたしの部屋の壁には、今でもまだ、彼の血縁者たちの写真が何枚も飾られているし、ベッドの上にはいまだに当の主人の写真がかかっている。下唇が厚く、赤い口ひげをたくわえている、痩せぎすで筋ばった故人は、眼を大きく瞠って、色あせたクルミ材の額縁の中におさまり、わたしが彼のベッドに寝ている間、片時もわたしから眼をそらさずに見つめている……わたしは壁の写真を一枚もはずさなかった――もっと手短に言うなら、この住居を、手に入れた時のままにしておいたのである。
中央公論社版(訳:原卓也)より
ちょっと怖くない?
死んだ前任者の写真がベッドルームにそのまま飾ってあるって…
しかもその母親が壁に飾られた血縁者たちの写真も全部そのまま残して行ったって、なんか変…
普通それだけは持って行くでしょ…
置いてくほうも置いてくほうだし、「手に入れた時のままにしておいたのである」なんてドヤ顔で説明する神経もわからない…
親族や先祖の写真が「残されたこと」がポイントなんだよ。
そこに深い意味があるんだ…
<続きはコチラ!>
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?