シン・日曜美術館『夏目漱石の坊っちゃん』①
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1989年5月某日(日曜)
深読み探偵学校
ボッカチオ『デカメロン』の授業なのに、『ゴジラ』や『春と修羅』の話になって、最後は夏目漱石の『坊っちゃん』が宿題だなんて…
まったく木又先生の「深読みアート論」は、わけわかめだな。
うむ…
そういえば、夏目漱石『坊っちゃん』と宮沢賢治『春と修羅』の共通点って何だったの?
漱石と賢治って、まったく関連性がないように思えるんだけど。
そんなことはない。両者は共通点だらけだ。
まず「坊っちゃん」も「賢治」も「理系の教師」だった。
坊っちゃんは東京物理学校(現・東京理科大学)を卒業し、四国松山の旧制中学(現在の高等学校)で数学の教師になり…
賢治は盛岡高等農林学校(現・岩手大学農学部)を卒業し、岩手県立花巻農学校で農化学の教師になった…
あ、そっか。どっちも理系の先生だったんだ。
そして、坊っちゃんの生家の隣は「山城屋」という「質屋」だった。
は?
花巻にある賢治の生家は「宮澤商店」という「質屋」…
そして、そもそも宮沢家というのは、江戸時代中期に「山城国」から移住してきた一族…
ええっ!?そうだったの?
そして賢治は、学校へ「赤シャツ」を着て行った…
赤シャツ!?マジで?
これは尋常小学校時代の逸話だ…
まず最初に赤シャツを着てきた同級生が、他のクラスメイトから「メッカシ(めかしこんでいる奴)」と言われて馬鹿にされた…
これを見ていた賢治は同級生をかばい、こう言ったんだ…
「俺も明日からは赤シャツを着てくる!いじめるなら俺をいじめてくれ!」
すごい正義感というか自己犠牲の精神だな…
そして、坊っちゃんも賢治も、父親からは認めてもらえず、親子間に確執があった…
坊っちゃんも賢治も勘当されそうになり、家を飛び出している…
そうだった。家出した賢治は東京で暮らしてたんだよね?
その通り。東京帝国大学の近所、本郷区菊坂…
夏目漱石が住んでいた本郷区団子坂下の家からも、そんなに遠くない…
近所だったの? 時期は重なってる?
いや。賢治が菊坂に住んでいたのは1921年の1月から8月までのこと…
そして漱石が団子坂下に住んでいたのは、『吾輩は猫である』や『坊っちゃん』を書いた頃、1903年から1906年の暮れまでだ…
なるほど。だけど漱石が『坊っちゃん』を書いた家の近くに賢治は住んだのか。
そして、孤独な坊っちゃんにとって唯一の理解者は、物心つく頃からずっとそばにいた下女の清(キヨ)だった…
清から様々なことを教えられた坊っちゃんは、清を理想の女性、理想の人間だと考えるようになり、ついには清のことを自分にとって欠かせない存在「片割れ」だと思い込むようになる…
最終的に坊っちゃんは、教師を辞めた後も妻帯することなく独身を貫き、小さな家で清と二人だけの世界を作り上げた…
男女や親子の愛よりも、もっと深い絆で…
坊っちゃんと清の関係は…
賢治と妹トシの関係とよく似ている…
そして坊っちゃんは、教師と生徒による「不祥事」を揶揄した愛媛の地方新聞の記事に激怒する…
実名報道ではなかったが、誰が見ても坊っちゃんのことだとわかる中傷記事に対して…
賢治も地元紙岩手民報の記事に激怒した…
仮名になっていたけど花巻の人が読んだら誰でもトシのことだとわかる女生徒が教師と三角関係に陥るゴシップ記事「音楽教師と二美人の初恋」に対して…
『坊っちゃん』にも「三角関係」があったよな。
マドンナ、赤シャツ、うらなり君の三角関係が…
あっ…
そして坊っちゃんは自ら教師の職を辞する…
自分の言動に責任とプライドをもち、言い訳せずに筋を通すんだ…
ん?『春と修羅』の時の賢治は、まだ教師をやめていないよね?
そう。「まだ」やめてはいない。
しかし覚悟は既に出来ていた。
そうなの?
『不貪慾戒(ふとんよくかい)』の次の歌…
『春と修羅』最終章「風景とオルゴール」の第二歌『雲とはんのき』には、こんな心象が語られる…
(ひのきのひらめく六月に
おまへが刻んだその線は
やがてどんな重荷になつて
おまへに男らしい償ひを強ひるかわからない)
六月に刻んだ「その線」? 重荷? 男らしい償いを強いる?
いったい賢治は何を言ってるんだ?
この年の6月、賢治は「ある歌」を作った…
生徒を連れて山へフィールドワークに行く際に、みんなで歌うための歌を…
歌?
「その線」とは、賢治が書いた五線譜やメロディラインのことだ…
それが「重荷」になり「男らしい償いを強いる」ことになるかもしれないと、賢治は覚悟していた…
つまり、近いうちに自ら責任を取り、教師をやめる事態になるかもしれないと…
言ってる意味がわからないよ。
なぜ歌が「重荷」になったり「償いを強いる」ことになるんだ?
賢治が書いた歌詞は、読み方によっては反体制とも受け取れる内容だった…
つまり「生徒たちに革命思想を植え付けるために書かれた」とも取れる内容だったんだ…
は?
当時日本では教育勅語が導入され、現人神の天皇を頂点に置く国家づくりが進められていた…
だから社会主義者や共産主義者、そして熱心なキリスト教徒の教師は、露骨に辺境の地へ左遷させられていたんだ…
神にも等しいとされる勅語や御真影に対してのお辞儀の角度が深くなかったとか、そういう言いがかりのような理由でね…
だから賢治は、自分が作った歌を否定するのではなく己の十字架として背負い、それによって近い将来、教師の職を辞する日が来るかもしれないと覚悟を決めたわけだ…
だけど「そういう風にも取れる」というレベルの話でしょ?
ちょっと大袈裟すぎやしないか?
いや。これは大袈裟な話ではない。
実際、賢治の親友だった保阪嘉内は、これと同じ理由で学校をやめることになった…
保阪嘉内(左上)宮沢賢治(右上)
え?
賢治が教師になる前、盛岡高等農林学校農学科を卒業する直前だった1918年3月のこと…
賢治と保阪らが中心になって発行していた同人誌「アザリア」第6号に、保阪は『社会と自分』という作品を寄稿した…
その中に「今だ。今だ。帝室を覆すの時は。ナイヒリズム」という一節があり、これが反皇室の危険思想だと問題視され、炎上騒ぎになったんだ…
作品の中の一節?
別に天皇打倒を訴えた作品じゃないんでしょ?
もちろんだとも。その部分だけを切り取ると、そういう風にも取れるというだけの話に過ぎない。
保阪は抜群に優秀で、学生たちの間でも人気があったから、一部の者から妬まれたりしていたのだろう。
親友の賢治は必死に保阪の作品とこのフレーズの意味について教頭や校長に弁明した。
しかし「事件」が世間に漏れて新聞沙汰になることを恐れた学校サイドに聞き入れてはもらえなかった。
結局保阪は卒業式の二日前に除籍処分となってしまう…
そんなことがあったなんて…
ざっと挙げただけでも、「坊っちゃん」と「賢治」の間には、これだけの共通点がある。
はたして、これらを偶然の一言で片付けられるだろうか?
すべて僕の「こじつけ」だと思うかい?
うーむ。すべてが「こじつけ」とは思えないな…
どれも一理あるような気がする。
だろう?
それに「天麩羅蕎麦と三ツ矢サイダー」が大好物という共通点もある。
天ぷら蕎麦と三ツ矢サイダー?
『坊っちゃん』には「天麩羅蕎麦」が重要なアイテムとして登場する。
坊っちゃんは松山の繁華街にある蕎麦屋で「天麩羅蕎麦」を四杯も食べ、それを生徒たちに目撃されて後日学校でからかわれるんだ。
そして風紀の乱れを心配した学校サイドから「天麩羅蕎麦」禁止令が出される。
そういえば、そんなシーンあったかも。
漱石は「天麩羅蕎麦と三ツ矢サイダー」が大好物だったから『坊っちゃん』にも登場させた。
そして奇遇なことに賢治も「天麩羅蕎麦と三ツ矢サイダー」が大好物だった。
行きつけだった花巻の蕎麦屋「やぶ屋」では、必ずこの2つを注文していたらしい。
なんか微妙。そばとサイダーって合うのかな…
わからん。残念ながら僕もまだチャレンジしていない。
しかし漱石も賢治も好んでいた組み合わせだ。合わないわけがなかろう。
だけど『坊っちゃん』には「三ツ矢サイダー」は出て来ないよね?
「天麩羅蕎麦」は出て来るけど「三ツ矢サイダー」は出て来ない…
そうだな。三ツ矢サイダーは出て来なかった。
代わりに「氷水」というのが出て来るから、もしかしたら具体的な商品名は避けたのかもしれない。
「氷水」はプレーンの「かき氷」みたいなものだろう?
「かき氷」にシロップをかけず水だけを注いだものだ。
死の間際のトシが賢治に取ってきてとお願いした「あめゆじゆ(雨と雪)」みたいなもので、三ツ矢サイダーとは違う。
なるほど。
僕はてっきり「氷水」が「三ツ矢サイダー」のことだと思っていた。
フローズンタイプの三ツ矢サイダーかと…
そんなもの明治時代にあるわけないだろう。
なぜ漱石は大好物の「天麩羅蕎麦」を出して「三ツ矢サイダー」を出さなかったんだろう?
いわゆる「大人の事情」ってやつじゃない?
スポンサーに別の飲料メーカーがいたから、競合の商品名が出せなかった…
テレビでもよくあるだろう? ジュースのラベルを隠しちゃうことが…
まさか。文豪漱石ともあろう人物がそんなつまらない理由で…
グウ~
あはは。見事な音だ(笑)
しかし僕も腹へった。
学食でも行く?
そうだな。
学食でメシ食って、図書室で『坊っちゃん』を借りて、帰るとでもするか。
5分後
なんてこった… 学食も図書室も閉まってる…
今日が日曜日だってこと忘れてた…
仕方ない。外で何か食べて帰ろう。
どこかいい店知ってる? 安くて美味いところ。
うーむ。いつも学食ばかりで、あまり外の店には行かないんだよなあ…
前にサンドロビッチ先生に連れてってもらった蕎麦屋は美味しかったけど…
蕎麦屋か。ちょうどいいじゃないか。そこへ行こう。
ついに憧れの天麩羅蕎麦と三ツ矢サイダーを試す時が来た!
そこに三ツ矢サイダーがあるとは限らないぜ。
キリンレモンやラムネかもしれない。
ラムネ? コンビニで売ってる駄菓子のことか?
今はジュースの話だろう?
あのラムネというお菓子はジュースのラムネを模したものなんだよ。
パッケージも瓶の形をしているだろう?
そもそも「ラムネ」というのは「レモネード」のことだ。
なんと。「ラムネ」は「lemonade」のことだったのか…
確かに「lemonade」の発音は「レモネード」よりも「ラムネ」に近い…
漱石が「ゴーリキー」を「ゴルキ」と書いたのと同じことか…
「ゲーテ」と「ギョエテ」、「シラー」と「シルレル」みたいなものさ。
漱石をはじめ明治の文学者は、外来語を日本語で表すのに苦労した。
発音や綴りにぴったりと当てはまる日本語が中々なかったからね。
みんな悩んで大きくなったんだよ。
グウ~
ああ!もう三ツ矢サイダーだろうがラムネだろうが何でもいい!どうせ味なんてほとんど変わらないだろう?
とにかく僕は天麩羅蕎麦が食いたい!坊っちゃんと賢治がこよなく愛した天麩羅蕎麦を!
わかったから落ち着いてくれよクリス君。
そこは近いのか? すぐ着くのか?
うーん。確か学校の裏門から2,3分だったような…
いや、もうちょっとあったかもしれないな…
一度しか行ってないから、あまり自信はないけど…
まあいい!
岡江君!早く案内してくれないか、その蕎麦屋に!
つづく
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