「ドストエフスキー 地下室の手記① 地下室ってどこ?」『深読み LIFE OF PI(ライフ・オブ・パイ)& 読みたいことを、書けばいい。』
前回はコチラ
2019年9月19日 夜
スナックふかよみ
え? ドストエフスキーの真似?
そう。
ドストエフスキーが『地下室の手記』で行ったことの真似。
ドストエフスキーは、架空の「そっくりさん」を使って『地下室の手記』という「一風変わった物語」を書いたのよ。
どういうこと?
ドストエフスキーはね、自分そっくりな性格をした架空の人物を仕立て上げ、自分を「その人物が書いた手記の読者」という立場に置き、自分が思っていたことや言いたかったことを、ダジャレや冗談だらけの文体で面白おかしく書いたの。
しかもそれを隠すことなく、冒頭からネタバレ全開で。
は?
えーと、つまり…
ドストエフスキーは、自分が「読み手」と「書き手」の一人二役を演じながら、冗談だらけの物語を書いたということですか?
そういうこと。
『ライフ・オブ・パイ』もそうでしょ?
『ライフ・オブ・パイ』は、作者のヤン・マーテルそっくりな架空の作家が「パイ・パテルという人物の昔話」を聴いて書いた、という形をとった物語。
しかも冒頭から冗談だらけでネタバレ全開(笑)
じゃあ『ライフ・オブ・パイ』を書いたヤン・マーテルは、ドストエフスキーの『地下室の手記』からアイデアを得たってこと?
「アイデアを得た」なんてものじゃない。
『ライフ・オブ・パイ』は『地下室の手記』そのものといえる。
だから映画化にあたって、アン・リー監督は「多感な時期のパイが読んでいた本」として登場させたんだ。
わざわざ「生贄の子羊」の次のシーンに。
原作小説でもパイは『地下室の手記』を読んでたの?
いや、原作には登場しない。
『地下室の手記』なんて言葉を文字で書いたら、一瞬にして全てがバレてしまうからね。
映画ならタイトル名を意識させずにチラッと映すことが出来る。
全てがバレる? どういう意味?
さっきも言ったように、『地下室の手記』という小説は『ライフ・オブ・パイ』そのものだと言える。
それくらい重要な作品なんだだ。
そこに気付いて欲しくて、アン・リー監督は映画に本を登場させたんだと思う。
だからこれに関しては詳しく説明したい。
少し長くなるけど、いいかな?
どうぞ岡江クンのお好きなように。
どうせダメって言っても話すんでしょ。深々と(笑)
あらあら。『ライフ・オブ・パイ』でさえまだ海に行ってないのに。
これでもう朝までコース確定ね(笑)
すみません。教官は、いつもこうで…
では始めよう。
『地下室の手記』についての基本データはウィキペディアを参照のこと。
日本語訳版はいくつかあるけど、ここでは米川正夫氏の翻訳によるバージョンを使っていく。青空文庫でも読めるから。
中篇だから30分もあれば読めるだろう。
まずは序文。
第一部と第二部からなる小説『地下室の手記』の序文は、強烈な一文から始まる…
この手記の筆者も『手記』そのものもむろん、架空のものである。
は!?この手記の筆者も『手記』そのものも架空のもの?
いきなり「すべて嘘」って言ってるじゃん!
なにこれ?
小説というもの自体フィクションですし、架空の筆者を立てて物語るという手法も珍しいことではありませんが、冒頭でいきなり「作品も筆者もすべて架空」なんて告白しちゃう小説は聞いたことがありません。
いったいドストエフスキーは何がしたかったのでしょう?
それは続きを見ればわかる。
が、それにもかかわらず、かかる手記の作者のごとき人物は、わが社会全般を形成している諸条件を考慮にとり入れてみると、この社会に存し得るのみならず、むしろ存在するのが当然なくらいである。わたしはきわめて近き過去の時代に属する性格の一つを、普通よりも明瞭に、公衆の面前へ引きだしてみたかったのである。それはいまだに余喘(よぜん)を保っている世代の一代表者なのである。『地下の世界』と題するこの断章において、この人物は自分自身とその見解とを自己紹介し、あわせてかかる人物がわれわれの周囲に現われた理由、いな、現われなければならなかった理由を、闡明(せんめい)せんと欲しているかのごとくである。次の断章においては、この人物が自己の生活中のある事件を叙述した本当の『手記』が始まるのである。
フョードル・ドストエーフスキイ
手記の作者は架空の人物だけど、社会全般の諸条件を考慮すると、存在し得るだけでなく、存在するのが当然なくらい?
何を言ってるのドストエフスキーは?
最初に語られる『地下の世界』という断章において自己紹介と自己見解を述べ、次の断章からは「ある事件」を叙述した本当の『手記』が始まるわけですね…
これは、前半で「パイの半生と宗教観」を述べ、後半で「遭難と食人事件」を語った『ライフ・オブ・パイ』の構成とそっくりです…
そして「架空」の存在だけど、諸事情を考慮すると「存在しなければならない」人物…
これはまさに「虎のリチャード・パーカー」のこと…
ふふふ。だから言ったでしょ?
『地下室の手記』は『ライフ・オブ・パイ』なの。
その人物が「われわれの周囲に現われた理由」というか「現われなければならなかった理由」を明らかにしたいと欲している?
これも、そういうこと?
そうだね。
パイは「虎のリチャード・パーカー」が存在しなければならなかった理由を、2つの話を通じて作家に理解させた。
それが「聴いたら神の存在を信じるようになる話」だったというわけ。
なるほど。確かにそっくり。
そして、語り手の自己紹介と人生観が述べられる第1部『地下の世界』が始まる。
まず第1章では、四十過ぎで無職になった語り手が、この手記を書くに至った経緯を説明する…
あの…
小説のタイトルは『地下室の手記』で、第一部は『地下の世界』…
主人公は本当に地下にでも住んでいるのですか?
ふふふ。「地下」は喩えよ。
語り手は「世捨て人」というか「この世の人ではない」から…
え? この世の人ではない?
というか、そもそも「地下」は「誤訳」なの(笑)
え?
この小説のロシア語の原題は『Записки из подполья』というんだけど、邦題ではこの「подполья」を「地下室」と訳している。
確かに「подполья」は「地下室」に対して使われることもあるけど、本来の意味は違うんだよね。
先に英語版で「underground」と「誤訳」されたから、たぶんそっちに引っ張られたんだと思うけど…
どういうことですか?
「подполья」で画像をググってみるとわかる。
あっ!これは…
「подполья」は「床下」とか「隠されたスペース」という意味なの。
つまり「すぐそばにあるんだけど、部屋の中にいる人からは見えない秘密のスペース」ということね。
「подполья」を「underground」や「地下室」と訳してしまうと、どうしても意識は「下」だけに行ってしまう。
だけど、そうじゃないんだ。
隠されたスペースである「подполья」は、「部屋の床・天井・内壁」と「建物の躯体の壁」の間に存在する。
つまり、頭の「上」にもあるんだよね…
マジで!?
実際にドストエフスキーは「подполья(隠されたスペース)」と「地下室」を使い分けている。
小説の後半で「本当の地下室」が登場するんだけど、その時は「подполья」ではなくて、別の単語「подвал」が使われているんだ。
この「подвал」もググってみるとわかるけど、こっちはまさしく「地下室」のこと…
ホントだ…
これはいったい何を意味しているのでしょうか…
だから言ったでしょ。
語り手は「世捨て人」で「この世の人ではない」って。
そもそも序文でドストエフスキーが「この筆者は《この世に存在するべき》だけど《架空の人物》である」と、わざわざ断りを入れているのよ。
ハッ!もしかして…
そう…
「underground」や「地下室」と誤訳された「подполья」とは…
神の世界、つまり「天国」のことなの。
つづく
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?