深読み バック・トゥ・ザ・フューチャーvol.6(ポール・サイモンの HEARTS AND BONES ㊷『深読み ライフ・オブ・パイ&読みたいことを、書けばいい。』第173話)
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2019年9月19日
スナックふかよみ
では「Sweet Little Sixteen」のセリフ部分と、その後の結末を見ていこうか…
「スウィート・リトル・シックスティーン」のセリフはこれね。
“Oh Mommy, Mommy
Please may I go
It’s such a sight to see
Somebody steal the show
Oh Daddy, Daddy
I beg of you
Whisper to Mommy
It’s alright with you"
その内容は、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の「魅惑の深海パーティー」における、マーティの状況と心境にドンピシャなもの…
ああ、ママ、ママ
僕を行かせて
どうしても行かなきゃいけない
あれは僕のショーなんだ
ああ、パパ、パパ
一生のお願い
ママの耳元で囁いてあげて
一緒にいるから大丈夫だって
確かに、あのシーンにおけるマーティの歌として、ピッタリに聞こえるかもしれない…
だけどこれではマズい…
またマーティが「消えて」しまう…
どうして?
「魅惑の深海パーティー」とは、マーティの「受胎」を確定させるためのイベントだった…
だけど『Sweet Little Sixteen』のこのセリフは、その真逆…
イエスが死に臨むものなんだ…
え?
ママに「どうしても行かなきゃいけない」と説明した「僕のショー」とは、見物人を多く集めて行われた「磔刑」のこと…
それから「僕」はパパに「お願い」をする。
「あなたと一緒だから安心して、とママに囁いて欲しい」と。
もちろんパパとは「父なる神」のことだ。
つまり「僕とパパは天国で一緒だから大丈夫」という意味…
『磔刑図』
アンドレア・マンテーニャ
ママだけ、地上に残されてしまう…
そういうこと。
「受胎告知」の後の歌としても相応しくないし、ママがひとりぼっちになってしまうことも問題だ。
だからやっぱりマーティが歌う曲として相応しくない。
なるほど…
さて、残る歌詞は「オチ」の部分。
最後に「little」が消えるパートだね。
Sweet Little Sixteen
She’s got the grown-up blues
Tight dresses and lipstick
She’s sportin’ high heel shoes
Oh, but tomorrow morning
She’ll have to change her trend
And be sweet sixteen
And back in class again
スウィート・リトル・シックスティーン
ブルースがよく似合う
タイトなドレスと口紅
ハイヒール履いて堂々と
ああ、だけど明日の朝には
スタイルを変えなければならないだろう
スウィート・シックスティーンへと
またクラスに戻るんだ
これは最後の夜と十字架刑のことっぽいですね…
では「スタイルを変える」とは?
なぜ「liitle」が取れたのかな?
天に上がって「神の子」から「神」になった…
その通り。
「class」とは「共通の性質を持つものが集合する」が原義。
つまり「back in class again」で「再び神の属性に戻る」ということ。
よく出来てるわね… こういう歌だったんだ…
だからマーティは『Johnny B. Goode』を歌った。
あの場面で「歌うべき」曲だったから。
選曲は『Johnny B. Goode(ジョニー・B・グッド)』以外にはありえない。
なぜでしょう?
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』とは「受胎告知」の物語…
マーティが「魅惑の深海パーティー」で『EARTH ANGEL』を演奏し、未来の両親であるロレインとジョージがキスするまでに、「受胎告知」にまつわるネタが次々と再現されていった…
無数の時計が描かれ…
長い電話線と警報装置が描かれ…
鳥の羽のようにドアが開くデロリアンが光の道を走り…
マーティが花柄の布団にくるまり、薄紫の下着を見せ…
まだ未婚で処女なのに、すでに「息子」が存在し…
なぜか親が息子の名前を別の名で呼び…
海の底のような場所でカップルの男が別の男に突き飛ばされ…
老人が高いところにある時計の文字盤に昇る…
完璧です…
BTTFは、完全に『受胎告知』です。
まだ完全ではない。
え?
大事なピースが欠けている。
天使ガブリエルは、マリアに何を告げた?
『The Annunciation』
Fra Angelico
受胎です。
誰の?
神の子イエスの。
それだけ?
あっ、マリアの親戚エリザベスの受胎に関しても…
半年前にヨハネを身籠っていたことがマリアに伝えられました。
この地上世界に「イエス・キリスト」が誕生するには、マリアが出産するだけでは不十分だ。
世間が「神の子」の存在を知るために、主の道を真っ直ぐに整え、洗礼を授ける前駆ヨハネの存在が不可欠。
ヒューイ・ルイス&ザ・ニュースが歌う主題歌『パワー・オブ・ラブ』では、それが歌詞の中に隠されていましたね。
「stronger and harder than a bad girl's dream」という歌詞は「イケナイ娘の見る夢よりも強力で大変」ではなく「エリザベートの見た夢よりも強烈で信じ難いもの」という意味でした。
その通り。
『The Power of Love』の中には「ヨハネの存在」が暗示されていた。
それを明確なものにするため、マーティは『Johnny B. Goode』を歌ったんだよ。
なぜなら「Johnny B.」とは「John the Baptist」の略…
つまり「洗礼者ヨハネ」のことだから。
あっ…
マーティの行き過ぎた「説法」は、1955年の若者たちには「洗礼」ではなく「冷や水」になっとったがな。
そうでしたね。
チャック・ベリーまでで止めておけばいいのに、マーティはジミ・ヘンドリクスやピート・タウンゼント、エディ・ヴァン・ヘイレンの物真似をしてしまい、親世代を唖然とさせてしまいます。
結局『Johnny B. Goode』の歌詞は1番までしか歌われませんでした…
あれでいいんだよ。
え?
あの演出は、すべて計算されたものだ。
監督のロバート・ゼメキスは、わざと「1番だけ」しか歌わせなかったんだよ。
わざと?
2番3番の歌詞は、あの場面の「状況」で再現されている。
だから歌う必要がなかった。
そうなの?
まず「受胎告知のあと」に何が起きたかを知っておく必要がある。
天使ガブリエルに教えられたとおりにマリアがエリザベスを訪問した後の出来事を…
それから、あのシーンをもう一度見ると、その意味がよくわかる。
『ルカによる福音書』1:56-80
マリヤは、エリサベツのところに三か月ほど滞在してから、家に帰った。さてエリサベツは月が満ちて、男の子を産んだ。近所の人々や親族は、主が大きなあわれみを彼女におかけになったことを聞いて、共どもに喜んだ。八日目になったので、幼な子に割礼をするために人々がきて、父の名にちなんでザカリヤという名にしようとした。ところが、母親は、「いいえ、ヨハネという名にしなくてはいけません」と言った。人々は、「あなたの親族の中には、そういう名のついた者は、ひとりもいません」と彼女に言った。そして父親に、どんな名にしたいのですかと、合図で尋ねた。ザカリヤは書板を持ってこさせて、それに「その名はヨハネ」と書いたので、みんなの者は不思議に思った。すると、立ちどころにザカリヤの口が開けて舌がゆるみ、語り出して神をほめたたえた。近所の人々はみな恐れをいだき、またユダヤの山里の至るところに、これらの事がことごとく語り伝えられたので、聞く者たちは皆それを心に留めて、「この子は、いったい、どんな者になるだろう」と語り合った。主のみ手が彼と共にあった。父ザカリヤは聖霊に満たされ、預言して言った、「主なるイスラエルの神は、ほむべきかな。神はその民を顧みてこれをあがない、わたしたちのために救の角を僕ダビデの家にお立てになった。(中略)幼な子よ、あなたは、いと高き者の預言者と呼ばれるであろう。主のみまえに先立って行き、その道を備え、罪のゆるしによる救をその民に知らせるのであるから。これはわたしたちの神のあわれみ深いみこころによる。また、そのあわれみによって、日の光が上からわたしたちに臨み、暗黒と死の陰とに住む者を照し、わたしたちの足を平和の道へ導くであろう」。幼な子は成長し、その霊も強くなり、そしてイスラエルに現れる日まで、荒野にいた。
最初に『Johnny B. Goode』を聴く者は皆、不思議がった…
リーダーは素晴らしさを褒め称え、いとこのチャックに教えることで、『Johnny B. Goode』の存在を広く世間に知らしめることになる…
『Johnny B. Goode』の「Goode」の意味もわかったでしょ?
周囲の反対をよそに母エリザベスは「ヨハネという名前にしなければならない」と主張し、父ザカリヤも「その名はヨハネ」と賛同した…
つまり「Johnny Be Good」の駄洒落…
その通り。
あと、マーティが『Johnny B. Goode』を説明するセリフも興味深いよね。
1985年の世界ではオールディーズだけど、1955年の世界ではオールディーズではない…
「昔からあった」歌だけど、「後からくる」歌でもある…
これもヨハネのネタだ。
『ヨハネによる福音書』
1:30『わたしのあとに来るかたは、わたしよりもすぐれたかたである。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この人のことである。
なるほど。うまいこと言いましたね、マーティは。
それではチャック・ベリーの『Johnny B. Goode』の歌詞を簡単に解説しようか。
どのように洗礼者ヨハネの物語が再現されているのか、見てみよう…
1番は、こんなふうに歌われます。
Deep down in Louisiana close to New Orleans
Way back up in the woods among the evergreens
There stood a log cabin made of earth and wood
Where lived a country boy named Johnny B. Goode
Who never ever learned to read or write so well
But he could play a guitar just like a-ringing a bell
ルイジアナ州の南部、ニューオーリンズの近く
緑豊かな木々をかきわけていていくと
泥と木で作られた粗末な小屋が立っていて
ジョニーBグッドという名の田舎者が住んでいた
誰かに読み書きを教わったことなど一度もない
だけど彼はギターを奏でることができた
まるで鐘の音のように
ここはヨハネの紹介ね。
ヨハネは「キリストの到来」を待つために、親元を離れ、人里離れた場所に住んでいたわ。
両親と違いヨハネ自身は神のお告げを聞いていないけど、彼はすべてを知っていた…
そして、それをヨルダン川のほとりで、人々に伝えていた…
歌詞の最初に説明される場所も、まさにヨハネの住んでいた場所の説明になっている。
ジョニーBグッドが住んでいたのはルイジアナ州の南部。「ミシシッピ川」が「テキサス湾」に注ぐところのすぐ近くにある町「ニューオーリンズ」の郊外、広大に広がる森の中に住んでいた。
そしてヨハネが住んでいたのはヘロデ・アンティパス領の南部。「ヨルダン川」が「死海」に注ぐところのすぐ近くにある町「ベタニヤ」の郊外、こちらも広大に広がる森の中に住んでいた。
現在は「アル=マグタス」と呼ばれる場所だ。
そのまんま…
だね。
2番も興味深い内容になっているよ。
He used to carry his guitar in a gunny sack
Or sit beneath the tree by the railroad track
ジョニーBグッドは
自分のギターを粗末なズタ袋に入れて持ち歩き
線路脇の木の下に腰かけていた
「his guitar」とは「his body」ですね。
ヨハネはラクダの皮で身を包んでいました。
『洗礼者ヨハネ』
サンドロ・ボッティチェッリ
その通り。
そして木の下で人々に説法をしていた。
『ヨハネの説法』
ピーテル・ブリューゲル
そして「ロード」のダジャレ…
「by the railroad track」とは「by the rail Lord track」…
つまり「主の道をまっすぐにせよ」…
『ヨハネによる福音書』
1:23 彼は言った、「わたしは、預言者イザヤが言ったように、『主の道をまっすぐにせよと荒野で呼ばわる者の声』である」。
そういうこと。
だから、あのダンス・パーティーの名前は「ENCHANTMENT UNDER THE SEA(魅惑の深海パーティー)」だったんだね。
どういうこと?
ヨハネが人々に洗礼を行っていた死海のほとりベタニアは…
ほとんど「深海の底」みたいなもの…
え?
地球上で最も深いところにある土地…
そんじょそこらの海底よりも、もっと深い…
およそ海抜マイナス400mのところにあるんだよ…
ああ、やられた…
ロバート・ゼメキスとボブ・ゲイル、そしてスティーヴン・スピルバーグの高笑いが聴こえてきそうです…
細かいところまで、本当にこだわっているよね。
だけどそれはチャック・ベリーの歌詞も同じこと。
歌詞はこう続く。
Oh, an engineer would see him sitting in the shade
Strumming with the rhythm that the drivers made
おお、木陰に居る彼の元へ機関士が様子を見に来たよ
運転士たちのリズムにやかましく同調しながら
ん?これはどういうことかしら?
様子を見に来た機関士は、デリカシーというか音楽センスが無かったってこと?
そういうこと。
チャック・ベリーは、この場面のことを歌っているだ。
ベタニヤで歌っていたヨハネの元に、ノリの悪い人たちが様子を見に来た時のことを…
『ヨハネによる福音書』
1:19 さて、ユダヤ人たちが、エルサレムから祭司たちやレビ人たちをヨハネのもとにつかわして、「あなたはどなたですか」と問わせたが、その時ヨハネが立てたあかしは、こうであった。
1:20 すなわち、彼は告白して否まず、「わたしはキリストではない」と告白した。
1:21 そこで、彼らは問うた、「それでは、どなたなのですか、あなたはエリヤですか」。彼は「いや、そうではない」と言った。「では、あの預言者ですか」。彼は「いいえ」と答えた。
1:22 そこで、彼らは言った、「あなたはどなたですか。わたしたちをつかわした人々に、答を持って行けるようにしていただきたい。あなた自身をだれだと考えるのですか」。
1:23 彼は言った、「わたしは、預言者イザヤが言ったように、『主の道をまっすぐにせよと荒野で呼ばわる者の声』である」。
1:24 つかわされた人たちは、パリサイ人であった。
うまい…
そして2番は、こう締めくくられる。
People passing by they would stop and say
Oh my but that little country boy could play
道行く人々は足を止めて言った
おお、主よ…
しかしこの田舎者のプレイは確かだ
ヨハネの言葉に驚きながらも、それを否定できない人々の様子が、上手く表現されていると思います。
だね。
チャック・ベリーはギターパフォーマンスばかりが注目されるけど、ソングライターとしての才能も素晴らしいものがある。
さて、残るは3番だ。
つづく
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