「鼻と穴と水」『深読み LIFE OF PI(ライフ・オブ・パイ)& 読みたいことを、書けばいい。』
前回はコチラ
2019年9月19日 夜
スナックふかよみ
真実は藪の中ね (笑)
(「藪の中」だと? この女、まさか「あのこと」にも気付いているのか? そうだとしたら…)
では『ライフ・オブ・パイ』オープニングの動物映像の続きを見てみましょう。
「塔と2頭の象」の後、2分21秒からです。
映し出されたのは、エサを貪り食べている「カバ」と「ブタ」だ…
15分後
なるほど。
「水の中の2頭のバク」は、『出エジプト記』の海を渡るシーンの再現なのね。
そしてヨルダン川で洗礼をするヨハネとイエスの投影でもある。
次は「茂みの中にある水辺の鳥たち」です。
ここのポイントは「鳥」ではないわね。
え?
アン・リー監督が描きたかったのは、「水辺」と、画面右上に大きく広がっている「蜘蛛の巣」なんだよ。
水辺とクモの巣を? どうして?
ヘブライ聖書の『ヨブ記』を暗示させるためだ。
『ヨブ記』は『イザヤ書』と同じくらい『ライフ・オブ・パイ』にとって重要な書…
そして聖書で「蜘蛛の巣」といえば『ヨブ記』なんだよね。
『ヨブ記』とは…
ヨブが数々の試練に耐えながら「神の存在と信仰」について議論と思考を重ね、命以外のすべてを失ったにもかかわらず、信仰を捨てず、神を呪わなかったことにより、最後は神から祝福されるという栄光に授かり、ハッピーエンドを迎えるという物語…
なんか『ライフ・オブ・パイ』っぽい。
パイも命以外の全てを失ったわ。そしてそれは「神を信じるようになる物語」だもんね。
その通り。
さて「蜘蛛の巣」は『ヨブ記』第8章に登場する。
「安定しない居場所」の喩えとして…
あなたがもし神に求め、全能者に祈るならば、あなたがもし清く、正しくあるならば、彼は必ずあなたのために立って、あなたの正しいすみかを栄えさせられる。
あなたの初めは小さくあっても、あなたの終りは非常に大きくなるであろう。
先の代の人に問うてみよ、先祖たちの尋ね極めた事を学べ。
我々はただ、きのうからあった者で、何も知らない、我々の世にある日は、影のようなものである。
彼らはあなたに教え、あなたに語り、その悟りから言葉を出さないであろうか。
紙草は泥のない所に生長することができようか。葦は水のない所に生い茂ることができようか。
これはなお青くて、まだ刈られないのに、すべての草に先だって枯れる。
すべて神を忘れる者の道はこのとおりだ。神を信じない者の望みは滅びる。
その頼むところは断たれ、その寄るところは、くもの巣のようだ。
そういえば、パイも「ネットやロープ」でイカダを作っていましたね…
そしてそれは「不安定な居場所」でした…
『ライフ・オブ・パイ』では『ヨブ記』の再現シーンがいくつか登場する。
その場面が来たら詳しく解説するとしよう。
では動物映像の話を進めようか…
「茂みの中の水辺の鳥と蜘蛛の巣」の次は「テングザル」です。
テングザル…?
わかった!「天狗はユダヤ人だった説」でしょ!
「イスラエルの失われた10支族」のことよ!
日ユ同祖論ですね。
『イザヤ書』に描かれていた2700年前のアッシリアによるカナン侵攻で土地を奪われた「イスラエルの失われた10支族」の1つが東へと旅を続け、日本人の祖先になったとする説です。
ロマンがあるわよね(笑)
でも何かしら文化的影響は受けていると思うわ。
さすがに「天狗」がアン・リー監督の頭にあったかどうかはわからないけど、彼が「テングザル」を起用した理由は「鼻」で間違いない。
「大きな鼻」といえばユダヤ人のステレオタイプなイメージだからね。
ああ、そうか…
今は、特定民族や集団の身体的特徴を誇張して表現することは、タブーとされる傾向にある。
だけど「誇張」というのは芸術の根幹部分でもあるから、本来は「それが侮辱的かどうか」で判断するべきなんだろうけど、受け手の印象は人それぞれだし、クレーム対応の手間などを考えて最初から避けることが多くなってきたんだ。
たとえば手塚治虫の『鉄腕アトム』の例で言うと…
”原爆の父” オッペンハイマーがモデルの天馬博士や、アインシュタインがモデルのお茶の水博士も、わかりやすく鼻が大きく描かれていたけど、それに対して目くじらを立てる人はいないよね?
それは手塚治虫に侮蔑感情や悪意が無いからだ。
あとカズオ・イシグロの『日の名残り』もそうだったわね…
主人公スティーブンスとお父さんはユダヤ系であることを隠していたんだけど、「鼻」のことがやたらと強調されていた…
どアップで「鼻」が映し出されてたわ。
そうだったね。
ちなみに日本人のステレオタイプ・イメージは「出っ歯と吊り目」だった。
あと「度の強いメガネ」と「首にぶら下げたカメラ」も。
さすがに悪意ありまくりの描き方が多かったから、最近は見ないけど…
アン・リーも考えましたね。動物ならクレームも来ない。
動物に喩えて描く手法は古典的ともいえるわ。
だけど、あのテングザルの役割は「鼻」だけじゃないのよね。
え?
テングザルの「視線」だよ。
最後に横を向いて、視線を「ある場所」に向けるんだ。
これが非常に重要な意味をもっている…
視線を「ある場所」に向ける?
たしか、あの視線の先には「サイ」がいたわ…
その通り。
サイは2頭いたので、外のサイを「サイ1号」、穴の中のサイを「サイ2号」と呼ぶことにしよう。
ロンドンブーツじゃないんだから。
そこまでして説明しなきゃいけないことなの?
もちろん。
『ライフ・オブ・パイ』のテーマ「聴いた者が神を信じるようになる物語」を端的に表しているのが、この「2頭のサイ」によるショートコントなんだ。
ショートコント?
サイ1号の後ろには岩山があり、中に空間があるらしく、ぽっかりと出入口が開いていた。
すると岩山の中からサイ2号が顔をのぞかせ、そこから出てこようとする。
それに気付き、大慌てで振り向いたサイ1号は、たぶんこう言ったはず…
「何やってんの!出ちゃダメ!中に入ってなサイ!」
そしてサイ1号はサイ2号を穴の中へ押し戻す…
これって、まさか…
イエスの復活のこと?
そう。
イエスは神であることを証明するために復活した。
だからキリスト教の信仰においては、この「復活」が最も重要な意味を持つ。
「神を信じる=復活を信じる」だと言ってもいい。
岩山の穴からサイ2号が出て来たら、いきなりネタバレになってしまうので、サイ1号は慌ててサイ2号を中に押し込んだんだよ。
なるほど…
オープニングの動物映像は、聖書のダイジェストになっていたというわけですね。
さすがアカデミー賞監督アン・リー。匠の技です。
ちなみに「動物の視線」は、映画本編でも重要な役割をもっている。
オランウータンのオレンジジュースは、このテングザルとまったく同じように頭の向きを変え、視線で「大事なこと」を伝える。
テングザルはそのヒントになっているんだ。
あら、よく見てること(笑)
これでも一応「深読み探偵」を名乗っていますので。
「藪の中」から真実を探し出し、それを深読みすることが、僕の仕事ですから…
「藪の中」か。ふふふ。
ようやく動物映像もフィナーレです。
「テナガザルのイサク君」が木に登り、最後に蓮の池の横をトラがゆっくりと通り過ぎる。
トラの姿は直接は見えません。水面に映った姿だけしか…
そして蓮の葉の上にいた「赤い小鳥」が、葉の上の水滴を飲むの…
何か意味深ね…
この赤い小鳥の種類はわからないけど…
監督のアン・リーはこの鳥を「ヨーロッパ・コマドリ」として登場させている。
コマドリ?
「だーれが殺したクックロビン」の「ロビン」のこと?
「ロビン」こと「ヨーロッパ・コマドリ」は、イエス・キリストの象徴なのよ。
ヨーロッパ・コマドリの赤い色は、十字架で流されたイエスの血で赤く染まったと、昔から信じられてきたの。
だからコマドリの「死と埋葬」を歌った、あんなマザーグースの童謡が生まれたのね…
そして、そのコマドリが「水を飲む」描写で、オープニングの動物映像は終わる。
つまりここにも重要な意味が隠されているということ。
「水を飲む」といえば…
『イザヤ書』にありましたね…
イザヤ55章の第1節「さあ、渇いている者は、みな水に来たれ」だ。
この預言をイエスは「サマリアの女」との会話で再現した。
『ヨハネによる福音書』
4:13 イエスは女に答えて言われた、「この水を飲む者はだれでも、また渇くであろう。4:14しかし、わたしが与える水を飲む者は、いつまでも渇くことがないばかりか、わたしが与える水は、その人の内で泉となり、永遠の命に至る水が湧き上がるであろう」
4:15女はイエスに言った、「主よ、わたしが渇くことがなく、また、ここに汲みに来なくてもよいように、その水をわたしに下さい」
ハァ…ハァ…
深代ママ、どうしました?
あたし… もうダメ…
え?
もう我慢できないの!
(服を脱ぎ出す)
あっ…
ふ、深代ママ…
あら、まあ(笑)
どうか… あたしに歌わせて頂戴…
愛の… 水中花を…
つづく
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?