「深読み LIFE OF PI(ライフ・オブ・パイ)完結篇㉙&読みたいことを、書けばいい。」(第255話)
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2019年9月20日 朝
スナックふかよみ
堕罪を救済の象徴に転換?
田辺聖子も『ジョゼと虎と魚たち』で「肉欲」を「救済」に転換させていたでしょ?
『ライフ・オブ・パイ』でも、そうだったわ…
確かにそうでしたが…
太宰の書いていることを丹念に読み解いていけばわかる。
それでは第二章の続きを見ていこう…
次はこのシーンね。一日の終わりの様子。
黄昏時になると父親は炭小屋から、からだ中を真黒にしてスワを迎えに来た。
「なんぼ売れた」
「なんも」
「そだべ、そだべ」
父親はなんでもなさそうに呟きながら滝を見上げるのだ。それから二人して店の品物をまた手籠へしまい込んで、炭小屋へひきあげる。
そんな日課が霜のおりるころまでつづくのである。
気付いたかな?
ここで太宰は見事な伏線を張っている。
後の「大転換」につながる重要な伏線を…
は? 重要な伏線ですか?
この短いシーンのどこに?
全身を真っ黒にして茶店へ迎えにきた父が、呟きながら滝を見上げる…
それから二人して炭焼き小屋へ歩いていく…
太宰は、ある「絵」のワンシーンのことを言ってるのよ。
え?
左の小さな小屋が茶店…
そのすぐ近くには、勢いよく流れる滝…
そして、二人が向かう先にある、右の建物が炭焼き小屋…
ホントだ…
ところで、この絵って、何の絵だっけ?
うーむ。どこかで見た覚えがあるのですが…
何の絵の一部だったかなあ…
これは後ほど詳しく解説する。
さて、次に太宰は、子供であるスワが一人で店番していても安心な理由を語る。
スワを茶店にひとり置いても心配はなかった。山に生れた鬼子であるから、岩根を踏みはずしたり滝壺へ吸いこまれたりする気づかいがないのであった。
そういえば、「鬼子」って何ですか?
「鬼子」とは、異形の子…
異様な姿で生まれ、親に肉体的・精神的苦痛を与える子供のことをいうのよ…
だからジョゼちゃんは…
そういうこと。
しかしスワは異形の子ではないですよね?
教育を受けていない野生児ですが、五体満足で健康な女の子です。
太宰はそういう意味で「鬼子」という言葉を使ったのではない。
「鬼子」とは「ベンジャミン」のことなんだよ。
ベンジャミン?
わけわかんない。どういう意味なの?
イサクの子、つまりアブラハムの孫であるヤコブは、ある事件を起こしてカナンの地を追放され、旅先でレアとラケルという姉妹を妻にする。
やがてヤコブの罪は許され、カナンへ帰還することになった。
その帰路の途中、ベツレヘムでラケルは産気づく。
しかしそれは恐ろしいほどの難産で、やっとの思いで子供を産んだラケルは、その子に「ベン・オニ」と名付けると、そのまま力尽きて死んでしまった。
「ベン」とはヘブライ語で「子」という意味…
つまり「オニの子」と…
お、鬼の子ですか!?
「オニ」は「苦しみ」という意味よ。
「ベン・オニ」で「苦しみの子」という意味ね。
苦しみの子…
何だか、どこかで聞いたことがあるような…
こうして12番目の子供を授かったヤコブだが、最愛の妻ラケルを失ったショックは大きかった。
そしてヤコブは、ラケルの忘れ形見である子の名前が「苦しみの子」では良くないと考え、「ベン・オニ」を「ベンジャミン」に改める。
「右側の子」という意味の「ベンジャミン」に…
右側の子? そうか!
「苦しみの子」も「右側の子」も、イエス・キリストのことです!
そういうこと。
『創世記』で描かれるこの逸話は、そのままメシアの預言になっている。
ベツレヘムで生まれた「苦しみの子」であり「右側の子」…
太宰が「鬼子」という言葉を出したのは、これを想起させるためだ。
手が込んでるわね…
太宰がこの処女作『魚服記』に込めた思いや労力は、すさまじいものがある。
まさに血の汗を流しながら書いていたんだろう。
だから太宰は、本作を含む処女作品集に『晩年』というタイトルをつけた。
これは自分の処女作にして集大成、遺作であると…
デビュー作なのに『晩年』…
あれは、ふざけてつけた題名じゃなかったんですね…
本気でふざけとるのじゃ。
えっ?
そう。太宰は本気でふざけている。
だからシレーっと、こんな駄洒落を書いた…
スワはその日もぼんやり滝壺のかたわらに佇んでいた。曇った日で秋風が可成りいたくスワの赤い頬を吹きさらしているのだ。
むかしのことを思い出していたのである。
え? ダジャレ? どこに?
「秋風が可成り」よ。
あきかぜが、かなり?
上田秋成のこと(笑)
うえだあきなり?『雨月物語』の人?
そもそもこの小説の題名『魚服記』とは…
短編集『雨月物語』の中で最も有名な『夢応の鯉魚』の元ネタである、古い中国の物語の題名なんだ…
えっ?そうだったの?
元祖『魚服記』を書いたとされるのは、9世紀、唐の時代の人物「李復言」という人。
無名の文士だった李復言は、エリートの登竜門である科挙試験を受けるため、業界に影響力をもつ有力者へ自分の書いたものを送ることになった。
しかし、本来なら高尚な詩文を書かなければいけないのに、この李復言という人はビックリ・ドッキリ話が大好きなので、他の人が書かないようなことを書いてしまう。
死んだと思われた人が、魚になって大海を泳ぎ、奇跡の生還を遂げるという、奇想天外な物語『魚服記』を…
マジで?
当然、これを読んだ有力者の先生は、椅子から転げ落ちた。
「なんだこれは!妄想としか思えない!」と…
なんだか『ライフ・オブ・パイ』っぽいですね。
「ぽい」というか「そのもの」だけど(笑)
上田秋成と『夢応の鯉魚』については、また後程あらためて触れることにする。
まずはスワの回想シーンから。
上田秋成のジョークを皮切りに、太宰はスワに昔の記憶を語らせる。
いつか父親が小さなスワを抱きながら語ってくれた話を…
そういえば『ジョゼと虎と魚たち』にも、そんなシーンがあったわね。
父が幼いジョゼを背負って、甲子園にタイガースの試合を観に行った話…
あれはスワの想い出話そのものだ。
田辺聖子は「スワの想い出話」をアレンジして「甲子園と阪神タイガースの想い出話」を紡ぎ出した。
えっ?
それは、三郎と八郎という、きこりの兄弟の物語…
弟の八郎は、兄の三郎が不在の時に、取ってきた魚を全部食べてしまう…
すると喉の渇きが止まらなくなり、井戸の水を飲み干し、さらには村外れの川へ走って行って、水をがぶがぶ飲んだ…
川の水を飲んでいるうちに、八郎の体中に鱗が吹き出てくる…
三郎が駆けつけた時には、八郎は大蛇になって川を泳いでいた…
八郎やあ、と呼ぶと、川の中から大蛇が涙をこぼして、三郎やあ、とこたえた。兄は堤の上から弟は川の中から、八郎やあ、三郎やあ、と泣き泣き呼び合ったけれど、どうする事も出来なかったのである。
スワがこの物語を聞いた時には、あわれであわれで父親の炭の粉だらけの指を小さな口におしこんで泣いた。
これのどこが甲子園と阪神タイガースの想い出話なの?
うふふ。
田辺聖子は、幼いジョゼが甲子園で「何」を見たと書いていた?
えーと…
村山実と吉田義男だったわ。
いっぺん本物をどうしても見たくなり、父親に背負っていってもらった。甲子園球場で、ピッチャーだった村山を見た。好きだったショートの吉田を見たのもそのときだったっけ。
村山実といえば…
栄光の背番号11番!
は?
「八」郎と「三」郎で「十一」だ。
嘘でしょ…
ということは…
吉田義男のほうは掛け算ですね!
「八」郎 x「三」郎で「二十四」だ!
大正解!
と、言いたいところだが、ニアピン賞じゃな。
吉田義男は「23」番。
ああ。惜しい…
うふふ。ほとんど正解みたいなものじゃない?
田辺聖子が生きていたら「その通り!」って言ってたかも(笑)
そうじゃな。
吉田義男は『魚服記』の冒頭にも登場しておるし。
えっ? 吉田義男が?
太宰は「源義経」について言及した。
吉田義男の別名は「牛若丸」じゃ。
ああ、確かに…
太宰は「スワと父の想い出」として「八郎と三郎の物語」を語らせた…
田辺聖子は「八郎と三郎の物語」をアレンジし、「ジョゼと父の想い出」として「甲子園球場で見た阪神タイガースの村山実と吉田義男の話」を語らせた…
そして「八郎と三郎の物語」と「甲子園球場で見た阪神タイガース」は『ライフ・オブ・パイ』にも引き継がれる…
ええっ?『ライフ・オブ・パイ』に!?
ヤン・マーテルは「パイと父の想い出」として…
「動物園のバックヤードで見たトラと山羊の話」を語らせた…
「甲子園」は「動物園」に…
「阪神タイガース」は「神が投影されたトラ」に…
そして「八郎と三郎」の「八と三」は?
「八」は「ヤギ」…
八木裕のヤギ……
そして、八木は「三」…
背番号「3」番!
なんてことなの…
最後に八郎は「大蛇の神様」になった。
晩年の八木は「代打の神様」と呼ばれた。
果たしてこれは偶然だろうか?
「だいじゃのかみさま八郎」と「だいだのかみさま八木」…
偶然のわけないじゃん…
ヤン・マーテルは絶対に太宰治と田辺聖子を読んでる…
Yann Martel
信じられない…
それでは第二章のクライマックス、一人前の「おんな」になったスワと父の会話を解説しましょう…
つづく
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